自分を責めることは無意味で無駄なこと
いろんな本を読んだり、調べたりして出た私の結論は
「自分の性格の欠点だと思うことは、自分の責任ではない。」
ということ。
私はずっと、自分が暗い、話が下手、恋愛が長続きしない、飽きっぽい、掃除料理が苦手、人の目が見れない、人とどう接したらいいか分からない、人からどう思われているか気になりすぎる、言いたいことが言えない、人に言われたことがやりたくないことでも我慢してやってあとからストレスでイライラする
などなど、たくさん自分の嫌なところがありました。
でもそれは、自分が悪いんじゃないんだとやっと気付いて、そのままの自分(といってもまだまだ環境に変えられてしまった本当の自分が奥深くに隠れているでしょう)でもいいんだと思えるようになりました。
本当の私はとてもおしゃべりなのに、話を聞いてくれる人がいないから無口で暗い子供になってしまった。
父親でさえ自分の味方になってくれず否定され続けてきたから、自分の意見が言えなくなった。
掃除や料理は教えてくれる人がいなければ上手くならない。
料理をしても、褒めたり喜んでくれる人がいなければやる気も失せてしまう。
本当の愛を知らないから、恋愛が長続きするわけがない。
家庭で会話をしていないのだから、話が上手くなるわけがない。
家族とのコミュニケーションがなかったのだから、人とどう接したら良いのか分かるはずがない。
逆に子どもの頃からコミュニケーションしてこないのに上手くコミュニケーションできる人がいたら、そちらの方がおかしいのだと。
父に恥ずかしいと世間の目を気にした言葉をいつも言われていたら、人の目が気にならないわけがない。
自分が生きていても死んでもたいして変わらない、自分が死んでも悲しむ人はいないと思っていたら、自分に自信がなくなって目を見て話せないのは当たり前。
父にジロジロと見られ続けたから、人から見られることが苦手。私を見ないでと思ってしまう。
そして自分も人に興味がない。
そうなってしまうのも当たり前のこと。
「人が好き」と言える人は、人に愛されて人の優しさを経験しているから。
家にひとりぼっちにされて、愛された実感もなく生きていたら、人に興味がわかないのも当たり前。
だから、『性格は環境で作られる。』ということなんだと気付きました。
もし父が、私の話を聞いて共感してくれたら、一緒に喜んだり笑ったりしてくれていたら
今頃おしゃべり大好き人間になっていました。
だから、自分の性格が嫌だと自分を否定するのは間違い。
自分が悪いんじゃなくて、周りの環境でそうなっただけ。
自分を責めることほど、無駄で無意味なことはないとやっと気付くことができました。
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