「入院生活」11 どんな時も、どんな境遇でも
12月22日
私もいつ死ぬかわからない。死後の準備をしなくては。もう先延ばしはできない。いつ死んでも大丈夫なように、準備をしよう。
5時18分起床、モニペ書く。というか、その前から、いつ起きようかタイミングを布団の中で測っていた。ほとんど寝られず。
消灯後は病室のエアコンが切られているから、寝間着では寒い。障子窓を開けたが、外は暗くて何も見えない。水の滴る音が聞こえる。雪ではなく雨ならば、積雪が融けていくからいいか。
昨夜の点滴の時に、夜勤の看護師さんに、
「明日(つまり今日)の点滴は朝10時から。午後は検査で、何も出なかったら、その後もう点滴ないから」
と告げられる。そして、
「長かったね」
「長かった、す」
と私は答えた。点滴がない=治療終わり。出ていけ、退院。ということになる。
長かった。入院生活だけで約2週間、その前の自宅で呻って寝ていた5日間を足せば、3週間ちかく会社に行っていない。親きょうだいの葬式でさえ、そんなに連続で会社を休んだことはない。やはり全事務所の分、菓子箱が必要だ。帰れば敵もいるだろう。溜まっていた仕事が山になり、どさっと覆いかぶさってくるだろう。
そんなことよりも、入院生活で見つけた発見や宝物のような体験を形にしたい。発信したい。アーティストとして一枚皮がむけた(大げさ!)ような気がする。
ユーカラさんに返信した。
「どんな時もどんな境遇でも、何か楽しいことを見つけてやっていくしかありません。あなたもそんな方だと思います」と。
ユーカラさんから、
「どんな時も明るく乗り越えるN2さん、あなたは本当にエライ!!」
というコメントを頂いたので。
何も、明るくしようとがんばったわけじゃなくて、それしかできることがなかったんで、遊んでいただけなんだけど。
親ガチャとか、こんな日本は衰退する一方で未来がないとか、色々書かれているけども、格差や不公平、不合理、理不尽は、どうしてもあるもんだ。
それを放置していいということではないが。
その時々、何か楽しいことをみつけてやって来た。嫌いな仕事でも、何か面白い、やりがいのある、自分が熱中できる要素を見つければ二十数年続けることができた。
だから、下らなかろうが、無意味だろうが、下手くそだろうが、自分が楽しいことをする。どこかでする。こっそりとする。それが生きるコツ、生きる証みたいなもんだと思う。
もうすぐ退院。この長いお休みも終わる。
この苦しみはクリヤ(霊的試練)だと、以前書いた。今振り返ると、それは正しくもあり、誤りでもある。
試練というほどの厳しさではなかった。しかし、この前後で私は生き方を変えなくちゃいけない。いや、自然と変わるだろう。どんな方向に行くか、よくわからないけれども。