アカデミー人材の重要性
はじめに
新社会人の方々が会社に勤められ、社会人としての一歩を歩み出されたと思います。これまでの生活と大きく変わることもあり、慣れないことをこなしていくのはそう簡単なことではないので、最初のうちはしんどいかもしれません。やっていくうちになれていくのでそこまで不安にならなくても大丈夫です。今回は日本の学歴と就職について書いていこうと思います。
就職で大事なものは学歴?
これについては学歴が一番大事かと言われれば、そんなことはありません。学歴だけを信用して採用されることはまずありません。学歴だけを信用して採用している会社はまともな会社ではありません。コミュニケーション能力のような対人関係に関する能力は学生時代に打ち込んだことなどをメインに確認されます。これだけを見て、学歴がそこまで大事でなければ、勉強して大学に行く必要がないのかと思われるかもしれません。いいえ、そんなことはありません。大卒が応募資格の必須条件であることが多々ありますので、大学に行かなくてもいいというわけではありません。
「○○大卒の俺はすごいんだ」と自慢するような人は大体ロクな人ではありませんし、それ以外に誇れるものがないのだと思います。僕は前の会社で、こういうことを言っているとあらぬ罪を着せてきた先輩に対して、そんなことを言っていないと先輩に言うと「ふーん」と言われ、謝罪の1つもありませんでした(笑)。そんなことはさておき、学歴=仕事ができるということはありませんが、学歴がその人に仕事を割り当てる目安になっていることは確かです。
どこの大学を卒業したことよりも何を学んだかが重要であり、どこの大学を卒業しているかとその人が仕事に活かすことのできる能力とは直接結びつかないはずです。欧米では、大学ではなく、大学で何を学んだかを重視されます。新しく採用する人の大学で学んだことが仕事にどう活かされるかを会社が判断し、会社がそのポストに配置させます。日本もIT分野や理系分野ではそういった傾向がみられるようになっていて、ジェネラリストの育成ではなく、スペシャリストの育成にシフトしている会社もあります。スペシャリストの育成という観点から見ると学歴(専攻や研究内容)は非常に重要になります。しかし、ジェネラリストの育成では学歴はそこまで重要ではないように思われます。どちらもいいところはありますが、国際競争力という点で見ると、スペシャリストの育成は必要になりますし、昔に比べてより専門化している分野が増えています。
「大学で学んだことが役に立たない」は嘘
この台詞を社会人になるとよく聞きます。この言葉は新社会人として、自覚を持たせるための戒めの言葉である場合と無能さを表す言葉である場合の2つに分かれます。前者は大学で学んだような理論が仕事でそのまま活かせることがあまりないことを意味します。大学で研究していたことがそのまま社会で使われていることはあまりありません。社会で研究したことが使われていたとしても、複合的な要因が重なり合って起こっていることであり、純粋にその事象が大学で研究していたこととだけが原因であることは少ないです。つまり、社会は研究の延長線であり、大学での研究をより複雑にしたものであることを示唆し、単純な理論で説明できるものではないことを意味していると思います。
後者は以前に何度か取り上げていますが、大学での勉強の活かし方がわからないだけのことです。大学での勉強が役に立たないのであれば、なぜ、応募条件に大卒というフィルターを掛けるのかということになります。もっと言えば、学校で習ったことが役に立たないと言うのであれば、応募条件に義務教育を修了した者としても問題がないはずです。今まで、条件を大卒としているから大卒というフィルターを設けているだけであれば、近いうちにその会社は潰れます。自ら考えることを止めた人間が上にいる組織がまともに反映することはなく、衰退するだけです。帆も舵もない船が海の上で漂流しているのと同じです。そのうち、波にのまれて沈むのが目に見えています。
欧米では分野によりますが、学士より修士、修士より博士の方が評価されます。しかし、日本では文系は学士、理系は修士が評価され、博士課程に進学すると一気に就職の選択肢が狭まります。博士課程に進学した友人曰く、博士課程進学者の進路で一番多いのは行方不明だそうです。日本の就活市場での一番の武器は若さです。進学すればするほど、若さを失っていくのは当然のことで、博士課程を修了するころには30歳前後というのは珍しいことではありませんが、就活市場では大きなビハインドを負うことになり、思っているような職に就けないことも珍しくありません。学者の道に進むにしても、すぐに助教になれるわけではなく、そのポストに空きができないとそういったポストに就くことができません。学者の世界は実力も必要ですが、運に左右されるところが大きく、職としては非常に不安定なのです。
博士課程を修了している人を企業であったり、国であったりに対して、一律に優遇しろと言うつもりはありませんが、改善は必要です。学者の道を目指すことを諦め、社会人として働く方が安定していて、稼げるとなるとそっちに流れるのも無理はありません。さすがに今の待遇では学者を目指す人が減ってしまい、それこそ、国際競争力の低下に拍車をかけることになってしまいます。日本の99%の会社は中小企業で、日本の技術力を支えていることは確かですが、最先端の技術を開発するような人がいなくなれば、中小企業の技術力の進歩はありません。そして、会社をたたむことにもつながります。
中小企業の経営者ほど、大学で学んだことが仕事で役に立たないと考える人が多いです。しかし、最先端技術を開発しているのは、大学で学んだことをしっかりと活かしている人たちです。彼らが新しいものを開発しなければ、中小企業の企業の仕事もなくなってしまいます。大学で学んだことが役に立たないと考えることは自由ですが、回りまわって、自分の首を絞めることになりかねません。
就職市場において若さは最大の武器と言われ、それは事実です。しかし、大学での研究や研究者の卵は日本にとって貴重な財産であり、その財産をみすみすと海外に流出させてしまうようなことは日本にとってマイナスでしかありません。自分にはないと思っている会社経営者も最終的に自らが不利益を被ることになり、真っ先に切り捨てられます。
中小企業の技術力を支える上で修士や博士は必要な存在となり得ますし、日本の技術力の底上げにもつながります。そのためにも、大学で学んだことが仕事で役に立たないと考えることを止めるべきです。学者の卵と呼ばれる人たちは堅物や頭でっかちと思われ、現場を知らないと思われるかもしれませんが、研究で現場を見ていることがあり、人によっては中小企業の社長より人脈があったり、現場のことをよく知っていたりします。彼らは思っている以上に柔軟で、我々が思っている以上に社会を知っています。社会人でないと言うだけでそういうレッテルを貼ってしまっているのは非常にもったいなく、残念なことです。
最後に
どこの大学を出ているかは正直あまり大きな意味を持ちません。日本の場合はFラン大学と呼ばれる自分の名前を漢字で書けば入れるような大学があり、そうなると、どこの大学を出ているかがその人を測る目安になってしまいます。残念なのは、そこで判断を止めてしまうことです。重要なのはその先で何を学んでいたかを知ることです。多くの会社はそれ以上のことをしません。むしろ、できません。彼らにそれを判断するだけのものを持ち合わせていないからです。細かい内容は別として、何を学んだかが理解できないような人が採用担当をしている会社はそれまでで、経営陣も同様です。アカデミーの世界への理解が一番必要なのは経営者であり、彼らがそれを理解できなければ、会社としての成長も望めませんし、ひいては日本社会全体にとって不利益を与えます。むしろ、経営者がアカデミーの世界に理解を示すことが会社の成長や日本社会の発展に寄与すると言えます。目先の利益を追うとアカデミーの世界への理解は役には立たないでしょうが、中長期的な目線で見るとアカデミーの世界への理解は大きな福をもたらすことになるでしょう。