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インクルーシブ教育とエクスクルーシブ教育。

なんだか毎年、運動会の後に必ずnote綴っている気がします。

それだけかなり悶々とする行事ってことなのでしょうw

今日は息子の幼稚園の運動会を鑑賞して思ったこと。


[過去、運動会悶々note]

https://note.com/n082/n/n6b0c254acb39



まず。
このニュースについて。言いたい。


かなり大きな出来事だと思います。

実際に小5の娘が特別支援学級に通う親として
真っ先に思うことは

今の日本の学校を国連の提示するインクルーシブ教育に変換していくことは
到底無理!

もし、ミラクルにシステムの大変換が起こったとしても、がっちがちのエクスクルーシブ教育で育った親たちが黙っていないでしょう。


今の学校施設は、障害のある子どもが在籍することが前提となった施設やカリキュラムになっているだろうか。性的マイノリティの子どもがいることを踏まえた活動がなされているだろうか。学校行事は、多様な家族がいることが前提になっているだろうか。障害のない子ども、異性愛の子ども、生まれた時の性別と自分がアイデンティティを持っている性別が同じ子ども、両親がいる子どもなど、いわゆる「主流」の子どもを中心とした学校は、そうではない子どもにとっては公正な場とはいえないであろう。どんな子どもも平等に教育を受ける権利があるにもかかわらず、多様な属性の子どもたちが考慮されていない学校は、すべての子どもの学ぶ権利を平等に保障しているといえるだろうか。


先日の息子の運動会を見て。
まず、年々、支援が必要になってくるだろうな。と感じる子どもたちが増えている、ということ。

これに関しては、いろいろな意見があってとってもセンシティブなことだと思うので(持論はありますが)割愛。

普段の保育の中でも補助の先生がつきっきり、でその子たちをお手伝いしているという様子。

でも、運動会ではある意味発表会的な役割なので、補助の先生も一歩引いたところで見守っている、必要な時に手伝いに行く。といった様子。

運動会自体は子どもたちの成長を感じることができて、何より幼稚園の運動会なんて見るだけで眼福。っていう あー可愛い。が詰まっている行事なんですが

果たして、お手伝いが必要な子たちにとっての配慮ができているか。。

そのやり方で大丈夫だったんだろうか。。。

とっても考えさせられました。。。


小2から小5まで特別支援教室に在籍している娘の場合


娘の特別支援教室へ入ることを決めたのは小2の時でした。

小1の時の担任の先生から、何度か
「○○ちゃん、特別支援教室へ行きませんか?」

と話をされて、当時まだガッチガチの頭だった私はすんなりとそれを受け入れることができなかった。

その辺りは過去noteに綴っています。

あれから月日は流れ、今は5年生。

相変わらず娘は特別支援学級を楽しんでいます。

娘が特別支援に通えて良かった!と親のわたしが思うことは
特別支援のトレーニングを受けた専門の先生が担任として伴走してくれていること。
これはかなり大きなことです。

それから、娘が3.4年生のころ、少しヤンチャな男の子の標的になってしまった時。
彼女の逃げ場所になっていた。

正直、お勉強の遅れなんてどうでもよくて。
学校での居場所がある、彼女の適切な環境についてちゃんと考えてくれる先生がいる。

このことは彼女にとっても、また親にとってもマイナスなこと、一つもないと思うのです。

親の決心さえついて、我が子を認める。
これさえ乗り越えることができれば
特別支援教室はあって良かった。と思うんじゃないのかな。



2007年に特別支援教育制度が始まり、それまでは「特別な支援を受ける場合は別の場で学ぶ」ことが前提となっていた教育システムが変わり、通常学級においても特別支援教育を実施することが求められるようになった。一方で、40人クラスの通常学級で一人ひとりに合わせた支援をする困難さに加えて、教員不足や教師の労働環境、教師に求められている様々な役割との兼ね合いの中、通常学級における支援は困難な状態が続いている。


じゃあ今の現状のままインクルーシブのスタイルに変わったら?
記事にも書かれているとおり、
とにかく目が届かないのよ。
先生のキャパ超えるのよ。
他の生徒の親からめちゃくちゃクレームくるのよ。

そもそも先生がそのようにトレーニングされていないから
わたしたち親が、その他を排除する と言う環境で育ったから。


じゃあどうしたら?


わたしの英語教室でのことを例に出してみようと思います。

小さな子たち、一番多くて6人クラス。

それぞれに個性満点、のんびりさんもいれば、じっと座っていれない子
外の様子が気になって仕方ない子、ずっとおしゃべりしたい子、などなどなど。。。

当たり前ですが、同じ子なんて一人もいないんですよ。

でもグループレッスンなので、同じトピックをみんなでやります。

で、どうするか。 わたしの場合。

ここはこの子の得意分野。きっとここはこの子が活躍できるだろう。
これについてはこの子が意見言いたいんじゃないかな。
ここのお手伝いはこの子に頼もう。
ここはこの子が嫌がるかも、代案を探してみよう。

などなどなど。。。

同じトピックをできるだけそれぞれに合うようにカスタマイズする。

わたしはこれが今のわたしにできる全力投球だと思って

子どもたちにボール投げまくっていますが。

これがエクスクルーシブ環境でしか学んだことのないわたしができる精一杯。

しかもこれは少人数だからできるやり方で

40人なんて。。。

どうやるの?全く想像もつきません。

インクルーシブを実践している国の先生のやり方、どう声を掛けるのか

いつもレッスンしながらフッと頭をよぎります。

『今この場合、どう声をかけるのがベストなんだろう。。。』

規模は小さいですが、知らない、わからないんですよ。

インクルーシブと言うものがどういうものなのか。


何のためのインクルーシブ?


特別支援教室に通えて良かったと思っている。

じゃあそれでいいじゃない?

っとなってしまいそうなところですが

「差別はダメ」と言われながら、排除が正当化されている構造の中で、それを当たり前のものとして無意識に内面化している場合も多い。その結果、障害のない人を中心とした社会構造が維持され続けてしまっている。インクルーシブ教育はそのような構造を変革していく上で、重要な施策である。

大事なことはここだと思います。

他者をありのまま他者として認めること。

無意識のうちにそれをするって、ずっとエクスクルーシブ教育を受けてきた今の私たち大人にとって、とても難しいこと。ですね。。。



先日の幼稚園の運動会の話に戻って。

子どもたちは素直にごく自然に、他者を他者として認めています。

5歳の息子はよくお手伝いが必要なA君の話をします。
「今日A君が意地悪してきた。せっかく作ったブロック壊したんだよ」という話をする日もあれば
「今日はA君と一緒に遊んだんだー。仲間なんだよ。」
と言う日もある。
それもごく自然に、他のお友達と特に変わらない様子で。

でもそこでわたしたち大人がどう声をかける?

その声かけ次第で分断の意識を芽生えさせてしまうのは、今後共生社会を生きる子どもへの相当な相当な重い第一歩な気がします。



どうかどうか。親御さんたちが申し訳ないという気持ちを持たないでほしい。

その運動会の種目が達成できなかったからって、どうってことない。

自ら分断の選択をする必要もない。

変わらないといけないのは、わたしたちの方なんだから。


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元小さなベーグル屋店主の日々徒然。
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