東京地下鉄東西線(地上区間)の魅力

 東西線という名称の路線は全国各地に存在しますが、今回取り上げるのは東京地下鉄株式会社(愛称:東京メトロ、旧正式名称:帝都高速度交通営団、旧愛称:営団地下鉄)の東西線(以下、東西線)の地上区間です。

 東京に詳しくない方の為に申し添えますと、現在、都市としての東京に市は存在しません。東京市は現存しないのです。では東京市にあたる範囲は何かと言えば「東京23区」、すなわち特別区の集合体であります。ちょっと専門的な話になりますが、特別区は市町村内の区とは異なり議会と首長を選ぶことのできるという意味では一人前の存在です。しかし、「東京23区」(旧・東京市)の市役所機能のうち統一すべき全体的な機能は東京都庁が担当している為、各特別区の機能は身近な物に限られています。したがって「東京23区」の市長は東京都知事です。都知事は多摩地方や島嶼部の人々によっても選出される為、「東京23区」の住民は自分たちだけで市長を選ぶことができないということですが、見方を変えれば、「東京23区」という大きな都市の中で地域密着型の特別区が存在するという豪華な体制であります。「東京23区」で生まれ育った私としてはこんなことが誇りだったりします。特別区の集合体(今のところ「東京23区」のみ。大阪都構想が成功すれば「大阪N区」が加わるでしょう)は都市として市より格上だと言うことを覚えて頂ければ幸いです(笑)

 閑話休題。東西線の地上区間は東京23区東部から千葉県北西部に至る区間です。A線(地上区間では下り)電車に乗ったつもりでご説明しましょう。南砂町駅(東京都江東区)は2面3線への拡張工事中の発展しつつある駅ですがまだ地下にあります。南砂町駅を出て少しすると長い坂を登り地平区間を経ず高架区間に入ります。ここから西船橋駅手前までは昭和44年(1969年)の開通当時田畑が一面に広がる田舎だったこともあり直線的な高架が続きますが、できることなら地上区間の用地だけでも当時の安い地価で複々線分用意して頂きたかったと思います。コロナ禍で多少はマシになりましたが、東西線地上区間の通勤通学ラッシュはそれほどまでに壮絶です。

 高架区間に入ると間もなく荒川(放水路)を跨ぐ荒川橋梁に差し掛かります。1.3kmにも及ぶ大橋梁です。この橋梁を渡りきると西葛西駅、葛西駅と東京都江戸川区の駅が続きます。私は(都民だからこそ?)千葉県が好きですし、東京23区でもないのに江戸川区などの東京23区東部(旧・東京府南葛飾郡)や千葉県を馬鹿にする東京都多摩地方や神奈川県の住民に対し怒りを覚えています。しかし、そんな私でも地上区間だからといって葛西を千葉県だと誤認している人々が多いことについて憂慮しています。江戸川区も立派な東京23区の一員であります。葛西駅を過ぎると大きな急カーブを経て進路が北東に変わり、都県境である「旧江戸川」を越え浦安駅(千葉県浦安市)に到着します。葛西と浦安は東西線開通前は半農半漁の田舎でありました。多くの水路をべか舟と呼ばれる和船が行きかう町だったのです。中でも浦安は「青べか物語」の舞台となった町(作中では「浦粕」)です。興味のある方はぜひ浦安市郷土博物館を訪問してください。

 浦安駅を出るとまた一直線の高架線路が続きます。南行徳駅、行徳駅と進みます。現在はいずれも千葉県市川市に属していますが、かつては南行徳町と行徳町という町に分かれていました。但し、駅名と旧町名にはずれがあります。ややこしいですが、仕方ありませんね。行徳(南行徳駅側や旧南行徳町を含む)は徳川家康以来、幕府の製塩地帯として栄えました。これまたややこしいのですが、行徳も「旧江戸川」に面しています。江戸の日本橋と行徳の間で塩などを輸送する為、「小名木川」(現在の東京都江東区を横断)と「船堀川」(現在の東京都江戸川区を横断。現在の名称は新川)が水路として形成されました。これら2つの川は元々海でしたが、わざとこの水域を残して沖合に埋立地を造成した訳です。江戸幕府の先見の明には驚かされます。小名木川、船堀川、そして当時の江戸川(現在の「旧江戸川」。後述する放水路の建設前はこちらが本流だった)が一体となって、江戸の日本橋から行徳までの水運ルートとして機能していました。東西線の地下区間には日本橋駅(東京都中央区)があります。東西線は貨物こそ運ばないとはいえこの水運ルートの後身ともみなせます。

 行徳駅を出ると妙典駅(千葉県市川市)があります。妙典駅からは車両基地への線路が分岐します。妙典駅が開業後しばらく経過してから追加された駅ということもありこの車両基地は行徳検車区と命名されましたが、残念ながらいわゆる経営合理化の波か、近年は深川検車区(東京都江東区)の植民地扱いとなり「深川検車区行徳分室」の地位に甘んじています。東京地下鉄は現業労働者を軽視しているのではないでしょうか。少なくとも現業の管理職である検車区長のポストが一つ減らされてしまったのではないかと思われます。日本の現業労働者はコンビニエンスストアのアルバイトといった身近なものから鉄道等の専門性が高いものまでとても優秀です。一部の外国のようなチンピラのやっつけ仕事とは異なります。それなのにホワイトカラー正社員と比べて賃金が低く、検車区を統合されるような現状は余りにも理不尽です。鉄道各社やコンビニエンスストア各社を初め日本企業には猛省を求めたいと思います。

 さて、妙典駅(ここも行徳地区(旧行徳町及び旧南行徳町)の一部)を出ると江戸川(放水路)をこれまた橋梁で越えます。越えても千葉県市川市です。ここも本来行徳地区に含まれるのですが、市川市役所は現在行徳地区扱いしていません。妙典の次の駅は原木中山駅です。この駅は特殊で、市川市と船橋市の境界附近に存在します。その関係で、エレベーター、エスカレーターには両市の市役所が助成金を出しています。駅前には中国の古典から名付けられた「信篤」小学校がありますが、住所の町丁に「信篤」は存在しないにも関わらず、この小学校を機に「信篤」を冠する行政機関が多く存在しています。「信篤」を検証したあるWEBサイトの記事(鎌ヶ谷船橋あたり「原木中山駅付近に市川市の公的施設が密集している理由」2018年2月9日付(https://atari-kamafuna.com/2018/02/09/funabashi_ichikawa_shizakai/)2021年9月24日閲覧)によると、現在市川市側の行政機関が多く存在する区画はかつて信篤小学校が建っていた敷地だそうです。

 原木中山駅の次は東西線の東の果て、西船橋駅(千葉県船橋市)です。元は総武本線だけの小さな駅でしたが、JRの武蔵野線・京葉線、さらには東西線の延長である東葉高速鉄道東葉高速線が開通したことで船橋市の一大ターミナルとなっています。市の中心駅である船橋駅ではなくその隣の駅をターミナルとするのは、船橋市にとって意図したことではないにせよ良い効果をもたらしているように思えます。中心市街地を十字に分断してしまっては町が台無しですからね。西船橋駅があるおかげで、船橋駅前がすっきりしていると言えます。

 久しぶりのnote投稿でしたので拙いところもあると思いますが、ここまで読んで頂きありがとうございました。ぜひ東西線地上区間の旅を楽しんでくださいね。平日朝でもA線(地上区間では下り)電車に乗る分には快適です!

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