メキシコ生活記録⑬ ー海外で落ち込んだので自己分析した話(帯同家族のメンタルヘルスについても)part.1
信号が4つ並んでいるとか、荷台に人がすし詰めにされているトラックとか、メリダの異世界感にも馴染んできた今日この頃。今回は、そんな私の心の健康管理について、2回にわたって書こうと思う。
私は、知人や友人から「ポジティブ」「強い」みたいな印象を抱かれることが少なくない。この印象は外れてはいないし、私がこうした印象を誰かに抱かれることはもちろん想定内だ。だって、自身がそういう生き方をしようと意識してそう生きているから。つまり、私は「天然」ではなく「人工」。
こう書くと、「ポジティブ変換するために必要なマインド5選」みたいなハウツー話が始まりそうだけど、違うからね。
今回書きたいのは、私がオンラインの哲学講座(@公民館)でもやらしてもらっている「自分で自分の説明書を書く」という自分研究の作業を、私自身がどう実践しているか、ということについてなのです。
これがどんなことをしている講座なのかということを詳しく説明することはしませんが、とにかく「自分の思考のクセ」をつかんでメンタルヘルスに役立てるためのトレーニング講座だと、さしあたり思っていてください。そのための道具立てとして、私は「哲学」を使っているって感じです。
で、いつもは参加者の方々を中心に行っているのですが、もちろん私自身も日々実践しているわけです。そのリアルな様子をお届けできたらなと思う。
そのpart.1である今回は、さしあたり「何があったのか」という事実確認が主な内容になっています。(自己分析はpart.2でお届けします!)
こっちに来てからめっちゃ凹んだ
思えば、昨年の10月あたりが凹みのピークだった。論文の執筆が思うように進まない上に、大きめな学校行事ともスケジュールが重なり、身体的にも数年ぶりの膀胱炎を発症したりと、すべてにおいてきつかった。加えて、子どもたちも体調を崩したりしたので、その看病もあったし、もちろん、まだメリダの生活にも慣れていなかった。運転免許こそ取得したものの、1人で運転するのが怖すぎてなかなか出かける勇気も出ずじまい。たとえ家族と一緒でも、まだどこへ行くのにも緊張していた。そういう小さい無力感が積み重なって、もう毎日、自分のダメさ、出来なさしか目に入らなくなっていた。
日本にいるときも定期的に落ち込んではいたんだけど、友達と話したり、1人で映画を観に行ったりすることで、どうにかコントロールしていた。でも、メキシコにいる今、日本と同じコントロール方法が使えない。そんな日々の積み重ねが、2つの出来事を機に爆発してしまった。
①全然英語が話せない
去年の10月、学校では文化祭のような行事が盛大に行われた。
簡単に説明すると、各クラスが担当する国を決めて、その国の文化を学習して発表するという催し。1号ら中学生の部は、担当する国の料理などを提供するお店をクラスで出し、2号ら小学生の部はパレードをする。そして、2人とも自分のクラスが担当する国が「日本=Japón(ハポン)」になったのだ。
おそらく、先生の配慮もあるんだろうけどね。子どもたちも私も、この文化祭のおかげもあってクラスにはやく馴染むことができたし、結果的にとても有難かったんだけど、単純に私の仕事が2倍になってしまったわけ。
心身ともに余裕のある状態だったら何も問題なく楽しめたんだろうけど、論文と膀胱炎に追い詰められているときにこのタスクが発生したもんだから、負担感が5割増しくらいになってしまった。
特に2号は、パレードをするので、その衣装をどうするのか、という相談に始まり、発案からそれを学校で子どもたちが作るお手伝いに行ったりと、学校へ行く機会も増えた。
また、日本の小学校では給食というのがあって、みんなでご飯を作って食べると聞いたので、クラスでもやってみましょう!という先生の(やや解釈の違う)発案で、パレードの次の日に、クラスで巻きずしを作ることにもなった。もちろん、私もお手伝いに行ったのだが、巻きずしを巻き終わった後、先生から「日本文化のことを紹介してください」という無茶ぶりをくらう。これがね、本当に思ってる以上に話せなくて…。
「日本で一番有名なお祭りは何ですか?」「一番好きな折り紙は何ですか?」「”こけし”って何ですか?」とか、子どもたちの屈託ない質問に、なかなかすっと答えられない。「有名な祭りって色々あるけど、どれを言えばいいんだ?」とか「”くす玉”って英語で何て言うの?」とか「”こけし”って実はかわいいだけじゃなく…」みたいに考えてると、沈黙してしまう。そしたら、日本に行ったことのあるカナダ人のママさんが「桜フェスティバルとかあるよね?」「ツルが有名よね!」とかって、助け船を出しまくってくれた。「あ、そういう感じでいいんだ」と思ってうれしかったし、有難かったんだけど、そしたら何かもうカナダ人の方が日本に詳しいじゃん状態になってしまったわけ。子どもたちはそんなふうには思ってないと思うけど、私自身がね、そう思ってかなり凹んだ。
日本文化について話したいことはたくさんあるのに、英語力がないために1割も伝えられない。あげく、テンパって間違えて伝えていたことに後で気が付いて、帰ってから先生に訂正のメールまでした。本当に情けない。何のためにここにいるのか分からない。浴衣を着てきたり、雰囲気だけは作ってきたけど、中身がない。もう本当に落ち込んでしまった。
②味噌を忘れる
巻きずしミッションの日は、1号の出店の日でもあったので、2号のクラスを後にしてから1号のお店へ向かった。
中学生の各クラスごとのブースがあり、各国の遊びやゲームを体験できるコーナーが用意されていたり、料理を無料でふるまってくれたりする。1号のクラスもお味噌汁やお団子などを提供する。中でも日本文化が好きな1号が一番お世話になってるお友達はお味噌汁担当になって張り切っていた。
で、前日になって、その子のお母さんから「味噌を買い忘れたので明日持ってきてほしい」という連絡をもらった。…なのに、私は当日、味噌を忘れてしまった。
浴衣を着たり、巻きずしの用意をしたりと朝からドタバタだったので、味噌のことがすっかり飛んでしまったのだ。しかもそれを、1号のお店に食べに行ってやっと思い出した始末。味噌がないので、お出汁のみのお汁が提供されていた。それで、私はこの時「味噌を取りに帰る」ということもできたのに、それが何故か思いつかなかったのだ。本人にもそのお母さんにも謝ったし、2人とも笑って許してくれたのだが、お友達に悪いことをしてしまった!という思いでいっぱいで、かなりテンパっていたんだと思う。巻きずしミッションの後の日本文化紹介がうまくできなかったショックから頭が切り替わっていなかったのもあるだろう。
そして、帰宅してから疲れ果てて泥のように少し眠り、起きてから「味噌を持って行けばよかった!」と思いついたのだ。だがもう時すでに遅し。
1号が帰って来てから「お味噌汁は余ったから捨てたみたい」と聞いてさらに落ち込む。お出汁はうまく取れていたので、きっと味噌があればすごくおしいかったに違いない。私のせいで彼女の努力を台無しにしてしまったという自責の念と後悔に押しつぶされそうになる。今思い出しても胸が痛い。
私なんかが生きててすみません
もちろん、味噌に関しては1号も忘れていたわけだし、そもそも彼女のお母さんが買い忘れたわけなので、私だけの責任ではない。そんなことは分かっている。でも、単なる失敗が「私不要説」に簡単にすり替わってしまう。久しぶりに「私なんかが生きててすみません」モードに入り込んでしまった。
こうなると、もうジタバタせずに、私は沈みきることにしている。絶対に底はあるので、それを確認しに行く感じ。底に着いたらあとは浮上するだけだ。だから、こういう時は「これ以上沈んじゃダメ」と抵抗する方が、私にとっては逆効果なのだ。自責を無用に長引かせてダメージを増大させてしまう。
ただ、「このままどこまで沈むのか分からなくて怖い」という底なし沼のイメージを抱く人も多いだろう。でも私には「底はある」という経験に裏打ちされた直観がある。だから、沈んでいくときは、沼ではなくクリアで明るい海のイメージ。綺麗なのに誰もいない孤独な海のイメージも怖いっちゃ怖いけど、私にとっては沼よりマシ。こういうオーダーメイド対処法の数々は長年の経験から編み出しているので、さしあたりはなんとかできる。
とはいえ、沈んでいる時は苦しい。苦しいから、1人でカラオケに行ったり、スタバでプチ贅沢をしたり、めっちゃオシャレして買い物に出かけたりしてやり過ごしていた。ただ、ここはメキシコ。日本と同じようにはいかない。今なら、ひとりでショッピングも行けるが、運転免許を取ったばかりの10月当初は、ひとりで運転することの方がストレスだった。
では、どうするか?私は「1号に話す」という選択肢をとった。
夫でも2号でもよかったのだが、1号を選んだのは、彼女が程よく私と違うタイプだから。夫と私は思考のタイプが全然違う。そのため彼の負担が正確に測れないので、私は思い切り吐き出せない。2号と私は感情のタイプが似ているので、たぶん一緒に落ちてしまうか、心配をかけてしまう。そこへきて1号は、思考のタイプはやや似ているが感情のタイプが私と違う。だから、だぶん1号相手なら思い切り吐き出しても大丈夫だろうと判断した。こういう相手選びも重要。
結果、1号は「こんな落ちるん⁉笑」って、めっちゃびっくりしていた(笑)。私は基本的に自分のメンタルは自分で何とかできるので、日本にいるときは家族の誰も私のこんなに凹んだ姿を見たことがなかったのだ。1号は「そんな凹むことじゃないやん!こわっ!もうやめてww」ってドン引きしながら笑っていた。別に誰かに頼れない/頼りたくないわけではなく、ただ自分で何とかできるからするっていうだけだったので、自分で何とかできないなら、私はふつうに誰かに頼ります(笑)。
ただ、本当に、外に吐き出しただけでかなり楽にはなった。「言葉にして出す」っていう作業は大事。頭の中もクリアになるし、時短にもなった。底へ着く時間のね。
ここで終わりそうだけど、本番はこれから
多くの場合、落ち込みが和らいでいくらか「すっきりした」という状態になれば、それがゴールになると思う。だから、「誰かに聞いてもらうのが重要」「1人で溜め込まないのがメンタルヘルスを保つコツ」などのアドバイスが効く。もちろんそれには同意しかないけど、でも、私にとってはここからがスタートなのです。つまり、「底から浮上するとき=負の感情が落ち着いて思考を邪魔しなくなったとき」なので、ここから私は自己分析を開始する。
さっき書いたような「生きててすみません」状態では、まともな思考ができないので、分析なんて絶対無理。だから、しない。だから、できるようになるまで待つ。今回は、その「待つ時間」が、海外在住というイレギュラーによっていつものようにできなかったのよね。でも、1号のおかげでなんとか、底を確認できた。育った子に感謝だ。
さて、本番はここから。私は一度沈むと深いので、もう二度と同じような案件で沈みたくない。本気でいつもそう思っている。だから、徹底的に分析して次に備える。簡単に言うとこんな感じ。
● 私が凹んだ原因は何か?(事実べースで考える)
➡ 具体的な事態の確認 ➡ そのどの要素が私を凹ませたのか
● その要素によって私が凹んだのはなぜか?
➡ 自分の思考のクセを確認 ➡ なぜその要因が私に響いたのか?
➡ 無自覚にデフォルト化している前提思考を掘り起こす
● 同じようなことで沈まないためのマインドセットを新しく作る
だいたいの流れはこんな感じ。ただ、これだけ見せられても誰もピンとこないと思うので、実際にどんなふうにやったのか、次回のpart.2でお見せできたらと思います。
お楽しみに~!