核と戦争
こんばんは。
今年もまた8月6日、そして9日が過ぎ去った。
毎年のように、この暑い時期になると日本国民が一斉に戦争について考える。
歴史とは言わば戦争の歴史である。
ホモサピエンスが誕生したその瞬間から
戦争の歴史は始まっている。
人はなぜ争い合うのか。
そんな壮大なテーマをちっぽけな脳みそしか持ち合わせていない私がただひたすらに考えたところで戦争はなくならない。
人々は暮らしを豊かにするために科学を用いた。
それがいつしか私利私欲のため人を殺し合う殺戮兵器までをも生み出してしまった。
世界大戦を経験した日本国民は【お国のために】生きなくてはならない人生を歩んできた。
それが真の正義なのか疑問を抱く余裕もないほどに生と死は常に隣り合わせだっただろう。
戦争に勝つことでしか生きる希望を見い出せなかった人達。どれだけ辛く苦しい人生だっただろう。
皮肉にも、戦後の日本は民主主義が発展した。
戦争による被害はあまりにも大きいと知ることになった。
私は戦争とは無縁の平成生まれである。
教科書に載っている歴史の授業を受け、
同じ過ちを繰り返さないようにしよう。
と、ありきたりな勉強しかしてこなかった。
大人になった今、何が変わっただろうか。
ただ人々は口を揃えてこう言うだけ。
『戦争は良くない』と。
そんな事は誰だって思っているしわかっている。
言うだけなら容易い。
世界で唯一の被爆国である日本がどの国よりも先陣を切って二度と戦争をしないと訴え続けていくこと。
そしてその言葉と共に核は持たない、兵器や軍事力は必要ないと行動でも示していくべきだと思う。
私がどれだけ大声で訴えようと
国のトップや組織がこれに肯定的でなければ意味がない。
核兵器禁止条約があるにも関わらず
日本はなぜまだ不参加のままなのか??
アメリカという核の傘の中で守り続けてもらうことがほんとうに日本のためなのか??
日本国憲法9条の戦力不保持まで危うい状態になっている。
被爆国だからこそ核を保有する権利があるとか言ってる人達、正気ですか??
それは核を正当化させるということになる。
仕方のないこと、では済まされない。
いかなる理由があろうとも、私はすでにある核から核武装で国を守ろうという考えには賛成できない。
戦争のない世界へ!核のない世界へ!
と祈り願うだけでは何も解決しない。
ただの偽善でしかない。
夢を口にすることは大事だが、それを叶えるためには行動に示し常に現状を変えていかなければならないのではないか?
それは国内でだけではなく、世界に向けて発信していくべきだと思う。
だからこそ私は、日本の政治の力で核のない世の中に少しでも近づけようとしている日本のトップであるべき人を探し求めている。
核がなくなるまでの道のりが長く険しいことは分かる。ただひたすらに『NO』を貫き通すのが私達に託された未来へのバトンだと思う。
ほんとうの強さとはなにか。
戦争が国と国の問題であれど、同じ人間同士である。
人間には心がある。頭脳がある。
言葉を巧みに使い、体で表現し、意思疎通を図る手段があるではないか。
地球上の全ての生き物は限られた資源の中でしか生きてはいけない。
互いに助け合い、支え合い生きていくことは出来ないのか?
そんなに簡単に出来るなら戦争なんて起きてないよと
、幼稚な考えだと思われるだろう。
ただの夢物語だと笑われるだろう。
だけどその手段は決して殺戮兵器であってはならない。
これは戦争に限ったことではない。
いつの時代も弱い者が暴力を振るいたがる。
暴力には暴力で抗うべき?
子供達にそうやって教えていくのが大人としての正解なのか?
ほんとうの強さとは力の強さではなく信念だと思っている。
私たち国民ももっと核や戦争について議論していいと思う。
強い信念を持っている人、
ただただ周りに流されるままに生きている人、
目を見れば分かる。声を聞けば感じる。
己の持っている感覚全てを研ぎ澄まし世の中を見渡せ。
世論が変われば政治も未来も変わるかもしれない。
私はこれからも反核・反戦を訴え続ける。