ASD、ADHD、HSP、ACとか、ま、違うとはいえ、似てるし、その違いまで赤の他人が言及するケースは少ない。
記事を斜め読みしながら思うのは、学生の友達同士なら「変わり者」くらいで関係性にさほど影響が出ていないようだ。
問題は社会人になって仕事をし始めての影響が大きい。
そう考えて、ASD、ADHD、HSP、ACとか考えるとなんか、仕事って淡々と希薄にやってても事済むと思っていたけど、なんだかんだと繋がりをもって作り上げている気がしてきた。不思議。
いまだ、グレーソーンの「第三の執着」「グレーのウソ」が発動し出したら、残念だが「相手は逃げるしかない」と言う結論だ。
また今回のようなシェアハウスでは、ルールという名のもと、パニックのにようなバックレ発生。ちまたのよくあるケースといったところ。
で、こんな出て生き方をしてふと思ったのが「親」ってどこまで関わるんだろうね。とおもったところ。
というかグレーゾーンカップルの周りには「教える」と言う人がいなかった。これが非常に残念だったのだけど。
グレーだからとか関係なく「一般的なマナーやエチケット」で教えることができるなと改めて思い返した。
かくゆう私も理由の知らないマナーやエチケットをいっぱい持っている気がするし、そうゆうルールや儀式は好きな方だった。
どれもなんだけど、「一般的なマナーやエチケット」を守る、知ってる、そこを基準にできれば、今まで起きたことって問題なかったのでは?と思えてきたのだ。
それって、ASD、ADHD、HSP、ACだからって関係なくて一旦ハジに置ける話だよね。え?一旦ハジに置ける話になるってすごいことかも!(うむ。上の振り返りで十分証明された。発達障害がどうのより、先にあるもの)
あーなんか10周くらいして、私たちの儀礼とかマナーとかとんでもない救済の形を感じ始めたかも。だって、何か変なことすると、その「家」とか、その「集落」まで遡って叩かれてるんだよ。
どこのうまの骨?お里が知れるわよ。
って個人の責任にしないで、子育てって地域でするものだよね。って謳ってない?すごくない??
核家族にて崩壊か。とはいえ、地域の子育てが良いことばかりではないと思うけど。核家族での利点もあるはず。
ん?なんだこれ?家族形成論とかなんかそっちに入ってきたぞ。
いや、結局私たち、「定型発達」「発達障害」がより良く生きてるルールをすでに先人の人は「一般的なマナーやエチケット」というしばりではなく、教養として伝えきていただけじゃないかと思えてくる。