暴言、虐め、人との距離感

人にしたことは自分に返ってくる。この世にそういうシンプルな法則がないと生きてる意味がない。じゃぁ幼少期から虐待にあってた自分はどうなんですか、生まれてきただけで悪いんですかって話はまた今度。

自分の想いや愚痴を吐き出したりは必要な事で、ネットでもノートでも知り合いにでも吐き出したらよいと思う。ただそれが短い言葉であっても他者を攻撃するような言葉や暴言は醜いかなーと思うこの頃。おやおやどうしたんだいって言ってくれる人がいるならまだしも、無反応だったら空しいだろう。結局自分に言ってるようなもんだしな。

昔からこういう人が多くてこっちは言わせてきた方だと思うんだけど、言わせた私も問題だったと思う。不幸せだと思っていたからね。あぁ不幸なんだな、可哀そうに、なんて思ったらますます依存させてしまうし言いたい奴は言っとけって傍観してるとやっぱりつまずいてる。こういう事の連続で日本人は他人からどう見られるかっていうのを気にする民になってしまったんだろうな。。優しい人なんかは特に自然に生きるだけで舐めてくる人も居るから。気にする以上に自分を覆い隠してしまってる。自然に生きる着飾らないってなかなか難しいんだよね。着飾るだけ不自然すぎることが大半だし。自然でしっかりしてる人の安定感って半端ないよね。。

一概に決めつける行為も醜いけど。色々あるのは当然でいろんな感情があるのも当然で、それでも自分の中で解消する力、身に着けませんかって??


虐められる人、虐めた人、言われた人、言った人、どちらが悪いっていう持論は"虐めた人、言ったほうが悪いと思う"わざわざ言わなくても良いこともあるし。言ってしまうと相手より先に自分の耳に入ってくる。自分に暗示をかけてるようなもんだ。言わせた方も悪いという意見もあるが言わせると相手に罪を被せることになる。その人が結局苦しむから極力そうしないためにこちらも大人であればある程度はしっかりしないととは思うよ。それでも言いたい人はやっぱりその人に原因があるわけだからこっちの問題ではないのね。

せっかく生きてるのだから生きてるうちに浄化しましょうよ。浄化のやり方も追々と書いていく。目の前のあの人っていう狭い範囲じゃなくて意識を伸ばすだけでいい、都会では難しいかもしれないが空を見上げる。


空は繋がってる遠い遠い異国まで。

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