基準と天秤と色
最近の世情でヤフコメなどを見てるがまぁ。自分の立場に有利になるように皆、必死に考えをぶつけるし。意識の部分が多岐にわたってるなと思う。当然だよね、これだけいろんな人がいるし。命とか人権とか尊厳とかの根本の話をする人も居れば、納税者、脱税者、詐欺師、犯罪者、一括りにして自分に有利なように弁解する。
結局政府からも白黒グレーと色付けされ、人間の内面など知らないと。テーマや論点がずれているものもある。
さて、私の基準はどこにあるかというのは義務を果たしてるか怠っているかという事。今回は生きるっている義務ではなく法律的な義務に関して。どうも今の世情は、納税者が馬鹿を見てるような気がする。実際そうなのだが。天秤をかけられるところまで持ち上げると義務を果たしてます、果たしてませんっていう所を一律にすると不公平感が出てくる。そこを一律にしましょうではなく減った分をどう補填するかという所だろう。
正直者が馬鹿を見たりそれぞれの立場というのは政治を通して、生きる理由とか、この世の存在にも通じるところがある。
もともと持ってる人は出す一方、動く一方だし、減らせない人、足りない人は下げる余裕もないし、受け取ることしかできない。そこでマインドを出されて、でも自分への罪悪感とか社会への感謝を持ちながら受けてますって切実に言われても、でもどんな気持ちでいようとも結局は受けてる事には変わりないでしょって。
それが社会であっても環境であっても何かの役に立ってるんですかってところを見ると、生を全うするというのはお役目を果たすという事なのだと思う。周りに、居てくれるだけでいいんだよって言ってくれる人が居るかどうか、思われる人柄を持ち合わせてるかが大事なのかもしれないな。能力の表現の仕方とどこのレベルに意識があるかもまた才能を表現するものなのか。
あーなんかつかれたな。