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私が妹を殺した。

妹が自殺してから、ちょうど10年経った頃。

ヒプノセラピーがオススメという噂を聞いて、何か自分の中のものを癒やしたくて、受けたことがあった。
正直、その時はヒーリング自体はうまく入り込むことができなかった。

でも、セッション中にヒーラーから言われたある一言が私に中に強烈に心につきささった。





「あなた、もしかして、妹さんがいなくなればいいって思ったことあった?」






まるで心を抜き取られて、それをそのまま目の前に差し出されたような感覚。








そんなこと、誰にも言えるわけがない。
自分だけが知っていたこと。
驚きとともに、涙が溢れてとまらなかった。




妹は私の4つ下。
幼いときから、私がやること為すこと真似して、私と同じことをやろうと一生懸命がんばる子だった。
私もそんな妹がいじらしくて可愛くて、教えてあげることや、一緒に何かをすることが楽しかった。



でも、だんだん大きくなっていくにつれ、それをうっとおしく感じていくようになった。

それも、妹が私よりもできることが多くなっていったからだ。



もちろん、妹にも苦手なことはあったが、勉強やスポーツ、音楽の才能は私よりもあって、成績もすごく良かった。

私のようにわがままを言って親を困らせることもなく、家の手伝いや弟の面倒もよくみて、自分のことよりも、周りの人に優しくできる子だった。


私に足りないものをたくさん持っている子だった。



自分よりも年下だけれど、私はずっと妹には敵わないとどこかで思っていた。






私はそんな妹に、とてつもなく嫉妬していた。






私は小学校高学年になって、バスケットボールに夢中になった。

そんな、私を見て妹もバスケットボールをはじめた。

妹はみるみる上達し、市内や県内で注目される選手になっていった。
親も妹のバスケットボール生活に夢中になっているように見えた。






そんな中、私はいつまでも光を浴びることもなく、ただただ暗い場所でバスケットボールをしているような気分だった。

でも、いつの日か私のこの努力が実って、光を浴びるときがくると、そう信じて自分なりに頑張っていた。


中学を卒業し、高校へ進学した。
バスケットボールをすることが私の中で一番の目的だった。

もっとうまくなりたい、レギュラーメンバーになって、注目を浴びたい。そう強く思っていた。


毎日毎日、バスケットボールのことばかり。
どうしたら、うまくなれるか、レギュラーに入れるか、そんなことばっかりを考える高校生活が始まった。

でも、2年生の後半に差し掛かったとき、私の心の中で何かがプツリと切れてしまった。




怪我をしてしまったこと、後輩にレギュラーをとられてしまったこと、他にも何かあったのかもしれないけれど、私はなんでこんなにバスケットボールに対して頑張ってきたのだろうかとそんなことを考えるようになった。

何かが燃え尽きてしまったような。



その時に、私は気づいた。
私はバスケットボールを純粋に好きでやっているわけじゃないということ。

いつの間にか楽しめなくなっていたのだ。

私は、誰かに認めてもらうために、必死になってバスケットボールをやっていた。






そして、

私はどこかで、妹よりも注目を浴びたいと心から願っていた。
私はどこかで、見返したいとそう思っていた。



それと同時に、もうそんなことどうでもいいから、純粋にバスケットボールを楽しめるようになりたいとも、どこかで思っていた。




でも、できない。
どうしてもできない。
みんなと同じように楽しみたいけど、全くもって、楽しむことかできなくなっていた。
この心の葛藤をどうしたらいいのかわからず、ただただとてもつらく苦しかった。




そんな時、ふと頭に浮かんだ言葉、





「妹のさえ、いなくなればいいのに」






この言葉が私の中で生まれでてきた時、
私は、自分が本当に最低最悪な人間だと思った。

自分って救いようのない人間なんだなと思った。

ちょうど自転車をこいでいるときだった。

一人で泣きながら自転車をこいでいた。



自分が1番いらない存在。
自分が心底大嫌いだった。









妹が自殺をした時。
私の中で、この時の記憶が蘇ってきた。


私があの時願ってしまったからだ。
妹がいなくなればいいと。
だから。

私が妹を殺してしまったんだと。
そう思った。




そして、さらに、私はどこかホッとしていたのだ。
もうあの大きな大きな嫉妬や葛藤に苦しまなくてすむことに。
安堵している自分に気づいてしまったのだ。


私はそんな自分自身に心底失望し、誰よりも何よりも、自分自身が憎くて、どうしても許せなかった。


最低最悪な人間。
私ではなく、違う人が妹の姉だったら、妹は死なずにすんだのだろうと。

自分のことが誰よりも何よりも大嫌いで憎かった。





でも、そんな気持ちも、どこか心の奥底にしまっておかなければ、普通に生活したり、普通の感覚で生きていくことは私にはできなかった。

そんな奥底にしまっておいた気持ち、これをシータヒーリングによってまた引き出されたのだ。






その数カ月後だった。
私は10日間のヴィパッサナー瞑想のコースへ参加した。

初めて、瞑想というものに出会った。

瞑想をしていくと、私はどんどんどんどん自分の奥深い意識まで入り込んでいった。
初めての体験だった。


最終日、私は妹を嫉妬していた自分に出会った。
そして、妹がいなくなってホッとしていた自分と出会った。



私は、そんな自分にひたすらに問い続けた。

「なんで私は、あの時妹がいなくなればいいのにと思ったのか?」

「私は、なぜ妹が死んだことでホッとしているのか?」

「私は、妹のことを愛していなかったのか?」

と。



どのくらい時間がたっていたのだろうか。

どこからともなく、幼いときに妹と一緒に遊んでいた時の感覚が蘇ってきた。
妹のことが愛おしくてたまらない感情がとめどなく溢れでてきた。

愛でいっぱいになった。


私は、妹を心の底から愛している。
大好きだっだ。


涙がとめどなく流れた。


でも、なぜ妹が死んでしまって、ホッとしていたのか。

その時はじめて、私がホッとしていたのは、妹が死んだことではなかったのだと気づいた。

私は、妹が注目を浴びることで、親の愛情が全部妹に奪われてしまう、自分は愛をもらえないのではないかとどこかでずっと恐れていたことに気づいた。

だから、親の愛情をたくさん受け取っているように見える妹に激しく嫉妬し、その状況を嫌悪し、愛情を向けてもらうこと、認めてもらうことに対してものすごく執着していた、そんな自分からずーっと解放されたかったのだ。



そのことに気づいたとき、人はどんなに愛する存在であっても、嫉妬や恐れ、嫌悪、執着などそういった人間本来もっている性質にとらわれてしまうと、純粋な愛による行動ができなくなるのだと感じた。

そして、どんなに誰かから愛されていても、その愛を感じることができなくなるのだと感じた。





そのことが心から腑に落ちた時、妹への愛情、そして、親や妹からの愛情に包まれて、私は愛でいっぱいになった。

私はこんなに愛していて、こんなに愛されていたんだと、涙がとめどなくこぼれた。


私はもう2度とこの感覚を失いたくないと思った。

また嫉妬や恐れ、嫌悪、執着などによって、大切な人を大切にできないのは嫌だと思った。



愛によって、生きていたい。
そう、強く感じた。


そのために、私には瞑想が必要だと思った。

それからずっと私は毎日のように瞑想を続けている。


それでも、ふとしたときに見失ってしまう。
そのたびにまた、本来の自分に戻ろうとする。
そんな繰り返しだ。


でも、


私は妹がいなくなればいいと思った
私が妹を殺した


そんな無意識に心にグサリとささっていた剣は、今ではほとんど感じなくなった。この一文を見ても、だいぶ平気でいられるようになった自分がいる。


きっと、こんなふうに玉ねぎの皮を1枚1枚剥がすように、自分と向き合っていくしかないのだろうと。

でも、それさえも楽しんでいくことができたらとそう思っている。

そして、その過程がきっと私の人生にとって、何か大きな意味をなすものなのだろうと、そう信じている。

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