結局、最後には、「何もしてやれなかったよ」と泣く人の話

昨日、帰りの電車の中で泣いていた。
最近は他人が変わったのかと思うくらい情緒が不安定で、いやこれは情緒が不安定というよりも、感受性が豊かになったというのか、感情を表に出せるようになったというのか、進歩なのか退化なのかわからない変化だった。

昨日は、働いている会社の社長の講話会という、社会経験未熟な若者には未知の世界に足を踏み入れる羽目になったのだけど、とにかくその講話会が、辛かった。何が辛かったのか、同じ講話会に参加した他店舗のスタッフにはわからない子もいるだろうが、そういう子たちは社会で強く生きていけるのだろうな、と感じた。恐らく、一般的な観点からして、「成功している」のであろう社長のありがたいお話は、私にとっては理想でも憧れでもなんでもなく、ただ他人の人生の話でしかなく、そしてその赤の他人は、残念ながら、私の人生には必要ない、つまり影響を及ぼさない他人であった、要約すればそれだけの一日だった。

愚痴が長くなってしまった!
話したいのはそんなことではなくて、その、社長が言っていた、「正しい死」についてだった。彼はこう語った。「死ぬときに、何の後悔もない! 楽しかったー、って、腹叩いて死ねるのがいちばんいい」。それはそれでいい。私の正しいと定義するものとは違うけれど、彼の正しさはそうであるのだから、そうすればいいと思いながら真剣に聞くふりをしていた。けれど、彼は続けてこう言った。「きみたちもそういう風に死になさいよ」。

正しい死とはなんでしょう。
私の好きな某呪術系少年漫画でも、正しい死を求めている少年がいるけれど、私にとって、死は身近なもので、そして突然訪れるもので、言ってしまえばくしゃみのようなものだった。

何の後悔もない人生なんてあるのだろうか。私はきっと、大抵の人から見て未熟な若者で、二十一年しか生きてないクソガキに何がわかるんだ、何もわからないだろう。だからと言って、何も考えていない、何も感じていないわけではなくて、私は私なりに、あと何時間あるかわからない人生を消費している。その、大して短くも長くもない時の中で、既に、私の後悔は数えきれないほどあって、いつも心を蝕んでいるものは三つあって、でもそれ以外のことはほとんど忘れている。何かの拍子に、たとえばコンビニのピザまんを食べているときや、図書館の前を通りかかったとき、思い出すことはあっても、頭の中を支配することはほとんどない。何の後悔もない人生、とは全てのことを忘れてしまっていることと同じなのではないだろうか、と私は思う。忘れてしまえるほど過去の産物がどうでもいいことばかりで、とるにたらない事象でしかなく、あるいは放棄してしまった思考であると考えてしまう。なら、その、手のひらから落としてしまったものたちは、どうなってしまうのだろうか。誰かが覚えていないと、私が覚えていないと、本当になかったことになってしまう。そもそも私の記憶というものも、一部の事実と多数の理想という名の妄想でできている不確かなものであるかもしれないのに、それを自ら手放して失くしてしまうことは恐ろしい。そういった考えがない人なんだ、と私は社長のことを見てしまったので、社員になるのは辞めていつか働くのも辞めてしまおうと決めた。(もっと細かい要因の積み重ねで帰り道の電車で泣く羽目になったのだけど、本題ではないので割愛する。)

同じことを話してしまうかもしれないけれど、後悔のないひと、というのは、すれ違ってきたもののほとんどを見ないでいられるひと、なのだと思う。言い換えれば無神経で、鈍感で、素直で、前だけを見ていられる、ような。通り過ぎた宗教のチラシを配っていたお姉さんの表情や、小学生のときなぜか返せなかった図書室の本の存在をいつまでも忘れられない私とは違う人種であった、それだけは確か。

別に、私以外の考えの人を否定したいわけじゃなくて、だから、私の考えも否定してほしくないだけで、であるからこそ、自分の考えを正しいと自ら言ってしまう彼の話を聞く三時間半が、苦痛だったのだ。

後悔ばかりの私は、人生が終わる瞬間、たとえば病院のベッドの上で、あるいは青い海の中で、もしくは空を泳ぐ雲を眺めながら、誰を思い、なんて言うのだろう。私が思い浮かべながら「ごめん」と言った相手には、私が肺になった後に、「何もしてやれなかったよ」と泣いてほしい、と願う姑息な人生を生きている。そして私もあなたが消えてしまった日には、そう言って泣くでしょう。

正しい言葉が届かない時期、というのがきっと人にはそれぞれあって、私はそれが、もう三年も前から続いていて、だけどそれをふっと鼻で笑って受け流せるほど大人にはなれていなくて、だからこうして文字を書いている。

昨日は散々な一日だったけど、電車に乗る前に寄ったカメラ屋さんのおじさんはすごくいい人だったし、部屋に飾っている空と同じ青い花は綺麗で、もう夏が始まっている。今年の夏こそ、また横浜に行きたいと強く思う。


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