メキシコ生活記録② ーメキシコに着いたよ
メキシコ帯同を決めたものの、予定していた出発時期とコロナのパンデミックが重なり、実は2年くらいおあずけをくらった。「メキシコ行く行く詐欺」状態が長くなってしまい、中止になったもんだと思い込んでいた友人もいたほどだ。で、その延長された2年の準備期間で、何をしていたのかというと、特に何もしていなかった。もちろん、こどもたちの英会話などは続けていたが、特別だと思えるような準備は特に……きっとこれについての後悔は、8月にこどもたちのインターナショナルスクールが始まってからリアルに押し寄せてくるのだろう。そのときまでのお楽しみ。
なにはともあれ、去年の8月に夫が先発し、それから10か月を経て、私たち(中1、小4、私)はメキシコへやって来た。そして、今、メキシコ生活が始まってから3週間がたとうとしている。端的に、感じたことは2つ。
・海外こわい
・異物感すごい
順にみていこう。
海外こわい
これは本当に意外だった。結婚前、私はわりと海外へよく行く人だった。サイパンでダイビングのライセンスを取ったり、バックパッカーとして友達とインドを横断してみたり、1か月間カナダへホームステイしていたこともある。そのどれもがおもしろおかしい、いい思い出だ。しかし、結婚してからは、新婚旅行を最後に15年くらい?海外へ行っていない。お金も時間も違うことに費やしていたからね。そしたら、どうだ。海外、こわいじゃないか。
これは、老いからくるものなのだろうか?気力も体力も、海外へ行きまくっていた20代の頃とは違う。なのに、海外ブランクが時空を歪ませ、なぜか私は20代の頃のままで海外へ降りたてると思い込んでいたらしい。だが、実際は40代だ。長時間に及ぶ移動、異国のにおい、いっぱいいる外国人、分からない言語、そのどれもを以前はおもしろがっていた。失敗やアクシデント、ハプニングこそが醍醐味でしょ!とか言ってたね、昔は。これって、階段を駆け下りるのがこわくなったとか、高い所に立つのがこわくなったとかいう、老い的な何かなの?きっとそれもある。体力がなくてリカバリーに時間がかかるって分かってるから、疲れるのこわいし、体調崩すのもこわい。ケガもこわい。気力もないから、英語通じないとダメージくらうし、どうしようってこわくなる。全然おもしろくない。インドのヤバそうなレストランに入ってみようよ!って目を輝かせていた自分が、まさかこんな臆病な大人になってるとは思いもしなかった。スタバがいいよ。スタバで安心したい。
でも、当時と違うのは年齢だけじゃない。当時はまだ独身で、もちろんこどももいなかった。思えば、自分が守らなければならない存在を連れて海外に行ったことなどない。これが初めてだ。幹事として友達を連れてサイパンへ行ったことはあるし、その時もみんなの安全にすごく責任を感じていたが、彼女たちは私のこどもではないし、すでに成人していた。もちろん、ダイビングショップから帰ってきた私が、ホテルのプールで米兵さんたちと楽しそうに騎馬戦をしている彼女らを見たときの震えるほどの「何とかせなあかん」感は、言うに及ばないが。何はともあれ、今やただ空港内を歩くだでも、あの時の騎馬戦@プールに通じるような恐怖が付きまとうわけ。こども連れ@海外の緊張感は半端ない。
というわけで、私は海外がこわくなってしまった。先にメキシコで暮らしはじめていた夫に、もっと色々やってみなよ、私ならもっとガンガン行くよ!とか言ってごめんね。ちびちびしか行けないわ。
異物感すごい
これ。もうすごい、これ。今までも、はじめましての街へ移り住んだことが何度かあり、そのたびに感じてはいた。ただ、そこには同時に「今は知らないこの街もきっと馴染みの街になっていくんだろうな」っていう期待もあった。でも今は、私がこの街から浮いてる感じ、馴染んでいない感じがすごい。スーパーマーケットで買い物してるときも、敷地内にゴミを捨てに行くときでさえ、堂々と胸を張って歩けない。別に、アジアンヘイト的な差別を向けられたわけでもないし、治安が悪くて安心できないというわけでもない。そういうのではなくて、シンプルに「私はこの街にとって異物だな」と思うわけ。で、そこに「ま、そのうち馴染むでしょ」的な希望的観測がないわけ。これも海外こわいと関係してるのかもしれないけど、どっちかというと「友達ができる気がしない」感に近いのかも。
私にとって街に馴染むとは、そこに住む人たちとのつながりができるっていうことらしい。友人知人ができてはじめて、私はそこの住人になれるっていう感じ。で、今までの人生で、私はこの知らない街でのゼロスタートを3回やった。高校進学、大学進学、それから結婚。これらを契機にやって来た知らない街を馴染みの街にしてきたわけだ。今回で、4回目。@メキシコ。最難関だな。
それに、今まで海外へは「旅行者」という身分でしか来たことがなかった。「旅行者」っていいよね。異物でいることが許されている、異物感を楽しめる特権者って感じがする。旅行って、非日常を楽しみに行くものでもあるしね。ホームはここじゃないからこその「旅行者」。もちろんそれで寂しい思いをすることもあるんだけど、今はちょっとまぶしいよ。
そうか、私は今「居住者」で、この異国の地を「自分の街」だと思っているんだな。だから、何かこわいし、異物感が気になるのか。突然の豪雨も、何かいらん味のするマヨネーズも、案外おいしいフルーツジュースも、日本のより根性のある冷凍ブロッコリーも、トラックの荷台にめちゃくちゃ人が乗ってる光景も、水流の鬼弱いトイレも、雨季のはじめにだけ咲く満開のフランボヤンも、ぜんぶ、日常になっていくのか……のか?
ま、ぼちぼちと「暮らす」ことをはじめていきましょうかね。この街を離れるその日に私が何を思うのか、今から楽しみにしておきましょう。
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