手紙「きみのいない世界の、意味」

親愛なる、きみへ。
この間、きみと会ってから、なんだか、楽しいです。なにもかも。身体が軽い気がする。家での息苦しさとか、やっぱり人と付き合うことに向いてないな、とか、そういう気持ちが全てなくなったわけではないけれど、それでも、今までくだらなかった生活でも、続けてきてよかった、と思えている。

大好きなスピッツも、他の歌も、なんだか違う曲のように聴こえる。私はもう、もしかしたら、二度と、十一月十七日以前のように音楽を聴けることはないのかもしれないけれど、それでもいいかとも、思えている。

なんだかすっかり大人になってしまったみたいな私たちは、だけど大人になるってどういうことか、私にはわからなくて。変わってしまったかな、と私は手を震わせていたけれど、きみが、「私たち、大人になったね」というから、じゃあ大人になるって今の私のことなのかな、と信じることにした。大人になりたくない、と泣き続けてきたけれど、だけどやっぱり私にとって大人というのはただの年齢で、お酒を飲めるようになったとか、電車の時間を気にしなくてよくなったとか、自分の行動の責任はすべて自分で負えるとか、そういう良い面ばかり見ていこうかな。

ちゃらんぽらんで、地に足のついていない私を、受け入れてほしいとか、ゆるしてほしいとか、そういう風に願ってきたけれど、きみはそういう次元のひとじゃなくて(笑うところ)、なんだか、私を見てくれているなっていう気がするよ。例えば、きみの知らない私みたいなひとがいると、きみは「うげっ」と思うかもしれないけれど、私だから、「また遊ぼうね」と言ってくれるのかなと。やっぱり、やさしいひとだね。

「好きな人が、自分以外と幸せになるなんて、ねえ」という話をちらりとしたけれど、私も基本的にはそうなのだけど、(実際、幼なじみのあの子がSNSで恋人の匂わせをしているのを見たときは本気で死んでやると思うくらい(笑))だけど、きみだけは違った。きみには、いつも、いつまでも笑っていてほしい。楽しくいてほしい。だけど楽なことを選ばないきみだから、それならば、何かあった時に、どうしようもないときに、そばにいてくれる誰かが、あたたかいひとたちに、囲まれていてほしいと祈っている。それが、私じゃなくて、いいと思える。ほんとうは私がいいけれど、きみがいちばんに泣きつく先は、あの頃のように、私がいいけれど。だけど、私にはそれが難しいってわかるから、たまにでいい。もしも、きみが、私に会いたいと、声を聴きたいと、言ってくれるときがあるならば、私は、きみが、私が、世界のどこにいても駆け付けたいと思っている。

レイトショーで観た、すごくいい映画の最中で、よくわからないところでなくきみが私の手を握ってくることも、途中で私が眠ってしまうことも、もうなかったけれど、それに気づいて私は、帰りの電車で号泣してしまったけれど、だけど、きみの前ではなかないという目標は達成できたよ。きっと、私が泣くと、つられたみたいに泣いてしまうんじゃないかと心配していたけれど、もしかしたらそんなこともなかったのかもしれないな。きみは、強くて、傲慢で、だけど繊細で、前向きで、しつこくて、だけど諦めることができる、やさしくて、賢くて、孤独な人間だ。私たちは、好きなものも、嫌いなものも、価値観も、何もかもが正反対なのに、どうしてこんなにも好きなのだろう。どうしたって、好きだよ。なにをされたって、嫌いになんてなれないよ。だって、きみは、私の人生にありえないくらいの彩りを与えてくれた、光だから。きみに出会うまで私は、言いたいことも言わない、何をしても心の底から楽しめない、他人のことを考えてばかりの人間だった。それが、自分のことも考えられるようになって、自分が何が好きで何が嫌いなのかとか、何がしたいかとか、他人に伝えたいと思えるようになった。それが、まだ、できるようにはなっていないけれど、だけど、少しは自分のために生きられるようになったのは、まちがいなく、きみのおかげなんだよ。きみだけが光だよ。出会ってくれて、ありがとう。

私、また、旅に出るっていう夢を、叶えてみたいと思っている。きみに会うと、自分のやりたいことがはっきりと見えてくるよ。だから、やっぱり、迷走していたなと思うあの十七歳から十八歳にかけての一年間も、嘘じゃなかったのかなと今は思える。流されてたばかりでは、ないのかなって。また、放浪しだすことを伝えると、「きみのことは本当にわからない」と、呆れられそうだけど、きみは私を見捨ててくれないということを、嫌というほどわかっているので、またいつか、会えたらなと思う。いつでもいい。だけど、私は毎年、きみの誕生日にはきみに宛てた手紙を書こうと思っている。今まで溜まってた手紙も、いつか渡せればいいと思う。それは自己満足でしかないのだけれど、でも、私の願いを、叶えさせて欲しい。きみに伝えたいことは、まだまだたくさんある。何もかも忘れてしまう前に、書き記しておかなければならない。忘れてしまう前に、理解もしておきたい。形に残したい。生活の中で、出会うものには、全て別れがつきものだということを、私はもうずいぶん前に知ってしまっているから、お別れが嫌だなんて、今さら駄々をこねることはできないけど。だからこそ、きみのいない世界にも存在する、何かの意味を考え続けている。それが、今この瞬間のように、またいつか、きみと出会えるための日々、という風に、ありきたりであまりにも恥ずかしいものになればいいな、とも、柄にもなく、願っている。

いつか、また逢おう。
それは来世でも構わないけれど、これだけ濃い月日を一緒に過ごしたのだから、すれ違うくらいはしたいな。

それでは、また。

2022年11月20日 私より

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