自分の価値観が見えてきた話
GWの真ん中で朝渋勉強同好会の合宿に参加してきました。
もう本当に素晴らしく愛おしい、最高すぎる2日間になりました!
その時の振り返りと、1つの大きな気づきを記録します。
振り返り
今回の合宿のテーマは心技体
各々勉強したり、朝5時から運動したり、「7つの習慣」を読んでディスカッションをしたり。何事にも全力な朝渋メンバーと楽しみました!
私個人の目標はこちら↓
振り返り結果はこちら↓
志高い参加者の皆さんと一緒に過ごせば、私も感化されて頑張れると思っていました。が、そんなことは当たり前の大前提で、それ以外の本当にたくさんのことを学ばせていただきました。
朝4時半に起きて、5時からランニングに行って、公園で懸垂(私はできない)、帰ってきたらプランク3セットというメニューで始まった朝でした。さすが朝渋。
一見過酷に見えるトレーニングでも、私、本当にワクワクして取り組めました。自分を高めていくことが大好きなのです。
自分の価値観
その中で、最近の私の価値観がガラッと変わったことを1つ書きたいと思います。
2日目、最後のワークの際にある方が何気なく仰った
「いくらでもストイックであっていいと思う」 という言葉です。
これ聞いたとき、え?あれ?そうだっけ、いや、そうだよな。
という感情になったのです。
最初はびっくりして、その後 妙に納得。
なぜそんな感情になったのか、後から考えてみて思ったのですが
最近私、「無理をしないように無理してた」のかな、という気づきがありました。
昔からストイックな傾向があって、カフェ経営していた時からは一段とそのストイックさや自責の念が強くなっていました。より良い自分であるために、もっともっと高まりたいという気持ちで頑張っていました。そのせいで辛いこともありましたが、それ以上に頑張っている時の自分は大好きだし、自信もあったし、充実した毎日だったと思います。
ですが、昨年3月ごろに精神的にキツくなって止まってしまった時、「頑張り過ぎやストイックすぎるのは良くない」「余白も大切」という逆の価値観にも触れるようになって、「休息が大事だよね」「自分のこともっと大切にしなきゃね」
と考えるようになりました。ここまでならいいと思います。むしろ心と体のバランスを保つためには必要な価値観だと思います。
が、白黒はっきりさせたがる私は、この相反する2つの価値観のバランスに戸惑い、グラデーションの価値観の中に身を置くことができず、迷っていました。
心や体のバランスがまた崩れることを恐れすぎていたのだと思います。そしてその原因は全て「頑張り過ぎること」によって起こるのだと考えていました。
でも、元々私らしさの一つには「向上心」や「ストイックさ」があると思っているので、それに蓋をされて平気でいられるわけがないのです。
だから最近モヤモヤしていたのです。もっと頑張りたいのに、不完全燃焼な気がしていたのはこのせいだったんだなと気がつきました。
そして、合宿でこの言葉を聞いてハッとし、今回の合宿の皆さんの姿を思い返してみました。
たしかに皆さんストイックレベルではメーター振り切っているのに、(だからこそ?)なおかつキラキラしていて、ポジティブで素敵な人ばかりでした。(私の目にはそのように映りました)
どの程度ストイックであるかが、その人の心と体のバランスに影響を及ぼすわけではないということに気づき、「とことんストイックであっていいんだ!」と思うことができるようになりました。
結局元々の価値観に戻ったわけですが、色々と考えを巡らせてより強固な価値観になったと思うので、これも必要な過程なんだなと思います。
私たらしめるものがストイックさなのであれば、大いにそれを自分のアイデンティティとして貫けばいいんだ!という大きな気づきでした。
これからは余計なことを考えず、自分が納得、満足できるまでとことんストイックに頑張っていきたいと思います。
そして、ここまで突き詰めて「頑張ること」について考えたのなら、今後何かのタイミングで不調が出た際に、原因を「頑張り過ぎ」に求めず、もっと根本的な問題解決の方法を探っていけるのではないかと思います。
このように自分自身について深く考えるきっかけを作ってくださった合宿メンバーの皆様に改めて感謝です。本当に素晴らしい効果的なGWだったなと思います。
これからももっともっと自分を高め、自分に厳しい自分らしく頑張っていきます!