自分が発達障害かな?と疑ったら、まず知っておきたかったこと|HSPの考察
「HSP」という言葉が明るみになって、それでもどうしたらいいのかわからなくて、友人に「私、HSPなんだ」って自ら言ってしまったことがある。
友人から返ってくた言葉は「HSPってなに?」というものだった。
ほんとなんなのHSP?
質問に対して、その説明ができない不甲斐ない自分、HSPということですべて(自分の生きづらさ)わかってくれるという甘えを期待していたことにすごく恥ずかしく、稚拙であったと反省と後悔があった。
そんな反省と悔しさから、このnoteは生まれたと言っても過言ではない。
ああかもしれないこうかもしれないと、参考書とググったり、身近な人間関係から紐解いたり、過去の記事は「偏見」「解釈」「理解する時間」「言語化」「受け入れる時間」の工程を通してすごく時間がかかった。
「仮説」と感情が先行して「偏り」のある記事もいくつも出てしまったと思う。ヤフー知恵袋でHSPの相談回答をして3000ptくらい溜まって、人に伝えるときの有効な言葉も模索した。
私以上に極端な偏見(アンチ)がいることもそこで知った。
気持ちで神経症障害(今は発達障害ではなくこちら総称に移行している)の「迷惑」を理解するのは、構造を知るよりずっと消化に時間がかかった。
それでも、先にその「構造」を理解するのは、できれば欲しかった情報だ。
正しい情報が少なすぎる。だから、今回「考察」として予想の域を出ないけど有効だった私の仮説を書き残しておきたいと思った。
やはり、自分の行動責任ではなく、ASDの「悪所」からカサンドラにされると人生の「ロス」が大きかったことが大きい理由だ。
今回LDとADHDには大きく触れない。彼らの「生きづらさ」は逆に認定されると、「まだ理解がある」「世の中にライフハック」が溢れているからだ。
これは、よりよく生きている人はもっと効率よく生きられ、普通に生きている人は効率を高められる。全体の7割くらいの人に効果があると思う。
残りの3割の中の一部、主義、主張があってハイセンスな生活ルーティーン文化を目指してなければ有効だろう。
ではまとめていきたい。
①HSPの人はHSPと気づかれない
HSPという言葉を知ってから、人の感情に寄り添えない人を「感情のヒダの部分を読み取れない人」と言葉を変えている。
HSPはそのヒダの変化に敏感である。そのヒダをどう扱っていいか正解はその相手それぞれで対話作業なしには難しい。なのに、対話なしでヒダの変化を気付けたことで推測し、忖度し「わかる」と自負してしまう人がいる。
HP7割ほどは生活で円滑に過ごせると思うが、すごい疲れる、緊張状態を常時発動する自殺行為でもある。コントロールできている人はいいが、大体の人はその度合いをわからず、疲れ切って一人になりたいパターンであろう。
悪循環はそこからはじまる。打たれ弱いHSPは、残りのHP3割で読み間違え、逆転空気読みを起こすことがあり、「HP切れ」「時には相手に聞かないとわからず、すれ違う」を引き当ててしまうことがある。
ダメージは、必殺技を直撃して即死に近い。
そして、即死まで行くと復活は数年かかる。
HSPの生きづらさはそれだけとも言えるし、それがどんだけ大変なことかとも言える。
このコントロールリズムを身につけるには、「同じ生活環境、職場環境、交友関係」の方がイージーモードで実践できるが、「引っ越し、転職、コミュニティ」と環境を変えないことはむしろ難しいし、現在の「同じ生活環境、職場環境、交友関係」が最善とも言えない。初めから自分に合ってないない人の方が生きづらさを感じていることだろう。
ちなみに私は、東京生まれ東京育ち。転職は40回以上。友人関係も特に主体とするテーマがなければ数年で全て切り替わっていた。ちょっと変動多いと確かに思うし、実際アダルトチルドレンの影響が大きかった。
ので、
38歳で養育費払わなかった父から留学費を取り返し、1年間3カ国留学。1日3万歩歩いてメンタル改善、何が好きか、苦手を認識し苦手は立ち向かわず無視の習慣をつける。帰国後、長野に移住。業務委託だが仕事が決まる。家を買える。
HSPの問題は人間関係だけになった。(←やっとここで、これだけ?!)
HSPの環境を整えるのは、「自分の嗜好を知る」から始まり、「仕分け」、「実践」、「獲得」と本当に初めから持っていない人にはハードモードだと思う。
②HSPにも孤立型、受動型、積極奇異型、 尊大型がある。気がしてる
そう、そもそもASDで見つけたこの用語。実際ASDの受動型の女の子とシェアハウスで暮らす機会があった。幸いなことに学歴の高い学校に行っていたので、理解が早く、フリーズする遅考はなかった。ぶっちゃけ精神が安定していて全然問題がなかった。統合失調症を併発していたので、ストレスが溜まるとすぐ一週間くらい入院するという状況は多々あった。
全員に言えることだけど、生きづらいのは原因一つではないし、人によって本当にバックグランドが違いすぎることは、これからも気に留めたい。
孤立型|自分充実型で協調性に欠ける
受動型|Noと言えず溜め込んでしまう
積極奇異型|提案型で合理的結果重視
尊大型|上から目線で偉そう(絶対的知能高め)
神経症障害の側から言うと全て、神経の遅れから、人の心に寄り添えないというような原因から起こしている背景からの行動の違いと言えるようだ。
HSPにもある。
孤立型|疲れるから人と関わらない超絶内向派
受動型|Noと言えず溜め込んでしまう
積極奇異型|自己防衛的に合理的結果重視
尊大型|これだけはあんまりみたことがHSPでまだ事例がないが知識が蓄積され、常習化すればそうなるかも。
「孤立型」も学生時代で経験した。楽だったけど共感好きとしては寂しかった。でも、家で書道したり、脚本書いたり楽しかった。
会社員になると完全「受動型」だった。なんでもうんうん言うからあなたの本音わからないと言われたことがあった。血便出したり、発熱しながらもお願いされたことを優先していた時がある。
仕事が回っているうちは、自分が我慢するだけでことが済んだんだけど、中堅になると無理も祟ってきた。HPがなく、メンタル限界のときのお願いに「キレ始めたのだ」。はじめはこれも心の叫びとして改善があったけど、これケースの頻度が上がると「癇癪」である。
対策を考えて「積極奇異型」になったと言える。これにはめちゃくちゃ勉強しないといけなかった。事前に起こる問題点を先に提案して、「回避」「時短」「工数削減」するのである。私の能力が上がるにつれてHPを保てるように楽にメンタル安定になったが、この「提案」がうざがられる、一方的と思われる傾向になってきた。
結果、頭のいい人ばかりいる商社の業務委託と契約(自分に会う環境に転職)して、現在ことなきを得ている。
③自ら変化していけるとされるHSPと神経症から自分からは変われない発達障害
1番大きな違いは、「変われるか」「変われないか」ではないだろうかと思う。そもそもHSPは相手に無条件で共感性と言う観点から同調し合わせてしまう特徴がある。自分の気持ちか相手の気持ちかわからなくなるという問題点も代表的だ。ただ、人を傷つけるのは自分にもダメージが大きいからしない傾向が出るはず。(または、私も痛みを覚えてるんだから、あなたもわかってよと自虐的攻撃をするケースもあるが)
神経症障害の子たちは「怒られている」から「怒られたくなくて」回避するために行動を変えると言うのがある。
これだけ言うと、「家庭教育」の中で親がこのように定型発達を育ててしまうケースが多いのも少々問題視している。
誤解のないためにもう一言
生まれた来たもので変化なく死ねるものはいないと思う。ただ、生物の中でも何百年変化のないものもあるし、100年単位でみれば変化を感じられるものもある。神経症障害もそうゆうものに似ている。
だけど、学習という視点では、はるかに定型発達よりのびしろがあるとこもよくテーマに挙げられている。
「心の成長」とは目に見えない分本当に難しいし、定型発達だって親になってもわからないことだらけだ。きっと大きな「ものさし」では、私たちに開違いはない。
コミュニティや社会、日本か日本じゃないかで、集まる人の偏りで「ものさし」は小さくなし、違いがでてくる。その違いをお互いの良さにおもえるならよりよい理解につながるが、私たちは忙しく生きてあまり話し合いなしにでもうまく回るように生きられるよう社会にはルールがある。
だから、どうしたってそのルールが守れないとはみ出しものになるのは必然なのだ。