滝野川稲荷湯と小沢健二「LIFE再現ライブ」と滝野川浴場のこと(その1)
2024年8月30日の夜、私は東京にいた。
より具体的には、東京都北区の滝野川稲荷湯にいた。
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創業が大正3年であり、その建物は国の重要文化財に指定されているという。映画「テルマエ・ロマエ」も、ここで撮影されたとのこと。
いうなれば、東京の、いや日本の銭湯代表みたいな場所だ。
サッカーなら三笘、野球なら大谷、ミスドならフレンチクルーラーといったところか(個人の見解です)。
しかし正直に告白するが、私はその湯を知らなかった。今回お邪魔したのも、宿から近いという理由だけだった。
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その湯ではまず、木製の桶にプライドを感じさせられた。プラスチックなんてない時代からやってんだよ、と。
桜庭が総合のリングでモンゴリアンチョップを繰り出したのと同じ趣向だ。
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当然のようにサウナも水風呂もない。それでよい。
向かって一番左の湯船に足を入れた。
「鬼ゲボクソ地獄熱ぃ!あと深ぇ!」
全部褒め言葉だ。
その存在すら知らなかった私にも、滝野川稲荷湯は優しかった。素人だのニワカだのと罵ることなんてなく、優しかった。
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私が東京を訪ねていたのは、翌8月31日に催された小沢健二「LIFE再現ライブ」のためだった。
1994年8月31日にリリースされた珠玉の名盤「LIFE」が30周年を迎えるということで、日本武道館でライブが行われたのだ。
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チケット争奪戦は熾烈を極めたが、正攻法で入手することができた。
運気を高めるため、細木数子のいうとおりに改名し、Dr.コパのいうとおりに模様替えし、十字架を握りしめながら読経に勤しんだ結果、見事当選した。
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「LIFE」リリース当時、私は小沢健二という人に対してほぼ興味を持っていなかった。当時の認識は「『HEY!HEY!HEY!』にちょいちょい出てくる、少し変な人」という感じだった。
なぜか「カローラⅡに乗って」だけはシングルを買った記憶がある。逆にいうと、それ以外の音源は持っていなかった。
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1994年8月31日。私は中1だった。
用意した言い訳だが、数ヶ月前まで小学生だった田舎のガキに「LIFE」の華やかさとか哀しさとか、わかるわけがない。わかられてたまるか。
「10年前の僕らは胸を痛めて『いとしのエリー』なんて聴いてた」
という歌詞に
「沁みるわー」
とかいう中1がいるかという話だ。
中1の10年前は3歳である。
3歳が胸を痛めながら「いとしのエリー」を聴いていたはずがない。
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いつ、どんなきっかけで、小沢健二に関心を持ち「LIFE」を手に入れたのか。覚えていない。
そのとき、少なくとも彼を「HEY!HEY!HEY!」で観ることはなくなっていた。どうやら、彼は線路を降りたらしかった。
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そんなわけで、私は「LIFE」前後の熱みたいなものを体感していない。そのことは、少しだけコンプレックスだった。
「LIFE」に限らない。
「Disco To Go」も「VILLAGE」も、私にとっては
「昔、そんなことがあったらしい」
である。大化の改新とか廃藩置県と同じなのだ。
もちろん「フリッパーズ・ギター」も「ロリポップ・ソニック」も「Pee Wee 60's」もだ。
「LIFE再現ライブ」で、コンプレックスを少しでも解放したかった。
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そんなわけで2024年8月31日、九段下へ。
ひとまず、ライブ前には腹ごしらえである。
およそ渋谷系とは乖離したテーブルだが、田舎の男子中学生はホッピーを呷りながらタバコを燻らす程度に大人となった。大人になれば、である。
とにかく30年というのは、それくらいの時間だ。
いざ、武道館。
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結論をいうと、コンプレックスは解放されなかった。その代わり、そんなコンプレックスはそもそも不要だったのだと教えられた。
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日本武道館にはたくさんの人が集まっていた。
お年寄り、おっさん、おばさん、青年、子どもに赤ちゃん。
みんなが手を叩き、唄い、ドアノックダンス。赤ちゃんは泣いていたが、それすらもライブを彩った。
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いつ、どんなきっかけで小沢健二を、そして「LIFE」を知ったのか。そんなことはどうでもよいのである。
私を指差して素人だのニワカだのという人間は、少なくともその日の武道館にはいなかった。
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私も若いお客さんに対して
「お前、小沢くんが田村正和と一緒にCM出てたの知らんだろ?ニワカが!」
などとは思わなかった。
若者との距離を感じる今日この頃において、若いお客さんの存在はむしろ嬉しかった。
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滝野川稲荷湯も小沢くんも、強い気持ちと強い愛で僕を受け止めてくれた。よい年をして、ついつい一人称が僕になるくらい、滝野川稲荷湯と小沢くんは優しかった。
「リアルタイムで『LIFE』味わってない問題」は解決、というか、そんな問題はそもそも存在しなかったと知った。
しかし私は「LIFE」を巡ってもうひとつ問題を抱えていた。
続く。