大人になっても膝はずり剥く
私の二十二歳が終わるまで、残り一ヶ月を切った八月上旬。
ビタン!と転けた。それは見事な転けっぷりで、手を着くのが間に合わず両膝からアスファルトの地面に落ちて全身を強か打ちつけた。
そして、今、痛々しくずり剥けた己の膝を見て、大人になるってこういうことなのかもなあと気づきを得たので書く。
もしかしたらみんなは当たり前にとっくに知っていることかもしれないが、私にとっては大きな発見だったのだ。
よく転ぶ子供だった
よく転ぶ子供だった。子供はよく転ぶというのを抜きにしても、常人より抜きん出て転んでいた気がする。
生まれた時からインドア派で、外で遊ぶよりも家の中で過ごす方が好きだった。本を読んだり、ままごとをしたり、レゴブロックで何かしらを作ったり、落書き帳に絵をかいたりして、友達から誘われない限りずっと家にいた。
こうして、筋力もバランス感覚もなく注意力も散漫な子供ができあがったのである。当たり前だが、そんな子供は走ったかと思えばすぐに転ぶ。走らずとも何かしらにつまづいて転んでいた。
瘡蓋が取れる前に同じ場所に怪我をして今でも残る痕をつくってしまったし、転倒に次ぐ転倒で痣のうえに新たな痣をつくり、いつも両膝を赤や青や紫に染めていた。
転んだ勢いでズボンを破るなんていうのもしょっちゅうだったので、母は新しいズボンを買うことを諦め、アップリケで穴を補修し続けていた。
転んでも穴が開いてしまわぬよう、ジーンズなどの丈夫なズボンを購入するという対策も取られたが、こういったズボンの布地は分厚く、転んだ時に上手く捲って膝の状態を確認することができないため、そんなに痛くないし大丈夫だろうと放っておいたら転んでからしばらくしていつのまにか膝から垂れてきた血で両足が血まみれになっていた、なんていう惨事も経験したものである。
小学校を卒業してからは落ち着いたが、あの頃は本当によく転けた。アスファルトの上で、コンクリートの上で、砂利道で、グラウンドで、あらゆる場所で転倒しつくした幼少期であった。
落ち着いたと書いたが、転ばなくなったわけではなく、身体が幼少期を思い返したように、忘れていたのを見計らったかのように盛大に転んだ。
例えば、高校生だった頃。
部活動で大会に出るために会場に向かっていた私は、歩道橋を降りきるまであと二段というところで足を踏み外し転倒した。これから試合に出るというのに両膝はずり剥けて出血しており、友人がコンビニまで走って絆創膏を買ってきてくれたのは苦い思い出である。両膝にデカい絆創膏を貼っつけてそのまま試合に出た。
「水も滴るいい男」の対義語とは私のことだなあと思った。血も流れる鈍臭い女であった。
大人になるということ
子供の頃、大人というのは完璧で、つまり、転ぶことなどないのだと思っていた。
しかし、それは違うのだろう。
大人も、子供と同様に転ぶことはあるのだ。
この当たり前の事実に、私は先日打ちのめされた。公衆の面前で子供みたいにビタン!と転んで、「大人になってもビタン!って転ぶことあるんだ。そりゃそうか」と妙な納得感に包まれたのである。
では、子供と全く同じなのかといえばそうではなく、大人は子供と同様に転ぶが、転んでも、痛みと羞恥心を飲み込んで自力で立ち上がり、トイレの手洗い場で傷を洗い、近くの薬局で買ったキズパワーパッドを貼って、ズボンに穴が空いていても、血が付いてしまっていても、何でもないような顔で電車に乗ることができるのだ。(みっともないだろう。上記は全て私の話である。)
それが大人になるということなのだと私は思った。つまりどういうことなのかと言うと、大人になるというのは、転ばなくなることではなく、転んでも薬局でキズパワーパッドを買えるようになることを言うのだ。
人間というのはどこまで生きてもみっともない生き物で、そのみっともなさと付き合いながら生きていくしかない。
子供と大人なんていうのは所詮年月での区切りでしかなく、自分はいくつになっても自分でしかないのだ。
テセウスの船もスワンプマンもさておき、自分が自分であるという自覚が続いてしまっている以上、自分でなんとか自分の人生の舵をとるしかないのである。宙船の歌詞みたいな話をしてしまったが、お前のオールを握れるのはお前しかいないのだ。
何もしなくても勝手に歳は取るが、勝手に完璧な大人になんてなれない。これは非常に残念なことだが、致し方ないのである。
成長の月日と共に社会や自分自身との付き合い方に慣れてきて、なんとか卒なくやれている(ふう)に見せられるようになるのが大人というやつなんだろう、きっと。
ここまでに書いたことは多分、みんな知っている当たり前のことなんだろう。しかし、その当たり前を実感を伴って理解することができたのは良いことだと思うのでここに書き残しておく。
大人になっても膝はずり剥くが、薬局でキズパワーパッドを買うことはできる。
おしまい