紫炎球と光の太刀の物理学的考察
はじめに
※この記事はコミックマーケット101で頒布されたただくろさん(Twitter: @MizotadaMR)の無職転生アンソロジー本「冬のむしょ本 in 2022」に寄稿したコラム「炎球と光の太刀、物理学的に強さを考察してみた!」の補足記事である。寄稿したアンソロはこの記事に引用したのでこの記事単体でも楽しめるが、様々な方が素晴らしい作品を載せているのでぜひそちらもお買い求め頂きたい。
※この記事の主軸はアンソロで紙面の都合上省略した物理学的考察であり、「無職転生成分」は非常に少ない。また、大学教養程度の物理公式を使用している。一応概要を理解するには式を全て追う必要はないようにしたつもりではいるが、高校の物理程度の知識は無断で使う場合がある。
※著者は物理が専門ではない。そのため間違いが多発していると思われるので、看過できない間違いがあればTwitter: @n4eX3kjLOLS5iIIまでお願いしたい。
では早速見ていこう。以下、引用部分がアンソロ、本文部分が解説等である。
個人的な意見にはなるが「現実と違う」というのがファンタジーの魅力だと思っており、考証や現実との整合性を重視しすぎるのはあまり良くないと考えている。これは『無職転生〜異世界行ったら本気だす〜』の原作者理不尽な孫の手先生も述べている通りである。繰り返しになるがこの考察はあくまでもネタであり、それこそ「現パロ」の1つとして読んで頂きたい。
ルーデウスの紫炎球
本文では省略していたがそもそも黒体放射の"黒体"というのは入射した光、つまり電磁波を全て吸収する物体のことである。当然現実にそのような物体は存在せず、質点(質量を持ち体積0の物体)や剛体(力を加えても一切変形しない物体)、理想気体(体積、分子間力共に0の気体)のような仮想的な存在だ。この仮想的な存在がある温度$${T}$$で電磁波を熱放射するを黒体放射と呼ぶ。これは自分が発する電磁波であって、外部から入射してきた光が全て吸収されることとは矛盾は起きない。黒体放射によって太陽などの天体のエネルギー放射を考えることができる。もちろん太陽は黒体ではないのだが黒体放射の式によって十分正確に近似される。
実はこの黒体放射によって量子力学が大きく発展したと言っても過言ではない。量子力学以前、すなわち古典力学では天体のエネルギー放射をうまく説明することができなかった。Rayleigh-Jeansの法則(長波長部分のみ説明可能)やWienの放射法則(短波長部分のみ説明可能)などある限定的な範囲について成立する式はあったものの、適応可能な範囲から外れると実測値と計算値が大きくずれてしまっていたのだ。ドイツの科学者Planckは光が吸収されるときエネルギーは飛び飛びの値をとっている、すなわち量子化されていると仮定することで実測値と良い一致を示すPlanckの法則を導出することができた。Planckの法則によってある温度$${T}$$の黒体が放射する周波数$${\nu}$$の光の分光放射輝度$${I(\nu,T)}$$は以下のように表すことができる。
$${I(\nu,T)=\frac{2h\nu^3}{c^2}\frac{1}{e^{h\nu/kT}-1}}$$
ただし、$${h, c, k}$$はそれぞれPlanck定数、光速、Boltzmann定数を示す。また、分光放射輝度$${I(\nu,T)}$$とは放射面を単位面積、立体角、周波数、時間当たりに通過する放射エネルギーのことである。要するに、温度が上がるほど放射するエネルギーは大きくなるし、高周波数の光をたくさん出すようになるということである。
言うまでもないことだが可視領域は紫外や赤外領域に対してとても小さい。本文中で「赤外線、赤、オレンジ、黄、緑、青、藍、紫、紫外線の順に」と言っているのは分かりやすさを優先したためである。
熱された金属が約1000 ℃というのは英語版の黒体放射のWikipediaの写真、図を参考に判断した。「Wikipediaを参考文献に使うな」「目視で判断せずにちゃんと計算しろ」という指摘は尤もだが、まああくまでネタだし本筋とは関係ないので許していただきたい。あと本文中では分かりやすさのために「熱されて赤くなった」と書いたが、実際には1000 ℃では若干黄色っぽくなっている。一応調べると、鉄は約600 ℃で暗赤色に光始め、約800 ℃で赤色が最も強くなり、約925 ℃で橙色、約1100 ℃で黄色になるらしい。(まあこれも鍛冶職人の個人ブログが出典なので完全に信頼できるわけではないが。)
太陽が6000 ℃というのは表面温度を採用した。これはJAXAが言っているので信頼性は高い。
ルーデウスの炎球が変化と黒体放射の色の温度変化が一致していることに気が付いた瞬間の脳内では勝利確定BGMが流れていた。ある温度$${T}$$の黒体が放射する一番強い光の波長$${\lambda_{peak}}$$は$${T}$$に反比例すること(Wienの変位則、$${\lambda_{peak}=\frac{b}{T}}$$)と、単位時間面積あたりのエネルギー$${I}$$は$${T}$$の4乗に比例すること(Stefan–Boltzmannの法則、$${I=\sigma T^4}$$)を使えば色、すなわち波長とエネルギーを容易に結びつけることができると勘違いしていた。
様々な波長の色が混ざり合うと人間の目には別の色に見えることや、そもそもピーク波長と視認される色は異なることを考慮に入れてなかった。
人間の視細胞は錐体細胞と桿体細胞の2種類があるのだが、色を認識する役割を持っているのは錐体細胞である。(桿体細胞は光の明暗を認識する。)この錐体細胞はさらに黄色周辺の光に反応する赤錐体、黄緑色周辺の光に反応する緑錐体、そして青色周辺の光に反応する青錐体の3種類が存在する。この3種類の細胞がそれぞれどれだけ刺激されたかによって人間が心理的に認識する「色」というものが決まる。これを定式化し平面図に落とし込んだのが「CIE 1931 色空間」と呼ばれるものであり、モニターなどのRGB表記に対応したRGB色空間や数学的処理が行いやすいXYZ色空間などの種類がある。
黒体によって放出される電磁波の分布に対して数学的処理を行い、この色空間上においてプロットしたものをプランキアン軌跡と呼ぶ(Wikipediaには日本語版のページがないのでリンク先は英語)。リンク先にある図のプランキアン軌跡を見ると、温度が上がるにつれて赤、橙、黄、緑白、青白、青と色が変化することが読み取れる。すなわち、紫色にならないのだ。
紫色に見えない理由をもう少し直感的に説明する。ある温度の黒体放射で発せられる電磁波の分布はプランクの法則によって厳密に定まっている。「色の配合」が厳密に決まっていると言い換えることもできる。黄色と青色の絵の具を1:2で混ぜると毎回必ず同じ濃い目の緑色になる、と似たようなことだ。黒体放射で発せられる光はプランクの法則で定められる配合で混ぜられており、様々な波長の光がある特定の配合で混ざっているためある特定の色しか見えない、ということだ。温度を変化させても紫色に見える配合はないのだ。もちろん、プランクの法則からずれた配合で光を混ぜれば紫色に見えるようにすることは可能だ。
原子の所謂"L殻"などにいた電子が"K殻"に移る時エネルギーが放出される。これが電磁波として放出されるのが炎色反応である。例えばRbは紫色の炎色反応を示す。紫色の炎、というものを再現するだけで良ければ炎色反応を一番近いかもしれない。
しかし、炎球の色が赤から紫へと変化していったことを炎色反応で説明しようとするととても煩雑になる。赤色の炎色反応を示す$${_3\textrm{Li}}$$がまず形成され、次に黄色の$${_{11}\textrm{Na}}$$、橙の$${_{20}\textrm{Ca}}$$、緑の$${_{29}\textrm{Cu}}$$、最後に紫の$${_{37}\textrm{Rb}}$$が、とすれば説明できないことはない。元素番号順に並んではいるので徐々に核反応により生成されたと考えることは不可能ではない。不可能ではないのだが、例えば赤色の$${_3\textrm{Li}}$$と黄色の$${_{11}\textrm{Na}}$$の間に緑色の$${_{5}\textrm{B}}$$や橙色の$${_{6}\textrm{C}}$$があったりするなど元素番号と色の順は一致していない。(ちなみに族ごとに見ると長波長側の色から短波長側の色へと変化している。同じ族では軌道が似ているからだ。また同じ周期でもその傾向はあるが、前述のとおり必ずしもそうとは限らない。)ある特定の元素が選択的に形成されたとする必要があり、ややこしくなる。
炎色反応を使って色の変化を説明しようとすることの難しいところはさらにある。先ほど核反応で原子が形成されていけば不可能ではない、といったことを言ったのだが、実は$${_{26}\textrm{Fe}}$$より原子番号が小さい元素と大きい元素では原子の出来方が異なるのだ。軽い元素は核融合、重い元素は中性子捕獲と核分裂によって生成される。これは$${_{26}^{56}\textrm{Fe}}$$が非常に安定な原子であることに由来する。核子あたりの結合エネルギーが非常に大きく安定なため、全ての元素は(宇宙スケールの時間の間)ほっておくと$${_{26}^{56}\textrm{Fe}}$$に向かおうとするのだ。このため、$${\textrm{Fe}}$$より重い元素は中性子捕獲や核分裂などと言った特殊な方法でのみ形成される。一見ただ重い元素が順番に造られているように見えても、それを説明するために複数種類の反応を考えなくてはいけなくなる。
他にもまだまだ問題はある。そもそも炎色反応のエネルギー($${\textrm{eV}}$$オーダー)と核反応のエネルギー($${\textrm{MeV}=10^6 \ \textrm{eV}}$$オーダー)があまりにも桁が違いすぎることや、中性子捕獲や核分裂は確率的にしか起こらないためまとまった量を得るにはある程度の時間が必要になることなども考えないといけない。この全てを解決するにはかなり複雑なモデルが必要になる。プラズマ発光で考えた場合も同様である。ここでは単純化するために黒体放射による発光だと解釈させていただきたい。
ここでは「近似式を適用できる上限」という完全に恣意的な理由で温度を仮定した。この温度では黒体放射は空色に近い色に見える。ここで使用したのはKim他による近似式で、具体的な式は煩雑になるため省略するが、CIE xy 色空間における座標が温度の関数として表される。また、本文では25 000 ℃としたが、実際の計算では $${2.5 \times 10^4 \ \textrm{K} }$$を用いた。
温度を定めると、前述のStefan–Boltzmannの法則 ($${I=\sigma T^4}$$)を用いることで単位時間面積あたりのエネルギー$${I}$$を計算することができる。全エネルギーを計算するためには炎球の表面積と持続時間が必要になる。
水道水の温度は令和2年の都庁付近の年間平均温度16.8 ℃(東京都水道局)を使用した。さらに、カップラーメン一杯に必要な水の量は日清食品グループのカップヌードル(赤)の300 mL(2022年11月23日現在)を用いた。(関係ないがカップヌードルのロゴは「ヌード」と読み間違われることを防ぐために「ド」の字だけが小さくなっている。)また、水が液体のまま100 ℃にするのに必要なエネルギーのみを計算しており、沸騰することは考慮に入れていない。
爆弾の威力などでたまに使われる「TNT爆弾nトン分」という表現は実は厳密な定義があり、$${1\ \textrm{TNT換算グラム}=1000 \ \textrm{cal} =4.184\times10^9 \ \textrm{J}}$$と定められる。
文末の「ありがとうオルステッド社長!」は実は無職転生本編に一字一句そのまま登場しているのだが、気づいていただけただろうか。原作18巻(青年期配下編)第二話「借りてきた猫」のp.70で、エリスのペット()になったリニアを取り返しに来た奴隷商がオルステッドとアリエルの名前にビビっているのを見たルーデウスが抱いた感想の一節で、「ありがとうオルステッド社長!アリエル部長!なんとか問題にならずに済みそうです。」と続く。
ギレーヌの光の太刀
音のドップラー効果は実感しやすいし大学受験でも頻出なので知っている人も多いと思う。光も波としての性質を持つので同じことが起こる。相対論的ドップラー効果と呼ばれる現象である。観測者から見て光源が角度$${\theta}$$(まっすぐ離れる場合が$${\theta=0}$$、まっすぐこちらに向かう場合が$${\theta=\pi}$$)、相対速度$${V}$$で動きながら振動数$${\nu}$$の電磁波を発しているとき観測者が観測する光の振動数は
$${\nu'=\frac{\sqrt{1-\beta^2}}{1-\beta \cos\theta }\nu}$$
(ただし、$${\beta = \frac{V}{c}}$$、$${c}$$は光速)
と表される。音のドップラー効果の式$${f'=\frac{V-v_\textrm{観測者}}{V-v_\textrm{音源}}f}$$とは大きく形が異なるので受験生は間違えないでいただきたい。特に、角度に依存していることに注目していただきたい。後述するが、この点により「こちらに向かって等速直線運動している」という仮定を置くことになった。
数式を使わずにここの説明をしようとしたところ逆に分かりにくくなってしまった。要するに、ドップラー効果によって光源での振動数$${\nu}$$が観測者に$${\nu'=\alpha \nu\quad(\alpha\equiv\frac{\sqrt{1-\beta^2}}{1-\beta \cos\theta })}$$として観測されるとき、観測される分光放射輝度$${I(\nu',T')}$$は、Planckの式から
$${ \quad I(\nu',T') \\ =I(\alpha \nu,T')\\ =\frac{2h(\alpha \nu)^3}{c^2}\frac{1}{e^{h(\alpha\nu)/kT'}-1} \\ =\alpha^3\frac{2h\nu^3}{c^2}\frac{1}{e^{h\nu/\{k(T'/\alpha)\}}-1}\\ =\alpha^3I(\nu,\frac{T'}{\alpha}) }$$
と導かれる。すなわち、観測者が観測する温度$${T'}$$は、光源での温度$${T}$$を用いて$${T'=\alpha T}$$と表される。($${\alpha^3}$$は強度の減衰に対応する。)特に、$${\theta=\pi}$$(光源がまっすぐ観測者に向かう)場合、
$${T'=\sqrt{\frac{1+\beta}{1-\beta}}T}$$
となる。(これは英語版の黒体放射のWikipediaには紹介されている。)すなわち、光源の温度(ギレーヌの体温)と観測者から見た光源の温度(ギレーヌの赤い発光から逆算可)が分かれば
光源(ギレーヌ)の速度が分かる、ということになる。
前述の光のドップラー効果の式$${\nu'=\frac{\sqrt{1-\beta^2}}{1-\beta \cos\theta }\nu}$$を$${\beta}$$を見ると、$${\theta=0,\pi}$$以外の場合$${\beta}$$が2つの解を持つことが分かる。簡単のため、以下では$${\theta=\pi}$$と仮定した。
猫の平熱はアイペット損害保険株式会社より。人間の平熱はテルモ株式会社より。また、観測者から見たギレーヌの体温は英語版の黒体放射のWikipediaの図より。
新幹線ひかりの最高速度はWikipediaなどに300 km/hとの記載があった。一方平均時速への言及は見つけることができなかったため250 km/hを恣意的に採用した。300 km/hでも100 km/hでも議論の大筋には影響がない。
ここで言うギレーヌの体重とはギレーヌの静止質量のことである。
スケールアップのベースとなるデータは吉田沙保里さんのofficial websiteより。また、スケールアップの際には3次元が等方的に拡大されると仮定した。
ここで用いた「相対論的エネルギーの式」は
$${E=\sqrt{m^2c^4+p^2c^2}=\frac{mc^2}{\sqrt{1-\beta^2}}}$$
である。ただし、$${m}$$は静止質量、$${p}$$は運動量で$${p=\frac{mv}{\sqrt{1-\beta^2}}}$$。物体が静止している、あるいは速度が光速$${c}$$に対して十分に小さいとき$${E\approx mc^2}$$というよく知られた式を得る。
2021年の日本のエネルギー消費はEnerdataより。
最後に
以上で解説となる。こんなニッチな文章に付き合っていただきありがとう。議論や訂正は非常に大歓迎なのでTwitter: @n4eX3kjLOLS5iIIまでお願いしたい。ちなみにこの解説記事はコミケ前日深夜(12/30 3:00頃)に完成した。もう少し余裕を持って着手すべきだった。