物は人を殺す
タイトルの意味は2つある
1つは物が人に致命傷を負わせて死ぬ直接的な場合。
もう1つは物が人の時間(寿命)を奪っていく継続的な場合だ。
自宅にいる時に地震が起きたとしよう。
落ちてきた物に当たって致命傷を負うかもしれない。
避難しようとしたが、倒れてきた物、もしくは散らかっていてすでにそこにあった物に退路を断たれ、その間に家が倒壊、もしくは火災になり一酸化炭素中毒で死ぬかもしれない。
散らかっている家を見ると、とても早急に避難できるとは思えない。
また自宅で転倒してしまった時、床に置いてあった物に頭をぶつけて死ぬ可能性もある。
これが直接的に物が人を殺す場合だ。
2つ目の継続的な場合は現在進行で物は人を殺している。
人の持つ時間は限られている。
時間は誰しも平等に持っているが、物に奪い取られていることが多い。
まずは①物を手に入れるための時間
店に行く時間、買う物を選ぶ時間、物を運ぶ時間、ネットサーフィンをする時間。
②物を保有するための時間
保管する場所の確保、手入れをする時間や手間、同じ用途の物が複数あるなら選ぶ時間、整理整頓する時間。
私はそもそも整理整頓する物がないため、久しくしていない。物の定位置は決まっているし、保有している物は全て「必要な物」だ。①の買い物の段階で「欲しい物」ではなく「必要な物」しか買っていないからだ。
③手放すための時間
いらないと思った時にゴミ袋に入れる時間や手間、ゴミの日に捨てに行く時間、リサイクルショップに売りに行く時間、メルカリで売る際の出品や発送の時間。
物が家の中に入ってから出て行くまでかなりの時間がかかっている。
そしてその時間全てに保有者が関わっている。
これらの時間は全て物によって奪われた時間である。
物がなかったなら、しなければならない事、やりたかった事、興味がある経験、会いたかった人にもっと時間(寿命)を費やせたはずだ。
今一度現在保有している物を確認し、時間を奪っている物を手放して欲しい。
そうすれば限られた寿命を無駄にすることなく生きられるはずだ。
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