VS 自分(あつ湯五番勝負第0戦)
サウナから手を伸ばせ
いつの間にか「サウナ好き中年」から「銭湯好き中年」にジョブチェンジしていた。もちろん「朕は銭湯好き中年なり」などと宣言したわけではなく、気がついたらそうなっていた。
なぜそんなトランスフォームが起こったのか。その機序を説明するのは難しい。
難しいというのは文章力や表現力の問題ではない。その機序を説明することとはつまり、私の小汚い自意識やプライドをあけっぴろげにすることと同じだからだ。「難しい」ではなく「恥ずかしい」が適当かもしれない。
恥ずかしいので輪郭をぼかして言うが、サウナ好き中年に嫌気がさしたのは「学園祭ではしゃいでいる連中を横目に、数少ない友人と教室の片隅でUNOに興じていた時の気持ち」に似たものが心に湧いてきたからだ。
「フィンランドじゃサウナは日常なんだよ」と耳にしたことがある。よその国を真似ることはないが、私もサウナは日常であるべきと思っている。しかし、どうも日常からサウナがどんどん遠ざかっていると感じるようになっていた。
「フィンランドじゃサウナは日常なんだよ」と言っていた誰でもない誰かが遠ざけたように思うのだが、それはきっと私の勘違いだろう。
「いやいや、それでもサウナは日常だ」
薄暗いサウナ室の片隅、抗いたくてつぶやいた。
でも「日常」と「サウナ」は乖離していく一方だった。
ドアをノックするのは銭湯だ
もがく私の眼前に現れた蜘蛛の糸。それが銭湯だった。
多くの銭湯にはサウナがあるし、いわゆるサウナ施設には大きな浴槽がある。一緒じゃないかといわれそうだが、これは単なるカテゴライズの問題ではない。言っておくが、これからもサウナには入る。「じゃあこれからも『サウナ好き中年』じゃん?」などと言うなかれ。これはイデオロギーの闘いだ。
仕事帰りに、気怠い日曜の午後に、ふらりと気軽に立ち寄ることのできる銭湯。「わざわざ」「意を決して」ではなく「ふらりと」「気軽に」であることが重要だ。
サウナが離れていったことで日常に空いた穴は、マーク外す飛び込みで銭湯がサッと奪い去った。
私は徒歩で自転車で、生活圏にある銭湯を巡った。
そして思った。「もっと色んな銭湯行きてぇ...」と。
熱し熱されて生きるのさ
札幌市内には素敵な銭湯がたくさんある、らしい。
…行きたい。 行きたいが「わざわざ」足を運ぶのは己への裏切りではないか。
誰でもない誰かが私からサウナを遠ざけたように、私が私から銭湯を遠ざけることにならないか。
「わざわざ」銭湯へ行く理由を探した。
「札幌の銭湯を紹介するブログとかやれば理由にはなるな」
そんなことも考えた。理由にはなろうが、そんなことはもう6億人がやっている。そしてそんな6億人の残している記録は例外なく面白い。高2の夏休みに課された読書感想文を翌年の2月に提出した、私のような人間が敵うわけはない。自ら選んだ題材図書が「人間失格」だったことは伏せておく。
「わざわざ」を粉砕する理由を探していた秋のある日。私は、あつ湯があつ湯すぎることでその名を轟かせる笑福の湯(札幌市西区)を訪ねた。
我が家からはだいぶ遠いが、別件のついでに立ち寄ったので「わざわざ」にはならない。
そんな言い訳を用意して、お湯の沸く場所へと急いだ。
それはもう熱かった。お湯じゃなくて溶かした鉛かなにかじゃないかと疑うほどだった。 私の「日常」にある「鷹乃湯」も相当だが、全く引けを取らない熱さだった。
今回は「わざわざ」ではなかったが、「わざわざ」行くに値すると、良いのか悪いのか思ってしまった。
私は「笑福の湯」でのハードコアあつ湯エクスペリエンスを「サウナイキタイ」に投稿した。ほとんどサウナに触れていない投稿は我ながらどうかと思ったが、いつも通りである。
僕らが銭湯に行く理由
あつ湯を堪能し、投稿もし、もうやることはない。やることがないので焼酎片手にtwitterのTLを眺めていると、こんなtweetが目に入った。
水ボラとは、たぶん私のことだろう。「水野ボラギノール」みたいな名前の人がたけし軍団か大川興業にいる可能性はあるが、いたとしてもその人物が「笑福の湯」に行ったとは思えない。
最初から疑う余地はなかったが、私のしょうもない投稿を読んでいただいてのtweetだ。
tweetの主であるおふろニスタさんは6億人いる札幌銭湯ブロガーの1人である。そのブログはもちろん面白い。初めて読んだ時、感動のあまり「ぜひ読んでみて」と年老いた父親に勧めたほどだ。勧める相手を間違えたような気はしている。
「天才っていわれたぜ、わーい」とはしゃぎながら気がついた。これは「理由」を探していた私にとって、絶好のクロスボールではなかろうか。
絶好クロスを決めぬは男の恥だ。俺は柳沢ではない。
かくして「人の期待に応えたい」という最高かつ勝手な理由を得て、「わざわざ」の粉砕に成功した。焼酎は本当にこぼしていた。
僕らの住むこの世界では銭湯に行く理由があるのだ。
銭湯のボーイズ・ライフ (ボーイズ・ライフpt.2:熱はメッセージ)
「俺より熱いお湯に会いに行く」
私はお湯ではないが、つぶやかずにはいられなかった。これは遊びではない。人の期待を背負った、イデオロギーの闘いだ。
そして闘いである以上、ルールが必要となる。グレイシー一族並にルールへ注文をつけることでおなじみの私だが、以下の通りに落ち着いた。
銭湯は戦場だ。
猛スピードでいっそ地獄まで!