担当教員のつぶやき:Zoomで人狼ゲーム編
今回は吊られませんでした。自分史上初めてのことで嬉しいです。
でも負けました。人狼は全員倒したはずなのに、最後のターンで突如として出現した第三勢力「妖狐」に村を滅ぼされ、村人たちは負けました。そんな逆転劇が待ち受けているなら事前に教えて欲しかったです。
とはいえ、そうしたルールの複雑さ、それを知らないことによる理不尽さも含めて、人とのコミュニケーションを取るための手段として評価するのであれば、人狼ゲームはなかなかに優れたゲームと言えそうです。(16人でプレイすると相当時間がかかるけれども!)
人狼ゲームへの違和感
前回のワードウルフも人狼系のゲームでしたが、今回は本来のルールに近い人狼ゲームに、またしてもLINE BOT版で取り組んでみました。
概ね誰もが参加できるゲームというと、最近はどうやら人狼ゲームに落ち着くらしいです。我々の頃は大富豪とかだった気がします。地域差もあるかもしれませんが。
しかしこの人狼ゲーム、実は慣れていない人にはかなり敷居が高い。
激しく騙し騙されるゲームなので人間関係が崩れないか心配というのもありますが、その前にルールがね、入ってこないんですよ。というのは、ルールを理解しようとするための世界観が入ってこないからなのです。
個人的に混乱が大きいのは役職(種族?)です。村人はわかります。人狼もまあわかります。でも妖狐とかキツネとか、明らかに日本産ですよね?例えるならドラキュラ伯爵の世界観に鬼太郎や猫娘を無理やり登場させてしまったような違和感を覚えます。
さらに、人狼と村人を巡る物語のはずなのに、「メンタリスト」って役職があったりするのです。テレビでよく見る、テレビでしか見ないあの役職です。しかしメンタリストが存在するのであれば、彼らが(彼が?)元にするような心理学を発達させられるような科学の素地が存在するし、科学を担う学者たちが存在しているわけで。それならば学者たちはまず毎晩毎晩投票をして人を吊すという暴走した民主主義を止めるべきでしょうし、研究を重ねて人狼たちとの和平の道を探ったって悪くはないはずです。
役職といえば、「騎士」という配役があるんですよ。善良な村人たちを人狼の牙から守る重要なプレイヤーなのです。とはいえ無敵ではなくて、騎士自身が人狼の標的となると呆気なく退場することになります。騎士は、自身が騎士であることをバラすことなく村人を守り続けることになります。でもね、人の身は守れるけど自分の身は守れない騎士って何なんでしょうか。その究極に利他的な騎士道には頭が下がりますけれども、せめて自分の身を守れるようになってから他人の問題に首を突っ込んでほしいと思ってしまうのは、私だけでしょうか。
そもそもの話、「吊す」って怖くありませんか?先に述べたように、人狼ゲームでは1日ごとに(1ターンごとに)その夜誰を「吊す」(処刑する)かを投票で決めます。自分が処刑されることのないように、しかし仲間を処刑すことのないように人狼だけを吊っていくのです。しかしこの吊すという表現に戦慄を覚えるのは私だけでしょうか?ゲームの途中で「じゃあしょうがないからとりあえず○○を吊っておこうぜ!」とか言うんですよ、若者たちが。なんなの、魔女狩りなの?結局のところ、一番怖いのは人狼ではなくて、民主主義の皮を被り無害を装いながら平気で仲間を吊るしてしまう人間たちなのである、というのがこのゲームの教訓なんですよね。わかりますとも。
しかし、おもしろいのは
などと考えてしまう性分なので、まずもって世界観がわからなくて途方に暮れます。完成された世界観じゃないから役職が頭に入ってこないのです。
しかし逆にそこがポイントなのかもしれません。いまどきの大学生たちというのは
、協調生が高く(和を乱さない)、傷つきやすく(課題にコメントしたら泣かれる)、争いや政治的なアクションは苦手で、人と比べられるのは好まず(競争ダメ絶対)、自分や仲間のが傷つけられると「理不尽だ」と感情的に怒りだす(課題提出に遅れた人に注意すると何故か逆に教員がおこられる)、そんな人たちなのですが(※個人の感想です。悪意はありません。サンプリングバイアスは多大にかかっています)
そんな彼らはしかし、人狼ゲームでは実に生き生きと競争し、戦略的に振舞うのです。人間関係が壊れるのではないかと心配になるほどに、トラウマ的でえげつない騙し方をしてきます(たくさん騙されました)。
などと呟くと、大学生をバカにしている、と またおこられそうです(どうどう、おこらないで)。ゲームなんだからツッコまなくても良いじゃないか、所詮虚構なんだから楽しめれば良いじゃないか、など。しかし、狂気を感じるほどの整合性を持って練り上げられた虚構というものも存在しますし(初代の機動戦士ガンダムだって膨大な年表とかありますからね)、ゲームであってもボードゲーム「カタン」のようにルールのシンプルさとゲームとしての完成度を恐ろしい精度で両立したものも存在するのです。虚構こそ、遊びこそ、現実よりも整合的であるべきだ、という考え方もあることを知っておいたって良いではありませぬか。
彼らにとって重要なのは背後にある世界観ではなく、ゲームであり合理的なルールが存在すること、そしてそれが自分たちに向けて開示されていることなのです。
わずか2回ほどの人狼ゲームを通じて、世界観が先、ルールが後、と自分自身が決めつけていたことに気づかされました。ルールが先、世界観や整合性は後で入念に精査するという考え方も、たしかにあり得ますよね。
そんな学びを得られた点で、人狼ゲームに混ぜてもらえたことは有意義な体験でした(吊られたけど!)。そして、学びが得られてしまう点では、認めるのは甚だ悔しいですが人狼は良いゲームと言えるのでしょう。
ゲームの話に戻りましょう
人狼ゲームについて徒然なるままに文をしたためていたら2000字を超えてしまいました。Zoomで人狼ゲームをしてみての感想に戻りましょう。
やはり時間が長くなってしまうことと、Zoomでは最初に脱落した人がかわいそうな時間を過ごすことになるのがネックです。記事にもあるように、あまり知らない人との距離を縮めるために使うのでればワードウルフの方が適切でしょう。LINE BOTの人狼ゲームは、遠隔環境ですでに仲の良い友達との距離をさらに縮めるための手段として活用することができそうです。
などと書こうと思っていたら、詳細はゼミ生たちのレビューに尽くされていたんですね。教員の仕事が残らないのはゼミ生たちが優秀である証拠。この調子で次週も頑張っていきましょう😌
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