私が占いを止めた理由。
今でも指針として占いは好き。指針としては最適なツールだろう。確かに気の流れは存在するし運気や生まれ持った性質、参考にはなる。しかし月日の流れとともに心の成長を実感すると自分を信じる"自信"が出てくる。そこまで来ると、人に答えを出してもらおうなどとは言語道断であると思うようになってきた。占いにハマってた当時は自信がなくてかまってちゃん状態。しかしお遊び半分なんてことは一度もなく、つねに度を越した苦しみを相談していたからこそ他者はますますに答えられない。そこで次の人は何と言うか、あちらの人は的確な答えをくれるだろうかと次々と訪ねて回っていた。
断定的な答えを求める、ある程度心に余裕がある、そういう人は他者からの助言が気付きのきっかけになりそこで浄化が起こる場合があるので、むしろ別の次元というか土俵に居る人との会話は新鮮でおすすめするところではあるが昔の私のように、気付く余裕もないような人はいったん周りに頼ることは止めておいたほうがいいと言っておく。思い返せばそんなに人に聞いて回るなと言われたこともあったと思うが、この断定的な言葉だけ言われても理解はできなかった。
答えは自分の中にある。停止することで気付かなかったものが見えてくる。表現も人それぞれ違う。それが自分にぴったり当てはまるとは限らない。他者から見た自分は自分の知ってる自分と違うだろうが自分で知らない自分も居るのに他者が自分のことを分かるはずがない。
こう言う意味だったのだろう。
人生の勝利者とは、できるだけ傷つかず無難な道を歩んだ人ではなく自分を信じる心を持って自己完結できる人なのだと思う。