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241221

自分が、台風のような人間であることが苦しくてたまらない。


友達と家族についての悩みから、今日は話そうと思う。


最近は誰かに好かれたい気持ちと誰にも好かれたくない気持ちのダブルバインドを抱えている。好かれたくないだけで、嫌われたくもない。だけど、好かれない世界はとてもとっても寂しいと思う。
どっちも毒がある。

なんでこんなゴミみたいなことしてるのに仲良くしてくれるんだろう?って一度でも思ってしまったらもう申し訳なくなって気まずくなって消えたくてたまらなくなるから関係を断とうとしてしまう傾向にある。それを分かっているから精一杯リセットしないように努めている。後悔して悲しくなってしまうことも分かっているから。


恋をしていない自分に遅れを感じてあせらされて上半期を生きたけれど、どんどん恋に関与しようとしている自分が気持ち悪くなった。
それっぽい、それが微かに香るような体験をする度に、神経をすり減らし気を張り、振り返ってみれば自分が醜くてたまらない。具体的な根拠の有無に関わらず、変で恥ずかしくて悪である。
時折、そんなものに脳を割いているなんて、とか急かされているなんて、とか、思ったよりも意味のないものに踊らされている気がする、とか思ったり、露悪的で気味の悪いもののように捉えてしまったりする瞬間があった。これがアンチセクシュアルなのかもしれない。

このままでは出会いすらも掴めずに死ぬ。
若いから言葉遣いが大袈裟なのも愛嬌。


対人関係の悩みは尽きない。

いつからか祖母に頭を撫でられるのが好きではなくなった。
会話を面倒だと思うことが増えて、苛立ちを隠せなくなっても、嫌いではないのに。いつからか、触られることが怖くて避けるようになってしまった。

私が祖母に接触されることさえ好きでなくなってしまったのは、気まずいからだと最近気づいた。
彼女にげんなりして拒絶や苛立ちを隠せなくなってしまっている自分に対し、変わらず愛情を向けてくれているのが一瞬で分かる動作。そして少しだけ冷たく薄い、優しい手の感触、手つき。
それらがとても気まずくて申し訳なくていたたまれなくて、居心地が悪いからだと気づいてしまった。

それからどんな顔をして毎日4回も5回も家にくる祖母に向き合えば良いのか、分からなくなった。急に優しくはなれない。けれど、かと言って今までのあまりに突き放した態度を取り続けるのもなんだか苦しくて、今はしょうがないから関わらないようにしている。きっと後悔すると思う。
心の整理や気持ちの落ち着きを待ってほしくて、
「時間は待ってくれない」という言葉を強く感じる。



祖母が、「心配だから」という言葉を盾に私が嫌がることを繰り返すのに気づいて辟易した時、「心配」という言葉が相手に与えるものが怖くて慎重に使うようになった。今回もそれに近いことを考えている。


恋愛という線にのるかどうかに関わらず、
どういう意味であれ、
誰かに好かれる/誰かを好きになるということが凶器性を孕みうる、とは思ってもみなかった。

好きって、やっぱり時として暴力なんだなと気づいてしまってから、じゃあ友達を、その日あった素敵な人を、愛おしく思った時、好意的に思っている時、尊敬している時、これからも関係性を維持していきたいって思った時、なんて言えば良いのと逡巡してしまう。その気持ち自体が、あるいはそれを人に向けようとすることが罪なのかもしれない。考えすぎかもしれない。分からない。助けて欲しい。

友達には何度も向けてしまう「好き」を抑えなければならないのかもしれない、と思っているし、祖母には伝えたい。多分、伝えなければならない。けどできない。甘えている。

Xで新しくフォローした人は、「ある人に好かれるかどうかは致命的な傷にはならないと気づいた」と言っていた。それを見て、好かれることにも好かれないことにも一杯一杯になっている私は、心底早くこれになりたいと思った。


とにかく、今年も、そして来年も、
好きな音楽と美術館と、好きな映画やアニメと、美味しくて幸せなご飯と、大好きな家族や友達と、新しくてあったかい素敵な一度きりかもしれないご縁と、沢山の本と言葉に囲まれて過ごしたい。まだ囲まれたいものはあるかもしれない。
年末に浸るのはまだ早いか。
年明けまでにまた1回くらいはnoteを書きたいし、そしたらこの部分はそっと消しておこうと思う。

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