グレーゾーンを掘れば掘るほど、宇宙人を発見したかのような感覚値が芽生えたHSP

表層部分や症状の傾向は発達障害もHSPも似ているなと書いたが、根本の出どころがこんなにも違うとは思わず、目から鱗である。

ここで思い出すのが、小さい頃ダウン症の後輩がいて、なんかなつかれていた。珍しく目新しいのに偏見もなくフラットに見ていた。中学生になっていろいろと荒れてモノ投げたりちょっと手に負えない子になっていたけど、なんか、理解できた。ちょっと小さい頃から一緒にいて、今、ちょっと何かが足りないところでうまくできない歯痒さを感じてる彼のジレンマに私は人間的共感があったのだ

元気にしてるかな。

実は同級生でちょっと事故にあい、頭がパカっと割れてしまった子がいる。数十年ぶりにあったら、めっちゃ明るくて、仕事もいろいろ悩んだみたいだけど、「俺もう障害者だから」と開き直って元気にやったら結構上手くいって、仕事でもリーダー核でやってるらしい。めちゃめちゃみてて気持ちよかった。会話に少々遅れがでるから、接すると違いがわかる。最初はそれで受ける偏見も嫌だったらしいけど、俺は俺と割り切った(簡単ではないだろうな)と言い切ったのがカッコよかった。

元気にしてるかな。

この件に関しては、めっちゃ普通のクラスメイトがある時、障害者になったケースだ。再会して彼の口から「俺もう障害者だから」と聞いた時は、健常者の時を知ってる私からしたら結構ショックだった。でも、この話の本質は、「俺は俺」という彼自身に嘘偽りなく向き合って、胸を張ったところだろう。

そう、だから、なんというか、私はここで会うこのグレーゾーンたちが、定型発達を装っている違和感にいち早く気づき、彼ら自身に一貫性がなくなり、矛盾者としてめちゃめちゃ相性が悪くなっている。

そうだ、HSPにとって「装っている」の差異は敏感に感じ取る。そう、HSPの私は自分の傾向として礼儀やルールやマナーが大好き。それは合理的だと知っているから、共存の美しいコミュニケーションなのだ。が、彼ら(グレーゾーンに関しての表層もその執着など)の「礼節(装っている)」はカモフラージュが多く(その件自体に関しては好印象だが)、結構な頻度で共存を目的としたものでなく、居直るを発動する。

それが宇宙人と感じる正体だった。





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