死にたいと思ったことはありますか?という問い(って内容はそれほど重くないよ!)
note4日目
先日見たTV「理想本棚」で、「死にたいと思った時に読む本」というのをお題にしていた。内容は学生さんとか若者向きかなーと思ったけど。兎にも角にも、「死にたいと思った時」というのに引っかかったので、上のようなタイトルで。
そう、このタイトルのように聞かれたとして。。
私の答えは
「死にたい、というよりは。死んだ方がマシ、だと思ったことはある。」です!
7月に倒れてから、CTやらMRIやらの検査をしたり、医者を変えたり、サプリを試したり、整体に行ってみたり…。いろいろとやってみたのですが、ちょっと良くなったかも、と思っていたら、また超絶具合が悪くなる、の繰り返し、繰り返しで。(詳しくはまたおいおい)
仕事には少し休みながらもどうにかこうにか行ってはいたものの、原因不明状態。長く繰り返すことでの強い不安と、あまりの痛みと具合の悪さとしんどさに、「こんなに具合が悪くて出口がないなら、死んだ方がマシだわ」とフラフラ帰り道を歩きながら考えてました。私が住んでいるのは小さな地方都市で、調べても自分が探しているような病院が見つからない。医者に行っても、なんともないと言われたり、うちじゃないということを遠回しに言われたり。いまやどこに行ったらいいのかわからない。頭のネジが吹っ飛んだような感覚は続いていて、ふとした瞬間に失神しそうで。あとは後頭部、首のあたり、眼の奥の強い痛み。自分の体が自分じゃないみたいな感覚。そして、治らないんじゃないかという怖さ。これがずっと続くのかという絶望感。。仕事を休むだけでも迷惑かかるのにね。これは辞めることになるかもしれない。わたしこれからどうやって生きていくんだ?
数年前も回転性のめまいが続いて倒れたことがあったのだけれど、その時よりもずっーと長引いていて。運転もできなくなる=生活に支障がでる。身動きがとれなくなる。それ以前に自分の体が普通に1日もたない、という不安。(職場では、つらくなると床に枕を置いて横になったりしていた)
とにかく。痛みと辛さとしんどさで、こんなんなら死んだ方がラクだよ。と。体がなくなってしまえば、辛さとはサヨナラできるもん。
でもね、気づいたんです。
死んだ方がマシだとしても、これは簡単に死ねるわけじゃない。私は自ら死ぬことすらできない。それなら…
「そうか、じゃあ、死んだと思って生きればいいか。」って。
死んだことにしてしまえば、あれもこれもそれも、やらなくていいのだ!
やらなくてはならないこと、処理しないといけないことが実は今の私にはたくさんたくさん残っていて。でも全然進んでいないことが、自分のオモリになっていて。あれをわたしにやり切れるんだろうか。といつもどこかで思っていて。。
そうかー、無理なんだ。ならば、やらなくていい、って思えばいい…。捨てよう。やらなくちゃいけないっていうのを捨てよう。そう思ったのです。
がんばるのをやめよう。やろうと思うのをやめよう。
というか、物理的にわたしはもう、がんばるどころか普通のこともできなくなってる。強制終了がかかってしまった!みたいなものですから。
わたしはもう、「一度死んだと思って生きる」ことにします。でもね、「死んでるみたいに生きたく」はないんです。←ここ大事。たくさんのことをやろうとはしない。できないのであればできることだけをやる。そして…あきらめない。
あきらめたくなるけど、諦めない。原因を探る、お医者さんや治療院探しをがんばる、少しでも楽になる方法を考える。体調の波があるから、少しでも体調が浮上したときに、それを実行してみる!そう思って、少し浮上している今、書き殴っている私なのでした。
追記:そして今日、先日受けた健康診断の結果が…。なんと、心電図にC判定。人生初の結果が。。
えーー。不正脈があるってことですね。確かに不安感からか動悸を感じることはあったけど。。思ってもみなかった部分へのアプローチ。てことは循環器科か??また新たなお医者さがしか?
調子が悪いから不正脈がでているのか、不正脈だから調子が悪いのか、それすら無知な私はわからないけど。とりあえず、やれること考えなくちゃ……そんな今日の日記でした。グダグダ。