岡山のこと(その2)
岡山から帰り、身内や同僚に「岡山、どうだった?」と訊かれるたび、私は真顔で「桃太郎でした」と答えた。
岡山には奴が溢れている。自販機にもマンホールにも。
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例えば「札幌といえば?」という問いへの答えは「ジンギスカン」「スープカレー」「時計台」「すすきの」など無限だろう。
でも「岡山といえば?」への回答は「桃太郎」のみだ。バカにしているのではない。一点突破のスタイル、清々しいくらいだ。一騎当千。
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津山から岡山へ移動した私は、吉備津神社へ向かった。桃太郎のモデルといわれている、吉備津彦を奉る神社だ。スーパーメジャー観光地である。
普段、このような定番の観光スポットに行くことはまずない。
奇をてらっているわけではなく、自分の価値観や感性に対して素直になると、自ずと旅の計画書は
「巨大男根を祀っている神社」
とか
「女装好きのおじいさんが一人で切り盛りしている喫茶店」
とかで埋め尽くされるのである。
しかし岡山は桃太郎の一点突破だ。受けて立つしかない。
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お母さんが撮ってきた写真といった感じだが、メジャー観光地ゆえである。
しかしメジャー級もやらかしていた。
かなえボー。
ありがたいが、間抜けな響きだ。あんずボーを思い出させる。字体もアレだ。というか、鬼は敵ではないのか。金棒とかけているのかもしれないが、こんなものに考えを巡らせるのは時間の無駄である。
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続いては吉備津彦神社へ向かった。吉備津神社から近く名前も似ているが、こちらはまた別のメジャースポットである。吉備津神社と同様に吉備津彦を奉っている。
桃太郎ご一行が出迎えてくれた。
いや、待て。
顔!
「各部署に必ず一人はいる顔」とでもいおうか。とても鬼を倒せるとは思えない。誰かに似ているが、それが誰なのかはたぶん一生わからない。
犬もなかなかだ。
アシンメトリーどころではない。お前、バイオハザード出てたよな。
そしてこれ。
雉はギリセーフだが、問題はサルだ。
表情、立ち方、サイズ感などすべてが完ぺきだ(悪い意味で)。
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メジャースポットを巡ったが、記憶に残ったのは結局「かなえボー」と「病気のサル」であった。いや、紫陽花とかきれいだったけどね。
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岡山駅に戻り、昼食とした。
黄ニララーメンとデミカツ丼。小食の私にはスーパーボリューミーだったが、せっかくなので食った。
デミカツ丼は岡山の名物らしい。名前の通り、ご飯に乗ったトンカツ、千切りキャベツにデミグラスソースがかけられている。
以上の説明で想像される味としかいいようのない味だった。いや、うまかったけどね。
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宿に荷物を預け、 湯である。
少々時間は早いが、夜に控えたメインイベントのサッカー観戦を考慮すると、このタイミングしかない。
東湯へと向かった。
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無人駅を降り、歩くこと数分。その湯は住宅街にあった。
雰囲気がある、というのだろうか。静かだが、たくましく、存在感を放っている。いざ。
「嘘じゃろ」
私は短時間で岡山弁をマスターしていた。
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いつから休んでいるのかは読み取れない。1か月前からかもしれないし、今日からかもしれない。とにかく、やっていない。
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休業からそのまま廃業という湯は少なくない。そうなって欲しくはないが「東湯は大丈夫」という根拠なんて全くない。もちろん、大丈夫じゃない根拠もない。
ただ、貼り紙にある「又」はいくらかの希望だ。過去にも東湯は復活を果たしているのだろう。
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私が入れなかったことは旅のアクシデントに過ぎないが、東湯が日常のピースになっている人々にしてみればアクシデントなんて言葉では済まないだろう。
津山で考えたことと少々矛盾するが、何とかなるなら何とかなって欲しいなと思う。
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スケジュールの都合上、岡山の銭湯へ入ることはこの時点で不可能となった。たまたま入れることもあれば、入れないこともある。そんなもんだ。
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そんなわけで、しょんぼりしながら初めてのシティライトスタジアム。
6月の札幌はまだ冷える日もあるが、岡山の夜は半袖でハイボールを流し込んでも全然大丈夫だった。
最高。旅もサッカーも切り替えが大事だ。深爪。
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子どもたちに夢を。そう思いながらのタバコはいつもよりうまかった。
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初めてのスタジアムを満喫し、例によって地元スーパーで調達したディナー。
閉店間際の訪間が仇となり、地元感に欠けるメンバーとなってしまった。申し訳ない。
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翌朝は倉敷へ向かった。
お母さんの思い出感が加速。
素敵なエリアだが、私の目的はドラクエウォークのお土産だ。
またお前か!
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倉敷といえばジーンズが有名だ。しかし私は日本で一番ジーンズが似合わない。ワーストジーニスト、あるいは逆・草彅剛だ。
結局、端布で作ったタバコケース(にも使えるミニポーチ)を買った。おしゃれ。
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岡山桃太郎空港を発ち、新千歳へと降りた。
初めての岡山、楽しかった。ヒロトを、博士を、千鳥を、かたまりを、ウエストランドを生んだ岡山は、やっぱりよいところだった。
銭湯に入れなかったことだけが悔やまれる。
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悲しい後日談がある。
私が訪ねた3日後、東湯さんは廃業したらしい。札幌に戻ってしばらくしてからTwitterで知った。
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悲しいが、その決断は肯定すべきだ。外野がとやかくいうことではない。
「又」に期待した私がただバカだったというだけの話だ。
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「お疲れ様でした」とか「変なタイミングで行っちゃったな」とか色々入り混じり、不謹慎だが何故かニヤリとしてしまった。
「散文的に笑う」
さっきの彼がいっていた。東湯さんは骨身をさらけ出し切った、と思いたい。