1年前の、今日と明日
1年前の11月16日の今頃、私はどの駅のホームにいてどのホットココアを飲んでどの歌を聴いて誰を想っていたか、まだ、手繰り寄せるようにではあるけれど、思い出すことができたことにほっとしている。ほっとしていることに、呆れるような。
永遠にぼくのためだけに生きてくれないか?
わがままでマイペースな春に付き合いきれるのは、今のところ僕しかいない。今のところ。だけどやっぱりいつか、春は今に人に囲まれた夢のような生活を送るようになるだろう。それでいい。そうなるなら、僕も幸せだ。だけどそのいつかは、まだ今日ではない。わかっている。だから、もう少しだけでいいんだ。もう少しだけでいいから、僕のためだけに生きてくれないだろうか。
好きな文章!
今年の夏、とあるコンテストに出そうと思ってたけど万が一書籍化されたら他の公募が困るなとわりと都合のいい頭で取りやめた小説のワンシーンである。ちなみに春というのは、高校二年生で銀河鉄道の夜を初めて読み、その読書感想文(夏休みの宿題)がコンクールでちょっとした賞をとる、という青春時代を過ごすくそ坊ちゃんな少年である。そして語り手である糸麻が、彼の相棒。高校時代の友情とは何物にも代えがたいかけがえのない光である!
最近は何をしているかというと、冬季うつと戦いながら(ほとんど負けている)プロットを書いている。来年もたくさん小説を書きたいから、今年のうちに何本か軽くプロットを作成しておきたい。こう、ざっと流れがあればあとは書きながらでもどうにかするから……これは自分へのお願いである。
冬季うつといえば聞こえはいいが、これは本当に冬季うつなのだろうか?冬季うつなんて一括りにまとめていいのだろうか?冬になるとみんな辛いから私も辛いなんて……いやすぎるんですけど。私はまだ、「生きてるだけで偉い!」を全然受け入れられない頑張りたがり屋である。人生のコツ、つかめない。
とはいえ私だって、去年の11月17日から――もっといえば4年前の3月某日から、毎日きみのことばかり常に考えていたのかどうかと言われればそういうわけではないと白状するしかない。ごめん!ゆるさないで。お願いだから。ゆるさないでいてくれたら、私、いつまでもきみのスペシャルでいられる。しめしめと企んではいるけれど、きみだってそうなのだから、全然しめしめじゃない。きみは、よくて、私の誕生日になると一瞬くらいは私の高校時代の激マブ笑顔を思い出してくれる程度だろう。そういうことに気づいて目を背けずにいられるくらい大人になってしまったようで、そうなるともう、お気に入りのミュージックも聴きたくない最低な気分だよ。
書けることがきみのことくらいしかない。どうしたものか。実は私、もう少し怒れるようになりたい。怒りは原動力になるから。何があっても真っ先に落ち込んでしまう私は、布団とヘッドフォン、それからぬいぐるみとの絆が深くなるだけであとは何にも生み出せない。理不尽なニュースにも、誰かが傷つけられたことにも、醜い争いにも、まず怒れたらいいな。2024年の目標にしようかな。無理かもしれないけど。
去年の11月16日、私は、上手く眠れなかったのかもしれないな。きっと、朝も早く起きただろう。そういえば、お姉ちゃんに、服をアドバイスしてもらったな。「スカート透けてる!」って言われた気がする。あの日、お姉ちゃんが仕事休みでよかったな。きみを待ってる駅前の歩道橋で、寂しくてあたたかい夢の歌を聴いていたな。セブンイレブンの前で改札口から出てくるきみを待っていて、だけど目が合ったら困るから、私はずっと俯いていたな。座り込んでしまいそうだったけど、その前に名前を呼んでくれてほんとうによかった。こうして書いているうちに、いろいろ記憶が戻ってきてよかった。普段は思い出せないだけってことは、つまり、防衛本能ってことなのかな。なんじゃそりゃ。別に、ずっと覚えてたって大丈夫だよ、ぜんぜん辛くなかったから。愛しくて仕方がない一日だったから。恥ずかしかったり寂しかったり情けなかったりはしたけど、それさえも愛してみせるから。だからあの日のことだけは、ずっとずっと思い出せますように。
ごめん、いま、メルカリの受け取り通知が着て死ぬほど安心した。ほっ。これだから心配性の頂点は。PUDOを閉めたその次の瞬間から中身が間違ってないか不安になるのだから!早くコツを掴まなければ……
もう二度と会えないかもしれないな。って、きみに会うたびずっと思ってたし、今日も思ってる。明日も思うよ。だけど、ごめん、ほんとうにもうそれでいい。声が聴けなくても、手をつなげなくても、笑顔を交わせなくても、もういいよ。私たち、もう、一生分過ごしたんだよ。それが、あの三年間だったんだよ。私はきみに会うために生まれてきて、ああいう人生をたどってきて、今はほんの余生だって、本気で思ってるよ。きみがこれからも健やかで元気で愛すべき日常を過ごし、そして私が死んだとき、きみの顔した神さまが迎えに来てくれるなら良しとしませんか。
ふう……。相変わらず自分勝手な思考回路とそれによって生み出される文章である。自分勝手ついでに書いておくと、なぜあのとき、私は全てを終わらせなかったのか?とたまに疑問に思う。疑問に思うというか……終わらせておけばよかったー!って、頭抱える。人生の最上級で終わらせておけば、絶望することも傷つくこともきみが恋しくて泣くこともなかっただろうに……。しかし今後、確実にやってくる私がこの世から旅立っていくときは、必ず、必ずきみを思いながら、ということを決めている。重くてスマン!それまでは、まあなんというか、「最高のイベントはまだ先にあるはず!(スピッツ/自転車)」の気概で騙し騙しやっていくしかない。
私はもう二度と、きみの育った街まで自転車で山を越えることはできないだろうが、そしてその体力が私にもうないことに車で通るたびに電車で訪れるたびに絶望するだろうが、大人になることはそういうことだって、みんな言ってるから……。冬季うつというか、もうすぐ誕生日だから落ち込んでいるんだろうな。私、全然、年取るの好きじゃない!永遠に19歳がよかったな。19歳のころがいちばん良かった、身軽で。
今後の目標!
●25~27歳の間に神奈川県に移住できるよう、貯金する
●好きな服しか買わない
●他人に期待しない
●「どうせいつか死ぬ」の精神で生きる!
こんな感じにする。
小説、またどこかで発表できたらいいなぁ。書籍化できるのがいちばんなんですけど……。それはまあ、ずっと夢見るとして、それはともかくどこかにのこしておきたいなぁという欲。いいブログサイト知りませんか。
あ、また今思い出したことがある。きみの誕生日プレゼントと称して、ほんとうに大切な小説をちっとも小説を読まないきみにプレゼントしたことがありましたよね。というか、ええ、22歳の誕生日の話ですが……。我が家では「自分の好きなものを他人の誕生日にプレゼントするなんて信じられない!」というトークテーマが繰り広げられたことがあって、もうそのことを思い出すたびに死にたくなる。まじで。ついでに、それに感化されてというかやっちまったって思って、「読まなくていいから!」ときみに言った私もぶっ殺してやりたい。きーっ、後悔ばかりの人生ですわ。
生きてるうちはどうにかやるよ。できるだけ、自由に、身軽に、孤独に。さようなら、さようなら、さようなら。そう思いながら、きみの隣で揺られていた春の終わりの夜の電車の速度を、車輪の音を、今日は思い出してみた。