輪廻転生
この日記のタイトルを、「早く大丈夫になりたい」にしようかどうか、迷った。
もうすぐ誕生日ではあるが、ほんとうに散々な日々である。今年は特にひどかった。年末付近に年をとる人はきっと、年をとる日にその年齢を生きた年の振り返りをするのではないかと勝手に想像して共感している。夏のスピッツのライブには行けなかったし(振替公演が控えてはいるものの)、吉井君は病気だし、ゴッチが喉を痛めて辛い思いをするし、チバユウスケは死んでしまうし、ネット通販の振り込め詐欺には遭ったかもしれないし……。
ふわ坊(愛しているぬいぐるみ)に合わせる顔がない。
最高のバディだと誓い合い毎晩一緒のベッドで眠っている仲ではあるが、情けなくて合わせる顔がない。未熟な相棒でごめん。そんな私でさえも、物言わぬままそっと見つめてくれるだろうが、そのやさしさが痛い。私がきみのためにしてあげられることって、ほんとうに、いったいなんなのだろうか?「いてくれればいいよ」というのも、一種の呪いの言葉なのかもしれない。だけど、私もそばにいたい。ふたりで呪い合えるのなら、もうそれでいい、か。(?)
そういうわけで、明日、警察署にお世話になる予定ではあるけれど……面倒くさい。面倒くさすぎて、もう死んだ方がましなんじゃないかとも思う。別に大したお金じゃないのに、なに相談しに来てんだって……まだ詐欺だって確定してないのに相談しに来やがって……とか思われたらどうしよう。被害妄想が主要人格の思考回路、やべ。自分でもわかってる。ほんと、いやな顔されたり、あるいはこうやって考えていることが一切起こらなくて仏さまのように対応してもらったり、まあとにかくどっちに転んだって、自分が惨めで情けないことには永遠に、一生、変わりないのだから、もうやめにしたいよなあ……とか思っても仕方ないよなあ。
お腹が空いているのが悪い。こんな思考は、何もかも、お腹が空きすぎてお腹が鳴ることさえできない今の状況が、悪い。でも、ご飯を食べて元気になる心って……なんだよ。けっきょくは、気まぐれなんだよなあ。私にとって揺るぎのない精神って、なに?ゆるぎないものが、変わらないものが、欲しいとは願ってはいるけれど、だけどこうやって心情吐露している間も「こんな自分はなんだかなあ」「変わりたいなあ」と思っているのだから、手に入れられるはずがないんだな。
満たされることに向いていない。豊かな生活も向いていない。私、やっぱり、底が抜けそうなお風呂とか、お皿数枚とお鍋置いただけでスペースのなくなるシンクとか、そういう部屋での生活が向いている。毎日冷凍うどんを食べるから。たまにカップラーメンもいい。こうやって思い出している記憶の先で一緒にいた誰かは、焼きそばのインスタントが好きだったような気がする。ユーフォ―だった気がする。あー……また思い出してしまった。ほんとにいやだ。思い出だけの人生だなんて……。
生まれ変わったら何になろう?海とか、花火とか、犬とか猫とか鳥とか、素敵なものはたくさんあるけど、私、実は、もう一度私に生まれ変わりたいのかもしれない。もう一度私になって、何もかも、やり直したいのかもしれない。
仏教では、私が死んだとき、神さまが、私がいちばん会いたい人の顔をして迎えに来てくれるらしくて、それなら死ぬ日が待ち遠しいなあと思えて、夏の青空なんかにうっかり飛び込んでしまいたくなるかもしれないけど……まあやらないだろうし、でも百%とはいえないけど……。とにかく、きみが迎えに来てくれるならいいなあ、といつも想っているよ。
はあ、もう、来世来世。
なんていうかもう、今世は諦めるしかないな。もう23歳になってしまうし。
誕生日は毎年鬱です。連絡が来たらいなあ、と思う人からの連絡を待つ時間がとてもとても長く感じるから。明日か夜中には、さとるとすぐるについて今年の想いを綴りたい。では、ご飯食べてくる。