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HORIZON/レミオロメン

過去に10代向けラジオを通じて知り合った、tomoちゃん。現在もSNSで繋がっている。

彼女はとても才能に溢れている人で、カメラマンとして全国を飛び回ってみたり、文筆を仕事に昇華できるくらいの力をもっている。

今回、このnoteがとても良かったのでシェアする。

https://note.com/nctm02/n/n15bfe7538288?sub_rt=share_b

わたしもともちゃん(ここからはそう表記する)と同じように、このレミオロメンの「HORIZON」を学生時代に聞いていた。

それこそ彼女と同じようにぎりぎりの状況で、このアルバムを手にした。

彼女のこの記事では、アルバムの曲と自身の思い出を絡めていた。
とても良い記事で、わたしも創作意欲が刺激されたので、二番煎じで申し訳ないがすこし思い出を語ってみる。




わたしがこのアルバムの中で特に思い入れが強いのは、「スタンドバイミー」と「紙ふぶき」だ。

このアルバムは不登校真っ盛りの中三の頃によく聞いていて、アルバムのジャケットになっている空の写真を見て
「どこかへ逃げてしまいたい」
とよく思っていた。
学校にも行けず、外にも出れない、それなのに、どこかへ逃げることを常に願って生きていた。

だからこそ「スタンドバイミー」の歌詞に思いを馳せた。

とびだせ 世界は広く深くそして限りなく
続いているのさ 壁は僕らの中


いつか自分はどこか素敵なところに行けるんじゃないか
それこそどこかに逃げてしまえるのは明日かもしれない。
そんなありもしないことを考えながら、ベッドの上で膝を抱えて、曲を聞いていた。



だが、意気揚々と入学した高校でも上手くことはなく、特に不登校の時にでも心の支えにしていた親友たちが別の高校に行ってしまったことで、わたしの支えがなくなり、本当に心の芯がグラグラになってしまった。
表面では取り繕って、クラスの人と当たり障りのない会話をしたりしていたつもりだった。
だが、今思い出すと、吃音のような症状や、表情の痙攣がでてしまい、とてもじゃないけれど普通の状態ではなかった。

欠席と早退を繰り返し、時には授業をサボり、鬱々と人気のない廊下で座っているのを見かねた先生からは
「いまの体と心の状態では、この学校で学校生活を続けていくのは無理かもしれない」
と転校を勧められた。

だが、そんなことを親は許してくれず、先生までも巻き込み、散々喧嘩を繰り返した結果のある日。

母親は「もう、お前の面倒を見ることはできない」と、わたしを空港まで連れて行き、祖母のいる東京に行くように言った。
その瞬間、わたしは「親から捨てられたんだ」と感じた。

まさか、初めて飛行機に乗るのがこんな形になるとは想像もしなかった。
あまりの事態に泣くこともできず、どうしようと呆然とする中で、飛行機の機内でずっと聞いていたのがこのアルバムだった。

皮肉にも、わたしは自ら望んで飛び出す形ではなく、ポイと捨てられるような形で世界から飛び出てしまった。
希望のあふれる曲が、全くのうそっぱちに思えたのを覚えている。

だけど、その日の空はアルバムのジャケットのように、青く、深く、きれいだった。


そこからは、東京の祖母の家に身を置かせてもらった。
親戚や家族、先生との話し合いが行われ、母から帰宅が許されるまでの間「わたしは捨てられたんだ」と拗ね心に泥をためる生活を送った。

当時はサブスクもなかったし、わたしは携帯型CDプレイヤーしか持っていなかったので、聞ける音楽はかろうじて荷物に入れることができた2、3枚のCDのみ。
だから、同じCDを繰り返し聞いた。

本当は飽きているんだけど、音楽でも聞かないと、長い長い夜は時間を持て余す。
祖母の家は都会の雑居ビルに囲まれているので、ラジオの感度も悪く、実家のようにラジオで時間を潰すこともなかなかできなかった。

そんな夜に聞く「紙ふぶき」は「スタンドバイミー」のように輝かしくなく、どこかみじめで、自分の曲のようだった。

ああ、答え待って意味探して なにもせずぼやいて何日何十日生きている
突然目覚めるって思っていたけどそうでもなくて 何年何十年 生きている
諦めてしまうことと 投げやりになれないこと
その狭間で瞳を閉じた

曲には飽きていたかもしれない。
だけど、この歌詞が針のように胸に刺さって、いつもこの部分では涙がでた。

いろんなことを諦めきれずにいる。
だけど、ここから事態が変わるような気は全くしなくて、どうすればいいのか分からず、ただ時間を重ねていた。

全てを捨ててしまおうかと思ったけれど、そんなこともできず、当時はそのまま祖母が母を説得してくれるのを眺め、わたしはまた実家に戻ることになった。

そこからは思い出したくもない暗闇を過ごしたけれど、学校を辞めたあたりから、世界が開けた。
田舎にしては珍しい県立の通信制の高校に通い始め、そこでぱっと舞台の幕が開くかのように生活が変わった。

悔しくて聞くことのできなかった、半ば因縁めいたHORIZONもまた聞くことができるようになったし、高校生の冬にはwonderful & beautifulという、今でも大好きなレミオの曲に出会うことができた。

だけど、このアルバムの表紙を見るたびに、少し苦々しい気持ちが蘇ってくる。



………と、はぼ夜中のテンションでここまで書いて、放置することひと月。
自分の中で文章がうまくまとまっていないし、収拾もつかなくなったので、このまま掲載します。
(お恥ずかしい限りです)


この出来事を超えて、わたしは生きています。
レミオロメンは活動を休止し、藤巻さんはソロで活動を行っていたり、思い描いていた未来とは違う形になりました。
でも、残った音楽だけは、なにも変わらずにいつでも同じ鳴り方をしてくれます。

今はまだ、少し苦い気持ちの残るアルバムですが、きっと素敵なエピソードが上書きがされるはず。
いつかそんな日を楽しみにしながら、
また音楽を聴くのです。