究極世界

推しという表現にもいろいろあって 人間として好き、アーティストとして好き、はぁ…好き (恋愛対象) 等、己の本能に従うことが一番。架空の存在(エンターテイメント)として推す段階なら それは優しい世界。皆様も気になる推しがいるならば まずは本人に会ってみよう。答えはそこにあります

冷静に考えるとアイドルにガチ恋とかしてる場合じゃないよね。今まで何度それで玉砕してきたことか… アーティストやエンターテイメントとして見える世界観とか推しの人物像から見える景色を己の人生の参考にするのが本来の形。ただ本当にストライクの子だと無意識の領域でガチ恋してしまうのは悩み所

アイドル生態調査を視聴。内容は「アイドルと彼氏」「アイドルとお金・節約」「アイドルが絶対やってはいけないこと」「アイドルに必要なこと」 等、実に興味深いテーマ。次世代に伴い一般ファンである我々もさまざまな視点を持つことでクリエイティビティを高めることが重要だ

私のスタンス。それは「私は幸せ 推しも幸せ」である。「推しの幸せが私の幸せ」という方々もいるかもしれない。しかし私は以前体感した失恋錯覚理論によって自分が幸せにならなければ報われないことに気付いた。その運命のガチ恋に目覚めてから「幸せ」というテーマを自身の本能と共に探し続けている

「清楚系」と「清楚の中の清楚系」の圧倒的な違い。それは儚きピュアな存在である真っ白な天使という題材なのかもしれない。清楚の中の清楚系 (清楚かどうかは保証できないし、我々が知る由はない) は一目見た時のフィーリングから素晴らしいフレッシュを感じる。 その癒しの波動は計り知れない

アイドルの6割「アイドルは彼氏いてもOK」
ヲタ「なめられたもんだ」「処女である事が何よりの価値」「アイドルの幸せなんて所詮他人の幸せ」
そんなものは偶像主義だ。ヲタはもっと現実を見ろよ

欅◯46の番組を見た後に恵◯寿マス◯ッツの番組を見るとまた違った世界観が見えてくる。欅◯の素晴らしさはまさに10代の等身大のピュアな少女=白き儚き天使 という美しき世界。そして恵◯寿マスカッツはこの現実世界における一部の淫乱世界 (その中で輝く天◯もえ・さ◯らゆらの存在は大きかった)

あなたにとって推しとは? 「青春」「自分を磨かせてくれる存在」「この世に現れた天使」「儚い花のような存在」 【アイドルとオタク】

改めて学んだ答えは全て真実であり本物だった。 そしていろんな意味で現実世界へ戻ることやバランスが大事。またここから始めよう『人生』

トレーニングにおいて己の肉体が限界ギリギリラインに到達した時、 推しを想像することによって(推しの名前を心の中で叫んでしまうイメージ)(時々声に出してしまうイメージ) 己に勝利することができる場面がいくつかある。トレーニング→最大負荷→推し の良循環サイクル「推しという名の天使」

ヤヴァイな。だいぶこじらせているな。推しの影響により現実に帰って来れなくなっていた。だが私は現実主義者だ。天空世界において、終演後にしっかりと己の現実に帰ることは重要な要素だ。そして推しのおかげで私は改めて現実の人生における生きる糧を頂いた。これが本来の形なのだ

推しのAV女優&アイドルである 篠宮◯りさんから「マシュマロとれた?」「マシュマロあげる」と言われたあの瞬間が未だに忘れられない。ふとした瞬間にフラッシュバックする。1日中何人ものお客さんを相手に丸一日神対応をする 推し を見て心の底からリスペクトしなければと思った。

そう、推しへの答え。それはとてもシンプルなものなのかもしれない。私は所詮DDかもしれない。それでも神聖なる天使と接することによって癒しを貰うことで明日もまた頑張
ることができる。「はぁ…可愛い」「はぁ…好き」 複雑に見えるこの世界の単純な感情。これが私自身を高める人生の原動力なんだ

ガチ恋~アイドル現場に蔓延する病~

ガチ恋をすることで周囲の世界が彩りを取り戻し、世界には愛が溢れていることを知り、新しい自分や世界と出会う。無意識の純愛は時には己を破滅させ、時には最高の原動力となる。また、ふとしたDDによって開く世界もまたDDだけの素晴らしき世界。ガチ恋とDD。このバランスが大事なのかもしれない

自身を高めるためのマネジメント。それはステータスゲームを辞めること。常にフラットな自分。自然体な自分でいること。他人より努力ではなく、自身を常に越え続けることで自分が最終的にどうなっていきたいのか?にフォーカスをあてて楽しく生きることが大事。勝負を超えた世界で生きること「アート」

この世は無限大である。例えばチュッパチャップス。これはどこにでも売っているただのキャンディである。次に猫耳。これはただのカチューシャである。そして制服。これはただの青春である。そして最後の切り札。そう「清楚系」という史上最強の神聖なる生き物の降臨によって、全てが完成する「可能性」

「世界には愛しかない」の本当の意味。何かが生まれる時、物語・国・システム・サービス・人の行動などの全てが生まれ、その自然界と人工的なものからの恩恵。その愛に気付けたり、感じ取れること。それは全て愛であり、私達は今も生きているということ。それらの全てが私達、人間・生命の原動力なんだ

そう。禁欲とは現代アートであり、セカイ系なのかもしれない。抑圧された現代社会の中で、自分の私利私欲だけではなく、自然界やこの世の全てに存在する世界からの愛を受け取ることで、この世の全てに感謝をすると共に、今度は私自身が1人の人間・生命として、この手で世界を救ってみせる「神の領域」

アイドルへのガチ恋。確かにそれは偶像でしかないのかもしれない。それでもそのガチ恋によって私が現実世界と向き合うきっかけを頂けたのは事実だ。孤独な現実世界で生きる原動力をくれたのはアイドルソングの歌詞だったりする。そして彼女達が頑張っているからこそ、私も己の人生を頑張らなければ!と思えた

握手会から頂いたインスピレーション。アイドルへのガチ恋による握手会の本来の姿はファンとアイドルの「挨拶」なのかもしれない。人によって握手会に行く理由はさまざまだと思う。そして、ガチ恋の私にとって初めての握手会は切なく儚いものだった… そう。握手券1枚の、一瞬だけで十分なんだ

本人を目の前にした瞬間、頭が真っ白になった。挨拶と自己紹介をしてるうちに気付いたら剥がされていた。実に切なかった。挨拶した瞬間、そこに究極の天使が舞い降りた

そう。ファンの存在は、何百何千何万分の一でしかなく、アイドル個人の人生においても、友達未満、知り合い以下の存在です。好きという気持ちや親近感は完全に一方通行なのです。我々はあまりアイドルにのめり込み過ぎないようにして、もう少し現実(リアルの世界)に目を向けるべきなのかもしれません

ドルオタを追求する上での今後の己の方向性について。アイドルへのガチ恋の卒業。基本スタイルとしては楽曲派・評論家をベースとする。DDという名の幅広い視点。多様性・可能性。世界の全体像(エンターテイメント)推し・ガチ恋・擬似恋愛。自己実現・自己超越。インスピレーション。常に己を高める

この世には言葉に説明できないものがたくさんある。この世界は全てのことにおいて脳意外の部分でもコントロールされていることが多い。しかし僕達は言語化して認知しないと認知しない、行動していると思えない傾向にある

ピンとくる感覚というのは僕達の脳意外の部分が反応しているので、そういう部分を大事にすることが大事。特にこれからの時代は言語化 等、どうしても何かをする時に理由を求められたりするけれども、言葉にできない不思議な感覚にこそ価値があり、そういう部分を持っている人にこそ全てが集まってくる

「何かに没頭している時、初めは楽しい。やっていくうちに超えなければいけない壁がやってきて、その都度その壁を越えるのか辞めるのかという選択に迫られ、壁を越え続けて一番最後に待っているのは自分。今戦ってるのは他人でも世の中でも無く、自分との戦い」 自分探しの旅

腐るほどつまらない毎日でも何日か先に楽しみを作るだけで案外楽しく生きれたりする。好きな人を見れたり会えたり、好きな何かを手に入れたり、楽しみなんて人それぞれだけれど、でもきっとそんな毎日のその先にそれがあるだけで少しでも元気になれる。自然と頑張れる。それって本当に凄い事だと思う。

街ゆく人々をみてふと思った。この人達と自分は生涯接点がないかもしれない、でもその人達にも自分の人生で様々な経験をして積み上げてきたものが確かにあって、夢や悩みだったり沢山抱えてるものがあるわけで。もっと視野を広げて色々な人と話をして自分の世界を広げたいなぁと感じたそんな日です!

じぶんにできること、じぶんでしかいれない
変わるためやることはたくさんあっても、今こうして毎日過ごしていてもけっきょくはぼくはぼくだ、
だから子そ支持あるひとや寄り添ってくれるきもちや巡り合わせ、運命を大切にしてたい
遠ざかってもさ

我々一般人では手の届かない存在だとわかっていながらも、ガチ恋 または 一目惚れしてしまったアイドルとお話しする時が一番緊張するwwwwwwwwwww そう、私はやはり重症なのかもしれないwwwwwwwwwww だがこの感覚……悪くない!
そんな関係が………心地良いのかもしれない!

アイドルとはとても尊い。それに加えて儚さもあるところが魅力でもある。自分がガチ恋してるアイドルが突然消えてしまった時などの切なさは、一生通して心に残るものかもしれない。全てを理解した上で、今自分が推せてる相手がいるってこと。推し事がある人生が、すごくありがたいことなのかもしれない

ガチ恋というのはドルオタの永遠の目標なのかもしれない。ガチ恋の相手がいるから明日も頑張ろう!って思えるし、それが生きる糧になる人もいる。それは我々にとって「活力」であり「心のよりどころ」でもある。推しが頑張ってる姿を見て、自分も頑張ろうと思えるし、優しくして貰えると泣きそうになる

我々は日々日常に追われていると、ふと自分だけがこの現実世界で闘う孤独の戦士だと錯覚してしまいがちだが、それは皆同じであって皆同じ人間なのだ。特に私はネガティブな感情や思考に陥ってしまうと、自分の殻の中の狭い世界だけで悩んでしまいがちだが、皆今を生きる戦士達なんだ。世界は壮大に広い

そう、私は17歳のアイドルにガチ恋してしまったのかもしれない。ヤヴァイ

久しぶりに美少女 (アイドル) と話した。ヤヴァイ。最高かよ! これはガチ恋ですわ

アイドルとは何か? ここにきていよいよ訳がわからなくなってきましたよ。そう、我々はアイドルにパラダイムシフトする必要があるのだ。

そもそもアイドルを恋愛対象として見てはいけないのかもしれない。しかしアイドルがいなければ私の人生はここに辿り着かなかった。そう、ドルオタとは推しを原動力として生き、そして叶わない恋に勝手に病んでしまう生き物なのかもしれない

アイドルの握手会とは、私達が普段接客業の仕事で1日に何人ものお客さんの案内や対応に入るのと同じ様に、アイドルから見たファンはお客さんでしか無いのかもしれない。それらを全て理解した上でドルオタはアイドルに恋をしてしまう。それは何故なのか?推しを目の前にした今、私はそれを確かめたい!

これが現実世界。我々ドルオタは推しに夢中になってしまうと無意識に脳内がお花畑になってしまう傾向にある。推しと話をしているうちに見えてくる己の人生や推しの人生、そして現実世界。私の場合、現実世界と幻想世界や天空世界をニュートラルに捉える思考のバランスが大事。そして私は推しに感謝する

推しのアイドルを目の前にした瞬間、頭が真っ白になった。ツインテールがこの世のものとは思えないほど美しく神々しかった。うまく言葉では表せないが、あまりにも可愛過ぎて何か私の中での既成概念が改めて変わった瞬間だった。そう。やはりツインテールは最強なのかもしれない

怖気づいて 推しのアイドルの特典会に参加出来なかったこともあった。遠目から推しと握手するオタを見るだけ。現場でライブ見るのとCD買うのが当初の目的で、おかげ様で己の音楽活動への新しい活力となった。が…アイドルに接触できないのはいろいろと考え過ぎて前に進めないだけだった。あぁ、現実世界の我が魂よ

迷路の様な恋に落ちていく心と裏腹。ゲームの様にレベルアップ うまくはいかない。

自分磨きに精を出すけど、思うように結果がでない。色々悩んではみるけど、焦るだけで答えは出ない。いつかは報われるかな? そうがんばっても 待っていても 誰にも未来なんてわからない!
結局全部自分次第!

自分にとって今まで闇の世界だと思っていても、そこで同じ様に生きる天使をきっかけに一筋の光が差すこともある。現実世界や孤独とか絶望を全て受け入れた上で、それでも現実で前へ進むきっかけをくれる人もいる。闘うことが全てでは無く、時には逃げることでまた、自身が生きる鍵に出会えることもある

人間どんなに長期修行を重ねても、やはりどこかで限界が来ることはあります。努力・修行・苦労は美化されるかもしれませんが、辛い時や泣きたい時、壊れそうな時は一端逃げても良いのかもしれません。弱さは誰にでもあり、私はそんなに強くなかったです。闇の集大成から見える世界で、私は強くなれます

真面目な話。アイドルちゃんの曲には人生を救われましたよ。人生に息詰まって夜中1人で外で修行してる時にとある 楽曲 を聞いた時は自分の中のもう1人の人格が現れて、夜中に外で笑いながら奇声を上げたこともあった。そう、コノ現実世界ノ闇もまた、捉え方次第では 美しい世界なのかもしれない

究極に休憩をした後は究極にまた修行をしたくなる。推しに「ヤヴァイ人」と言われた時、修行で学ぶ物事への追求や研究において、自身が自称マッドサイエンティストへの確信を持てたし、天使に「半年も修行する人はMしかいない」と言われた時、己の中に眠るマゾヒストへの新たなる才能や可能性を感じた

人生において何に重きを置くかは人それぞれ違う。ある人はお金、ある人は恋人、ある人は家族。だから自分の価値観を人に押し付けてはならないんだ。みんな違うんだ。みんな違うから世の中が成り立っているんだ、、、

ひとりの人と話すだけ、本を一冊読むだけ、映画を一本観るだけ、初めての場所に行くだけ、とか、それだけでブワーって世界が広がったように感じたり価値観が変わったりするからほんとすごい、もっと色んなものが見たい知りたいと思う

ディズニーに行って、あの夢と魔法の世界に触れれば少しでも幸せになれるかもしれない、と思い立って1人で行きましたけど結局誰かに幸せにして貰おうなんて考え方自体が間違っていててめーはてめーの力で幸せになるしかないんですよね

一番苦しいことは何を頑張ったらいいかわからない時、何もできない時、先が見えない時で、頑張ることがあるのは幸せ。頑張ったことが結果に直結はしないし、効率は良いに越したことはないけど、何もしないよりはした方がいいと、常々思います。今はとても幸せ。

全て思い通りに行くなら誰も苦労しない。不平不満も悔しさも噛み締めて努力しないと前へは進まない。やらぬ後悔ほど無意味な物はないのだから一度死んだ気になって何でもやってみたらいい、必ず何かが変わる例え小さな事だとしても。それを1つひとつ積み重ねていく以外大きくなる方法なんてない。

全てにおけるパラダイムシフト

修行・エデンサイクルマネジメント・マネーセンス・フィットフォーライフ。全てのバランス感覚をフレキシブルに捉えるオリジナルプロセス。コンディション、スケジューリング、レギュレーション、イメージ、コミュニケーション、マジェスティック
。そう、全てはクリエイティブによって創造される


どの現場にも知り合いなんていませんよ。何故なら私は人生を拗らせたドルオタであり、孤独の自称DTMerを目指す者。最近はアイドルへの認識も変わってきた。以前の私ならアイドルを目の前にして緊張して勝手にガチ恋して病んでいたが、闇の世界遊びからのアプローチによって私は今完全状態に入っている

そして客層。それぞれのユーザーがアイドルからどの様な影響力を受けて、皆ここまで人生を歩んできたのか? また、既存の完成された音楽としての要素に対して、オーディエンスはそれぞれの五感でどの様にして自身の生き方・人生・世界観に取り込んでいくのか? そこで構成されるパフォーマンスや文化

私にとってアイドル運営様の創り上げる世界観は我が孤独の音楽活動へ踏み出すための大きな足がかりとなった。おかげ様で少しずつDTMに復帰することが出来た。音楽制作や創造において、己の更なる課題もようやく見えてきた。そう、私は全ての現場において無限の可能性を探しにきているのかもしれない

私自身もこの現実世界において、ドルオタとしての限界の様なものを感じていた。今までアイドルとの疑似恋愛で生き抜いてきた人生だったが、私が人生を拗らせてアイドルにハマったからこそ、最強クリエイターによる ゆくえしれずつれづれ という最高の音楽に出会うことが出来た

私は今までアイドルをアイドルとして意識し過ぎてしまっていたのかもしれない。勿論、アイドルとは崇高な存在であり私達一般人では手の届かない存在だ。それらを踏まえた上で、全てのアイドルを演者として、1人の人間として接することで、そこから人生のヒントを頂けることもある。本当に感謝している

なんだかんだいって私はアイドルに人生を救われましたよ。私は元々女性が苦手でアイドルとの接触で緊張し過ぎて上手く話せなかったのをきっかけに、コピーライティングやパブリックスピーキング、エネルギーなどの修行・自己啓発・実戦を半年以上続けたこともあった。今はようやく人間になれた気がした

そして今日もアイドルに人生を救われましたよ。そもそもインターネットアイドルを連呼してる時点で私は既にアイドル依存症なのかもしれない。ツイッターは偽りの無い本来の自分自身の内側と向き合うツールとしてはとても素晴らしいものだ。私はアイドルを通して己のやりたい音楽と向き合っていこうと思う

「アイドルにハマり過ぎるとリア充からは遠ざかるかもしれない」アイドルご本人様から頂いたお言葉。しかし、私が仮にリア充であったならば、私は推しに出会うことは出来なかった。推しとの出会い。それは何よりも価値のあるもの。生きる原動力を頂いた最高の瞬間。それら全てが、我が人生の資産となる

ドルオタの生き様。それは生きる意味や答えを探す自分探しの旅かもしれないし、癒しが欲しいだけかもしれない。そこでの人との繋がりだったり、時には病んでしまうこともあるけれど、推しの生き方・人生・世界観によって自身の夢・創造世界への影響力・原動力。それら全てが最高の資産。そう、天使革命

ガチのオタクに 推しにお金をかける理由
「これは“浪費”ではなく“愛なのです”。」


顕在意識と潜在意識の絶妙かつ強靭なバランス。潜在意識に頼り過ぎると本来行うべき顕在意識を見失う。日々思考することが大事。それによって顕在意識が己の潜在意識へ刷り込まれる。全てにおいて意識を意識することで顕在意識を意識し、それらの積み重ねによって潜在意識を引き寄せる「ニュートラル」


コノ世界・闇

私達は「死にたい」と思うことで安心するのかもしれない。「死にたい」とは自分自身へのマントラの様な不思議な呪文なのかもしれない。そもそも私達は死ぬことをそこまで恐れる必要があるのだろうか?

普段眠っている時も意識なんて無い
気がついたら、目覚める
多分死んでるのと一緒

そう、私は闇の住人。周りがどれだけリア充になろうとも、私の本質は闇の魂。孤独が人生を豊かにする。孤独だからこそ見えてくる世界。推しにビンタされたことで見えてくる新たなる世界。私には…漆黒しかないんですよ… 暗闇を舐めるな! 闇の儚さ、美しさ。のめりこめ! 死なばもろとも……脳内麻薬

無知は罪。例え一時的に知らない人に知らない所で認知されて必要とされても、最後には必ず失望されて自分は需要が無い人間という現実を突き付けられる。神にでもならない限り、最後は失望とか絶望しか残らない。承認欲級とかくだらない。だから自分自身が本質的に望んでいるものは孤独なのかもしれない

無論、それらを全て乗り越えることで、ようやく前へ進めたりする。
光 と 闇 を繰り返す。


現実世界というものが何なのか?
私はようやくわかってきたのかもしれない

世界が変わってしまったけれど生きなければならない


コノ世界・カオス。私達人間がこの現実世界で生き抜いていくためには、努力という名の修行・潜在意識という名のスケジューリングによって前へ進み続けること。そしてこの混沌とする全世界において絶対が絶対では無いというニュートラルな視点や感覚を持って本質を見抜く。現実世界・創造世界・天空世界

あぁ、この世界がカオスなのでは無く、私の頭がただイカれていただけだったのかもしれない。そう、私はカオスに酔っていたのかもしれない。脳内お花畑の現実世界。網様体賦活系・自己欺瞞。世界を勝手に歪めたり消去したり一般化せず、世界の全てを俯瞰して、洗練された視点で全世界・人類と向き合え!

あぁ、人生...........
ゆくえしれずつれづれ
今日も今日とて 現実世界


高次元の世界を知りたいなら、実体を離れ、概念として物事を理解する感覚を磨かなければならない。

すなわち4次元を理解する第一歩は、具体的な値がない無理数、存在しないことが明らかな虚数を理解すること。

そしてこれは中高で習う範囲なので、宇宙は専門家でなくても十分理解可能な世界


クリエイティブ・ワールド。ニュートラルな状態感覚。コノ世界・パラレルワールド。頭がハッピーセット。世界の中のちっぽけな孤独。逝かれた先にある新たなる世界。カオスの終焉。崩壊。終わりの始まり。さようなら人類。自由な世界。修行。最短最速。ミラーニューロン。ここから始まるMy Revolution


生きていく為の『かねがだいじ』
考えてもどうにもならないことはあまり考えない
ネガティブの波に飲まれない
頑張ることをたまには放棄する
駄目になっちゃった時の自分なりの対処法を見つけておく
いつも最悪の事態を想定しすぎて勝手に落ち込まない
自分を幸せにしてあげることを忘れない


清楚革命の本質とは何か?それは私の人生を救ってくれる世界の清楚系に癒されると共に、清楚系という1人の人格へパラダイムシフトすることで見えてくる生き方・人生・世界観・コンセプト。そう、修行しているのは私達だけじゃない。清楚系もこの世界で闘っている。だからこそ私も!この世界で闘いたい


そう、これこそが
本当の意味での
「清楚革命」
だったのかもしれない


「アウトプットの質を高めたければ、インプットの質を高める」「入力」→「連合」→「出力」 という人間の3プロセス。表面に現れてくる全てのものは、 事前に取り込んだもので決まる。出力するものは、入力するものに依存する。そして、生産性の向上の為、アウトプットを前提としたインプットを行う


禁欲理論の本質。それはムーラダーラからクンダリー二ヨーガを通してメビウス運動の上昇によってアジュナチャクラを開かせる。脳内のA10神経束がドーパミン経路で言うVTAと側坐核から前頭前野まで伸びており、そこに生命エネルギーを流す。それを抽象思考・情報空間の臨場感のエネルギーに変えていく!

メンターの動画を見ているとこの世界の本質について改めて考えさせられますね。ミニマリストを超えたオプティマイザーという概念。人生と未来の全体を見渡した習慣のパッケージ化。あらゆるインターネット商材がある中で、最前線で稼ぐ有名な自称引きこもりのカリスマには驚かされてばかりだ


私がアイドルを推す3大要素として「清楚系・周波数・付き合いたい!」などがあります。 例えば疑似恋愛において、清楚系美少女に「今だけ彼女♪」「チュッってして!」などと目の前で可愛らしく言われた時の衝動は本当に凄まじいものがありますし、その瞬間にガチ恋をしそうになります


そう、我はこの世界で闘い続けるのさ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?