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数学のない世界(2/2)
専門的な分野をすべて大学へ?
藤巻議員は数学の一部分野を大学へ回すべきではないかとも言っていました。高校で超専門的な数学の分野を習う必要はないと思います。しかし、高校は高等教育を受ける場であるため、多少、専門性のあることを勉強すべきではないのかと思います。高校は大学で学問を勉強するための入り口としての価値を残しておくべきだと思うのです。中学校までは義務教育なので、高校で習うような三角関数、指数関数・対数関数、微分積分をやる必要はなく、最低限の数学の知識でいいとで十分だと思いますが、高校は高等学校というだけあって多少の専門性を帯びていてもいいのではないかと思います。
大学の専門分野では高校の数学の知識であったり、理科の知識であったりが必要になります。大学で、高校で習うようなことを一から教えないといけないとなると大学の意義が問われるかもしれません。高校はやはり大学やその他の進路の入り口であるため、その次を見据えた教育機関でなければならないと思います。
高校は高等教育を行う場であり、義務教育の延長ではありません。数学の知識が不要というのは使われる側の立場の人が言うことであり、使う側の人が言うことではありません。もっと言えば、学校での知識が不要と言う人は一生、誰かに使われ、何も知らずに不満だけを抱き、朽ちていくだけの人生を送ることになります。そういった知識が不要と思わず、社会や生活を変えるために未来を背負う人のために必要な知識です。そうなりたくない人からすれば、不要でしょう。しかし、高校数学へのアプローチの機会は誰しもが平等に与えられています。生まれた身分で決定するものではなく、受ける人の気持ち1つで変わります。数学が不要と思うも、思わないもその人の自由です。つまり、そこで人生が分かれることになります。使われる人間になるか、使う人間になるかはそういった心の持ちようです。
高校に入ってから具体的な進路を決めた人は多いはずです。昔から将来こうなりたいからこの道に進むんだという人もいらっしゃると思いますが、高校に入ってからどの道に進もうか決める人の方が多いはずです。それが大学であれ、専門学校であれ、就職であれ、人によって様々だと思います。高校での選択がこれからの人生を左右することになるかもしれないのです。つまり、高校での選択肢をあまり絞り過ぎると人生の選択肢を狭めてしまうのではないかと思うわけです。
僕の友達も僕自身も高校で、どういった方向に進みたいかを決めました。そのきっかけが学校の授業であることは少ないないはずです。高校で英語の面白さに気付いて、外国語学部へ進学したり、物理の面白さに気付いて大学で物理学を専攻したりとそういった出会いがあるはずです。理系科目が得意でしたが、僕みたいに女の子が多い方がいいから文系にするという不純な動機で進路選択をした人間もいますが(笑)。もし、今から理系の道に進めるのであれば、技術者になりたいという思いはありますが。そんなこと言っても仕方ありませんがね(笑)。
高校での勉強が今後の進路を大きく左右することがあり、そういった大事な場で三角関数が役に立たないから役に立つ金融教育にしようというのは暴論です。元から理工系へ進学しようと思っている人にとっては大きな影響はありませんが、数学の面白さに気付いたのが三角関数でそこから理工系を目指し、技術革新を起こすような技術者が誕生する可能性が秘められているわけです。大人の勝手な都合で夢ある10代から将来の選択肢を狭めるようなことをしてほしくありません。日本の未来にとっていい選択ではありませんし、役に立たないと思い込ませるような教育スタイルからどこでどう使われているかを教えるのもいいかもしれません。僕は理系に進みませんでしたが、高校に入って数学の面白さに気付いた身として、そういったことを進めるのは得策ではありません。
もし、実用的な分野も学校で教えたいのであれば、何かを消して、新しく導入ではなく、今あるところの隙間に入れるべきだと思います。金融教育が毎週必要かと言われればそうでもないと思います。別枠を設けなくても、公民の授業で取り上げるのでもいいのではないでしょうか?役に立たないから切り捨てるというのは非常に短絡的で、建設的な議論とは思えません。
最後に
理系は文系と比べて優遇されているとよく言われます。確かに給与面で見てもそうだと思います。メーカーの採用も文系より理系の方が採用枠は大きいです。文系を安く買い叩く国という人までいるぐらいですし。しかし、優遇されているかと言われるとそうではありません。研究開発費は減っており、先進国では最低水準です。高校の時、仲の良かった化学の先生はすぐに成果の出る分野への投資は多いが、基礎研究のように成果が10-20年先にならないと出ない分野への投資はほとんど進んでいない。学術分野への投資の意思決定の場に理系の人を入れて、理系としての意見を発信すべきはないかと言っていました。工学部に進んだ友達も同様のことを言っており、今、日本でノーベル賞を取っている人たちの研究分野は10-20年前に投資された分野で、ノーベル賞の受賞分野を見れば、10-20年前のトレンドがわかると言っていました。そして、その後に言っていたことが非常に気になりました。基礎研究の分野をおろそかにすると、今後、日本がノーベル賞を取れなくなってしまうかもしれない。芽が出にくくお金にならない分野ではあるが、基礎研究がなければ、そこからの応用は生まれないし、ある時点で科学技術が止まってしまうことになると言っていました。
文系的な目線で見れば、成果はすぐにほしいですし、出るものだと思ってしまいます。しかし、そういった短期的な目線でしか物事を見ることができないとそういった事態に陥ってしまうのです。民間レベルで理系分野への投資は進んでいるように思われますが、ある程度資金を回収できる分野に限られ、資金の回収は難しそうで、これから必要になっていくかもわからない分野への投資をためらうのもわかります。
しかし、そういった分野がすべて無駄かと言えばそうではありません。その中から世界をひっくり返すような発明を生む技術が開発されるかもしれません。理系の研究者にある程度、充実した研究環境と待遇を与えるべきだと思います。理系と文系は対立する学問分野ではありませんが、互いに理解できない部分もあると思いますが、理系の研究を守ることができるのは理系の研究者だけです。今後の日本のためにも、理系を選択する人を増やすべきだと思います。そのためには、研究者への待遇も必要と考えます。