《エッセイの練習》 8月11日・山の日
《新世界通信》のエッセイを書きたいけれど書けません。エッセイを書く練習だと思ってやってみるだけなので、気にしないでください。
なお以下の文章は、私の個人的な思いであって、事実ではありません。フィクションです(笑)
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今、何を考えているか。昼食のハンバーガーセットを食べ終わって、腹いっぱいだな、頼みすぎたかな、ということ。ショップの席の目の前は大きなガラス窓で、夏の景色とそのまま接続されている。
店頭を囲う、小さな木の生垣ごしに二車線道路が伸びていて、時々車が横ぎっていく。「夜モスライスバーガー」の幟が風にはためいているから、風があるらしいが、熱風だろう。駐車場から店まで歩くだけで汗ばむほどの猛暑だ、今日も。道の向こう側は、有名なケーキ屋があり、その裏手に公園があるらしく、開けた空間の上に入道雲が浮かんでいた。アニメ「天気の子」に描かれたような、立体的な高層ビルのような雲だ。
こんな風に考えていること、心のスクリーンに映ることを、モーニング・ページに書き出している。毎朝書くことにしている。今日はなぜ昼に書いているかと言うと、朝ちゃんと目覚めたのに、SNSとYoutubeにふけって時間をとられ、予定が狂い、書けなかっただけである。場所を変えて書くなんて、カッコいいもんじゃない。
モーニング・ページ(略してモニペ)を書くことは、自分の心の在りかを見定めること。自分が今何を感じているか。幸せか不幸せか。気持ちいいのか不快なのか。動きたいのか休みたいのか。そんな様々なことを自分自身に訊く時間。
モニペを書くと人生が変わるという。だから朝、寝起きに書くのが一番だ。モニペを書くと発見がある。そして奇跡が起きる。
奇跡なんて宗教くさいことを書いたが、それを起こすのは神の力ではない。自分の中の生きる力だ。その力で私の毎日は進む。毎日が続けば人生だ。私の人生を変えれば世界も変わるかもしれない。しかし、力を見定めなければ、生きる力は無駄になってしまう。
もう無駄にする力も時間もない。まだ、一から立ち上がる力が残っているんだろうか。
見事なまでに何もない私。普通の人が持っているもの、何一つない。これが長年求め続けてきた自由というやつか。
長い間夢見続けてきた解放。自分の運命、境遇、環境から抜け出すこと。まだ終わらないけど実現の目途は立った。しかし、イヤなことをしない、逃げるだけが自由というのも悲しい。
欲しいものを手に入れる。望むものを実現する自由というのも欲しくなってきた。少し欲張りになっている? ものが欲しい、よりも、なりたい自分になる方がいい。いずれにせよ、力がいる。ガマンもいる。才能や能力も必要かもしれない。
そして、結局、手を伸ばしても届かず絶望することになるのかも。いや、必ず苦しむことになる。何かに執着することが全ての苦の原因だと、仏教では説く。
(続く、かもしれない)