きっと、僕もアナタもヘンタイ中。
なんだか少しずつコロナがなかった頃のように、ウゴウゴしだした。
お芝居やライブの座席数の制限がなくなって。
10月からはGOTOキャンペーンに東京が追加されて。
言葉の企画生も日本各地で直接会う機会が増えていっているようです。
日常の中でマスクを外すことのできる日々までは遠い気がするけれど。
ちょっとずつ。ちょっとずつ。
何も気にする必要のない、なんだか間の抜けた日常の温みを感じます。
秋の息吹に煽られ、色々と活動をしていきたい。
いきたいのですが。
なかなか、どうにも体が動かない。
この季節…10月上旬。
少しずつ暑さを忘れて、
人肌がどうにも恋しくなって、
カーディガンを羽織るころ。
全身に殻がまとわりついたようになって動けなくなる。
毎日が眠たくて眠たくて、なのに、夜になると眠れなくて。
自分の周りに相談すると、ちらほら同じような人がいる。
もしかしたらアナタも、殻に包まれているのかもしれません。
なんだか、昔もそういうことがあったな。
あれは、はじめて僕が自分の殻に気がついて、外に出た日。
高校3年生。冬。
僕が通っていた男子校は進学校だったこともあって。
すごくピリピリとした空気が漂っていました。
僕自身も、影響を受けてか、塞ぎ込みがちになっていました。
高校最後ぐらいは無遅刻無欠席で終えたいと思っていたこともあってなんとか学校に通うことはできていたのですが、部活もなく、ただひたすら無気力に、サナギのように殻に閉じこもっていました。
なんとか動き出そうと、色んな人に出会ったり、本を読んでみたりしていたのですが、やはり殻の中からは出られません。
この殻が一体何なのかと考えてみると、一番近く親しみがあるのはカサブタではないかと思う。傷を負うと、血液の中の血小板がガッチャンコしてできるカサブタ。
夏場。活動的に動きまくると、それのフィードバックというか、いえ、代償とは違うのですが、傷を負う。どうにも成長は痛みの隣にある。
カサブタが積み重なって、少しずつ殻を形成する。
その殻を自分で破ることができればいいのですが、想像以上に分厚く。
僕は動くことができずにいました。
痛みの中に身を晒すのであれば、いっそ。
ひよこは、自分を包む卵の殻を破れずに生涯を終える。
ということが少なくないらしい。
やはり痛いとか、苦しいのは嫌だ。
情けなさとか、甲斐性のなさとか。
外に出ると、すごい人ばっかりで。
自分がいなくても、世界は回るし。
ここは、暗くて静かで、落ち着く。
僕は、ひたすらに臆病で、殻の中で生きようとしていた。
けれど。
その日、僕は、初めて自分の力で殻を破った。
高校最後の現代文の授業。
原田先生。
小太りで坊主。ハリウッドザコシショウをより丸く、穏やかにしたような人で、息を抜くような「す」がやたらと特徴的な喋り方の、現代文の先生。
僕は高校の夏休みにAO入試で大学が決まっていたのですが、それでもわざわざ片道1時間かけて登校し、現代文の夏期講習を受講するぐらい、話がうまく、面白い先生でした。
クラスのみんなの受験も終わり、高校を卒業する少し前。
原田先生の現代文の最後の授業。
生涯、この授業のことを忘れない。
最後の原田先生の授業は「絵本の読み聞かせ」でした。
おおきな木(作:シェル・シルヴァスタイン 訳:村上春樹)
100万回生きた猫(作:佐野洋子)
先生は、教卓の前に学ランの男子高校生を集めて2冊の絵本を読みました。
おとうさんのようにゆっくりと。
子どものころ、何回も何回も読んだ絵本。
子どものころ、何回も何回も読んでもらった絵本。
ストーリーも知っているし、絵だって焼き付いている。
あの少年の気持ちはあぁで、あの黒猫の心の移り変わりはこうで。
なんだよ、今更、そんな、
絵本が読み終わったころ。
静かに自分の纏う殻が内側から剥がれていった。
童心だろうか。
かつての、自分自身が背中を押してくれた。
それは決して必要に駆られたものでも、他人と比べられるものでも、数値化されるものでも、なんでもなく。
お風呂に浮かべたガーゼのような。
暖かく、柔らかい感情で、殻をふやかし、ヒビを入れた。
無理やり喝を入れたり、未来を指し示したり、そういうのではなく。
こうした優しい形で、人間を救う方法もあるのだ。
うっかりすると、涙がこぼれそうで。
誰かにバレたくなくて、鼻からたくさん息を吸って、こらえた。
クラスメイト全員が、今まで見たことのない顔に見えた。
初めて、人の顔をみたような気さえした。
変態中。
お医者さん曰く、僕は冬季うつというものらしい。
どうしてもこの季節は気分が落ち込み、動き出せなくなってしまう。
学生劇団員時代は、11月に公演があった関係で無理やり動いて、先延ばしをした形で大きめに12月に動けなくなっていた。
動けなくなると本当にダメで、1日に一食も喉を通らなかったり、布団から出られなくなったりする。太陽の光を…セロトニンが…とかわかっているのに。自分の特性を知って、少しずつ改善というか、生き方がわかるようになったけれど、やっぱりこの季節は苦手だ。
殻に閉じこもって動けなくなっている。
サナギのように動けていない時のことを、動いていないという一面だけで処理すると、どうにも辛くなってくる。
けれど。
いっぱい食べたあおむしは、サナギの中で一度、その体の全てを熔かし、美しい羽を持った蝶へ再構成する。
夏場に、たくさんの本を読み、たくさん経験をした。
傷つくこともあった。凹んだ。
そうしてカサブタの殻で作られたサナギは、動いていないように見えたとしても、その殻の下で自分自身を再構成しているだけなのかもしれない。
殻の内側にいるのは、間違いなく自分だ。
そう思えば、少し、前向きに。
この季節を乗り越えられる気がする。
きっと、僕も、アナタも大丈夫だ。
生物の再構成のことを、『変態』という。
あとがきのようなもの
言葉の企画の第5回目の課題として、「あの感情に名前をつけよう」というものが出された。
後からお題文を読み返したら「文章を書こう」とあって、完全に失念していた僕は、漫画としてネームまでこの話を書き出していた。
そちらはそちらで、いずれ載せたいと思うけど、漫画を書いたり、演劇をやったり、映像の脚本をやってみたり。物語によって、救われることがあるという原体験に基づいているのかもしれない。
原田先生だけじゃなく、たくさんのいい人に出会ってきた。
物語によって、思い出によって。
あるいは、切り取り方によって、伝え方によって。
どんな形になるかはわからないけれど、僕は恩師のようになりたい。
きっとこれが、憧れというやつなんだ。
僕は、あの人たちのような、優しい人になりたい。
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