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『泣いた赤鬼』と『センチメンタル』と『節分の思い出』

何かを望んで達成したとき、その陰で誰かが犠牲になったり、選ばれなかったりする人がいるものです。

多分小学校の2年生の時だったと思います。『泣いた赤鬼』を読んだときに、初めてハッピーエンドじゃない、選ばれなかった方の人について深く考えたような気がします。


泣いた赤鬼について

本当の友達とはなんだろう? 赤鬼と青鬼のあまりにもほろ苦い友情を描いたお話。
いつの時代かどこの場所か、村人たちとどうしても仲良くなりたい気のいい赤鬼。だが村人は赤鬼のやさしさがわからず、怖がって逃げまわるばかり。孤独と寂しさに耐えきれなくなった赤鬼は、悩みに悩んだ末、親友の青鬼に相談する。かしこい青鬼は赤鬼のために起死回生の策を授け、計略はまんまと成功。赤鬼は村人たちを自宅に招待し、みんなと心を通わせる。だがその幸せも束の間、赤鬼に思わぬ、そしてあまりにもほろ苦い結末が訪れる……。

小学館

ブログを書こうとあらすじを検索しただけなのに涙が止まりません。なぜか僕はこの話にとても弱いのです。

引用のあらすじで匂わせられていますが、赤鬼が青鬼を訪ねていくと『僕が君の友だちだと村人の信頼を失うからここを発ちます』と、ふたりは長いお別れをすることになってしまいます。

子どもの頃の僕は、赤鬼くんはよかったかもしれないけど青鬼がかわいそうとばかり思っていました。・・・でも大人になった僕はちょっと違う感想を持っています。

赤鬼くんには『きみは親友の青鬼くんを懲らしめた振りをしたつもりかもしれないけど、村人にはそれが本気なのか振りなのかなんて分からないよ。それに、親友を失うことと引き換えにしてまで、たくさんの村人と交流したかったのかな。』
青鬼くんには『きみは賢いかもしれないけど、きみのした提案は結果的に赤鬼くんを試すことになったことに気が付いてたかな。優しくて楽しいことが好きな赤鬼くんが、後になってどれだけ後悔して傷つくか考えられていたのかな。』

大好きなのに別れなきゃならないって本当に切ないですよね。こんな感じで、節分が来るたびに『泣いた赤鬼』の話を思い出して、あらすじを調べて涙ぐむという年中行事が行われているわけです。

僕が子どもの頃の節分は、恵方巻ブームが起こるよりもずっと前で、玄関で豆まきをしていました。

当然誰も鬼はやりたがらず、父と兄と3人でじゃんけんをして決めていました。(母は『女性だから』という理由で鬼を免除される謎w)

当時『鬼は外!』と豆を投げつけるたびに青鬼くんのことを思い出して胸が苦しくなってしまい、罪滅ぼしみたいに「今度は僕が鬼をやるよ」なんて言い出して思い切り豆を投げつけられて少しほっとするみたいな謎なことをしていました。

また、父は今考えてみると斬新な人で、鬼役として一通り退治された後にわざわざピンポンを押して「鬼ですっ!。開けてくだっさい!」なんてふざけたことをやりだして、センチメンタルになった心が一気に癒されていたことを思い出します。もし父が僕のセンチメンタルに気が付いていたのなら本当にすごいと思うけど、そんなことはないだろうなぁ。思い出話をしても『そんなことあったかな』と言ってるくらいなので。笑

そしてなぜか、どんなに掃除をしたり靴の中を見たつもりでも、翌日、靴の中から福豆が出てきてしまうのです。節分の夜にガンガンに揺れた心の証拠として。それを学校で捨てることができなくてこっそりポケットに入れて持ち帰ってしまうという、さらに謎な現象が繰り返されました。

恵方巻は海苔屋が儲かるためのイベントだ!的な指摘も世の中でありますが、僕にとっては心乱されることなく楽しめるイベントに変わってよかったという思いのほうが大きいです。笑