【MTG】EDHという幻想の終わり
はじめに
2024年8月下旬~10月1日は、MTG界隈にとっては激動の1か月となった。各種構築フォーマットの禁止改訂に端を発し、9月下旬には統率者フォーマットにて、旧来のプレイヤーにとっては入場料であり、ここ数年のプレイヤーにとっては憧憬の対象となっていた《Mana Crypt》が、統率者2019に登場してから赤の必須パーツとなった《波止場の恐喝者》が、そして統率者レジェンズのトップレアとして印刷され、統率者マスターズの当たり枠としても印刷された《宝石の睡蓮》が禁止となった。
禁止改訂を出した統率者戦ルール委員会(及び構成している個人)へ非難が殺到したため、急きょwotc公式がEDHの運用を巻き取ったのが10/1、更にブラケット制なる旧レベル制に近しい新指標の導入が示唆された。この間僅か1週間の出来事である。風雲急を告げるとはこの事だ。
これまでもEDHはプレイヤーの良識によってギリギリで運用され、ニトログリセリンが如く毎週どこかで小爆発を起こしていた。今回の出来事はまさしく、wotcの願う・小売店の願う・プレイヤーの願う、EDHという幻想が限界を迎えていた事、そして同時にMTGというゲームにとってEDHがもはや降ろす事の出来ない荷となっている事を感じさせた。本稿はあくまで2024年11月の感想として書き残したい。
自分とEDHの昔話
読み飛ばして貰って構わない。
自分がEDHを遊んでいた期間は短いが濃かった。おそらく2008年~2011年頃で、国内ではアーリーアダプターの方だったと思う。身内でFNMの合間に遊ぶゲームとして流行し、海外から《Mana Crypt》《Wheel of Fortune》のようなEDHでしか使えないゴミパーツを身内でまとめて輸入して遊んでいた。それにしても今回《Mana Crypt》が本当にゴミになったのは笑った。
程なくしてヴィンテージのマナアーティファクトに始まり《むかつき》《Time Twister》を装備し、妨害がかみ合わないと平均2ターンで終わるような環境が当たり前となっていった。FNMの合間に気楽に遊ぶ、MTGのカードを用いたMTGとは別のゲームとして最適だった。
今や国内MTGのプレイのインフラとなった晴れる屋も店舗を持っておらずトモハルさんに声掛けてカード買ったりするレベルの時代、EDHは各地域で研究は進むもそれらが交差することはなく、グランプリの時には何も得られないのに地域を背負ってサイドイベントに参加するという、まるでゲーセン時代の格闘ゲームの様だった。
ジェネラル毎のマトモなリストなんてネットに転がっていないし、イベント情報なんて出てこないし、とにかく不便だったが、始めたいと声を掛けられたらコミュニティが全力でサポートする優しさはあった。配る用の《リスティックの研究》と《Mystic Remora》をなんか大量に持っていた。
……ただwotcが統率者専用カードとして《締め付け》を出したり中途半端にしゃしゃり出てきたあたりで私は結構冷めてしまった。それに加えて生活環境の変化からMTGから離れたことでEDHからも離れる事となった。2020年頃から復帰した現在も、今のEDHの遊ばれ方に無理を感じていて距離を縮められないままとなっている。
ルール委員会の功罪
ハウスルールとして広がったEDHも、公式が専用カードを印刷したり推進した事で巨大化の一途を辿った。それらを取りまとめる組織として、2015年に初期からEDHの普及に努めてきたシェルドンを中心として、運営はwotcではないがwotcが推奨する(冷静に考えて意味不明だ)統率者戦ルール委員会が発足する。この時から、統率者セットは公式から出るがルールは有志による委員会が定める、という2024年9月まで運営されてきた胡乱な体制が権威を持つ事となる。
余談ではあるが、過去を知る人間として敢えて指摘すると、2010年前後のプレイヤーにとってシェルドンは「誰だよこのおっさん」扱いだった。ただし明らかに暴れているカードを無視してコクショウを禁止にしたので、シェルドンが旗を振っている限りはEDHは無法地帯だなと安心した記憶がある。安らかに眠ってくれ、お疲れさま、よく分からんおっさん。
WotCが得た利益
まず委員会に権威を与える体制で利益を得たのは公式である。明らかにEDHにだけフィットした専用カードを出すことが出来た。次に外部にルール機能を持たせることで、本来かけるべきデベロップメントコストを削減しながら強力なカードを刷って、コレクターブースターを販売し、ゲームバランスに問題が起きた際にも委員会≒wotcの構造が責任の所在を曖昧にさせた。
更にスタンダードのカードへの購買意欲が低いエターナルフォーマットのプレイヤーに対し、統率者セットの名目で毎月エターナルホライゾンを販売する事が可能となった。EDHというフォーマットと委員会式は、wotcにとって都合が良かったのである。
小売店(専門店)が得た利益
本来はwotcが新弾から利益を得られれば小売店もそれに追従する訳だが、我々のお上は暴君なのでこの点は一致しないと思われる。むしろ公式の販売スピード上昇による専門店の自転車操業化を何度も目にしてきた。
ただしそれでもEDHが小売店にもたらした利益は計り知れない。コロナ禍で競技イベントが中止となる中、EDHが草野球的に遊ばれ、MTGというカードゲームの価値を担保してくれた。更に専門店でも委員会の権威を肯定する(彼らのルールに則る)ことで、限られたコミュニティでしか遊ばれなかったEDHに新規やソロプレイヤーを呼び込み、そこで新たなコミュニティを形成してEDH用のカードを買う動機づけが出来たのである。非競技的プレイヤーに統率者ピッチを買わせ、その先の《Mana Crypt》や《Time Twister》を欲しがらせる、かつてこんなフォーマットが存在しただろうか。
また思わぬ効能もあった。カジュアルEDHが爆裂人気の海外と、競技志向の強い日本のカード市場では、価値の反比例が発生している。専門知識があれば、カジュアルEDHで人気のカードを日本で買い込んで海外に輸出し、海外から競技志向の強いカードを輸入することが出来る、これはEDHが専門店にもたらした想定外の利益だったと思われる。
プレイヤーが得た利益
プレイヤーは公式と専門店の原資であるので基本的には金銭的な利益を得るものではない。しかし公式が委員会式ルールを推奨し、専門店が喜んでそれに追従したならば、一般的なカードゲーマー(コミュニケーション能力の高くない大人)であっても委員会の提示するルールさえ守れば「みんなで楽しくEDH」に自分も参加出来る、という多大な利益を得た。
かくして幻想が生まれた
「EDHは誰とでも遊べる楽しいフォーマット」
という幻想が委員会形式の肯定によって生まれたのである。
三者三様の利益のためこの幻想は長らく妄信され続けてきた。仮にこの幻想の持つ矛盾が爆発を起こしたとて、そこで統率者ルール委員会形式での運営に疑問を持つ人はもはや居なくなったと感じる。統率者ルール委員会=お上の考えが刷り込まれてしまった。
思い返すと数多くの負担をユーザーに背負わせながらも、目まぐるしい販売ペース(と小売店の推しだす誰とでも楽しめるEDH)がユーザーをハイにさせ続けてくれた数年であった。
委員会形式が生んだ矛盾
ただしこの委員会形式の幻想には綻びが多くある。
それが小規模ないし大規模に毎週爆発を起こしている。ざっと思いつくだけでも以下がその綻びに該当するだろう。
推奨ルール(実際のカードプール)と売り出し方の矛盾
多人数戦用カードの調整不足
エターナルフォーマットへの影響の管理不足
管理コストを減らしたことによる発売スピードの急上昇
発売前セットへの委員会の介入
競技フォーマット用カードにEDH用調整の介入🦜
ガチカジュアル論争
等々……
管理不足と言えば《有翼の叡智、ナドゥ》が記憶に新しいが、エターナルフォーマットへの影響ならば統率者セットが導入されて以降は毎月激動である。暴れすぎて禁止になった《白羽山の冒険者》のイニシアチブが分かり易い。ただ正直エターナルフォーマットやっている連中は好事家なので、彼らをそこまで気にかける必要はない。高額カードを集めてしまったので辞めるに辞められなくなっている、筈である。
それよりも問題なのは 推奨ルール(実際のカードプール)と売り出し方の矛盾 だ。EDHのカードプールはハイランダーを良い事にゲームを極度に高速化させるカードでも使用出来る。《Mana Crypt》《Sol Ring》《Mana Vault》が代表的だ。マナソースをクリーチャーに寄せて《無のロッド》等でアーティファクト対策をしているデッキ以外は、はっきり言ってこれらを採用しないという選択肢は無い。しかしそれは、EDHは誰とでも遊べる楽しいフォーマットです!という売り出し方と著しく矛盾しており、轢き殺されたカジュアルプレイヤーの文句はTwitterやRedditで定番の火種となっているし、更に火に油を注ぐが如く公式が《Mana Crypt》を高いレアリティでスタンダードのパックに収録したり《宝石の睡蓮》を印刷している。引き返すどころか矛盾に向かってアクセルを踏み込んできた。そんな中での禁止改訂はルール委員会が限界を迎えて発した悲鳴だったのかもしれない。
ガチカジュアル論争
これはハッキリ言って触れたくないが、EDHという幻想の生んだ矛盾として触れざるを得ないだろう。簡単に説明すると公式や小売店の推し出す「誰とでも楽しめるEDH」には解釈の余地があり過ぎるのである。
勝ち負けに拘らず楽しみましょう
バジェットを考慮して楽しみましょう
みんなのデッキ発表会を楽しみましょう
使えるものは全て使って楽しみましょう
メタゲームを楽しみましょう
等々
といった風に、一本の道をお互いに一方通行だと思って走っているのだから正面衝突しまくる。これを回避するためにレベル制なる、プレイヤーにデッキパワーを申告させて同レベル帯でマッチングさせようとする試みはあるが、これまた胡乱なので燃える。ボクシングの階級が「軽いと思う人たち」「重いと思う人たち」で分かれてたら大変な事になるだろ。残念ながら無差別級以外はルールとして破綻している。
そもそもレベル制を肯定する事、或いは肯定しないと遊べない状況になっている事に疑問を持つべきだ。もしあなたが後者であり、かつレベル制を信じて見知らぬ人とのカジュアルプレイをメインにしている場合、本来EDHというゲームはあなたにとって適したゲームではなかったのかもしれない。
更に良くないのは「cEDH」の出現である。カードゲーマーは根暗なのでカジュアルプレイを推し出す公式がいるならば、競技的なプレイを自称する集団が現れる。そもそも公式の打ち出すレベル制が破綻しているのであれば、単にルールに則って、単に強いカードを詰め込んだ、単なる「EDH」を遊べば良いのであるが、何故かそこに名前を与えて群れ始めてしまうあたりにカードゲーマーの呪いじみた習性を感じる。
普通にルール通りなんだからガタガタ抜かすな!!で済ませたら良いと思うのだが、彼らもまたルール委員会様のお陰で競技的EDHというアイデンティティを確立し、専門店で見知らぬ人と遊べるようになっているのだから、プレイ機会の面ではcEDH勢はカジュアルプレイヤー以上にこの幻想をしっかり享受していると言える。
私個人の意見としては、EDHは「単なるEDHを身内と遊ぶ」以外の方法での健康的なプレイ体験の実現は不可能であると感じる。そこには勝者に与えられるプライズや称号も存在しないが、もしカードゲームでそれが欲しいと言うのなら他のフォーマットをプレイしたら良い。それらが得られるのが本来MTGというカードゲームの強みなのだから。
幻想が終わって
ブラケット以後のEDHはどうなるか
変わらない、或いは良くする余地があると思う。
まずルール面では、レベル制に代わるブラケット制なる目安を公式が表明するらしいが、ゲーム開始時に理由をつけて自身の裁量でブラケットの壁を越えた構築をして良いらしい。みんなで思い思いの《ブラケット貫通力線》を公開してゲームスタートだ。よりによって公式の挙げている例がEDHの汎用高額パーツである《古えの墳墓》なのは笑わせにきているのか。
《ブラケット貫通力線》は冗談にして欲しいが、EDHで使用可能な全てのカードにブラケットを振ることが出来れば、今よりかは明瞭で納得感のある階級で遊ぶことが出来る筈だ。全てのカードに振るのは大変な労力であるし運用コストも旧来とは桁違いではあるが、これまでの分、巻き取った責任を果たして欲しい。ここには希望を感じる。ここさえ間違えなければ、15年を経て、初めてEDHがver1.0になれるかもしれない。
無論ブラケット毎のメタゲームは生まれてしまうだろうが、もしそれが嫌ならば身内で遊んでいたら良い。もしブラケット制が気に入らず、かつ身内も居ないのであれば友達を作るところからだ。そもそもMTGというゲームに拘り続ける必要だって無いんだ。
次に販売戦略であるが、これも大きく変わらないと思う。
公式や小売店は引き続き「EDHは誰とでも楽しめるフォーマットです!」を標榜し続けると思うし、プレイヤーもその幻想を信じて文句を言いながらもEDHを遊び続ける、その矛盾が引き続き炎上し続ける事だろう。
統率者専用セットがどうなるかも分からないが、ジャンプスタートであったり名前を変えてEDH用(エターナルフォーマット向け)パワーカードを印刷する事が出来るしwotc目線で印刷しない理由がない。引き続きレガシープレイヤーが謎セットを買い支える構造は継続と思われる。委員会とデベロップメントチームの距離が短くなるので、ナドゥのような壊れは出にくくなる……と期待したいところだが。
禁止された3者はどうなるか
《波止場の恐喝者》
《Mana Crypt》
《宝石の睡蓮》
おそらく二度と帰ってくることはないだろう。
ただでさえプレイヤーからの強い不信感を買ってしまったのに公式が更にひっくり返すとは考えにくい。思い出としてファイルに入れておくと、ブラケット以後のプレイヤーに老害ムーブが出来るくらいだ。
終わりに
この記事を書くにあたって
長い文章を書くのは久しぶりで、その間はTwitterでクダを巻いたりYouTubeで動画を撮ったりしていた。EDHは長らく遊んでいないものの、当時を知るプレイヤーとして思い入れは強く、インターネットでEDHボヤ騒ぎを見るたび「なんでこうなるんだ」と同時に「良くあって欲しい」と願っていたので今回の禁止改訂は自分とEDHにとって大きな節目に思えた。
それに加えてレガシープレイヤーとしても、モダンホライゾン3+モダンホライゾン3統率者セット(意味不明)という、いよいよ極まった商品が投下され、スタンダードを経由するセットでも明らかにレガシーを向いた統率者セットのカードが印刷されるなど、統率者セットに振り回されるのは正直疲れてきた、というのもある。流石にこの販売ペースになってから毎セットは重すぎないか。買い支えるにも限度がある。
だからこそ、当時のEDHを知るプレイヤーとして――つまり統率者フォーマットを主軸とした販売戦略以前のEDHを知るプレイヤーとして、過去を振り返りながら書いてみた次第だ。ルール委員会の解体と公式の巻取り、レベル制の廃止とブラケット制の導入、どれも15年前にやるべきだったが、今だからこそ上手くやれる余地は残されている。新委員会には小売店を代表して日本人が参加するらしいので(専門店の社員が加わるのは別の問題がありそうだが、そんな事以上に)是非期待したい。そう思える人柄だ。
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家族にカードゲームをやっている事を説明しやすくなるし、何より書くモチベーションになる。noteに値段を付けるのも良いですが、やっぱりモノで貰えた方が実感があって嬉しいので・・・。
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