IT界隈、会話のドレスコードと知性の境界線
最近、「おもしろいなー、すごいなー」という経験があり調べると「実験行動経済学」の本やそれ関係の動画を見つけたりするうちに止まらなくなって色々調べたのでNOTEにしておきます。
業界あるある「技術者と営業の会話マナーの違い」
IT業界で案件が始まる時に集まる人のカラーはいくつかに別れますが、技術系の人と営業や経営者、ソフトを使う一般職員などで態度や話し方のマナーがかなり違い、さながらスターウォーズの酒場のような変な雰囲気になることがあります。
人間の幸福は「同じような価値観の人と穏やかに生活すること」という調査があるそうです。
ハラスメント講習などで言われる「何をしても言っても、おじさんが女子職員に喜ばれることはない」という名言があるそうですが、ヒトの特性なのでどうしようも有りません。 徹底的に社会的な動物であるヒトは集団の中では他のヒトたちからの防御が最優先の課題で、集団の中で居場所を確保しつつ身を守れ、とプログラムされているのだそうです。(「バカと無知」にも似たようなことが書かれていました)
仕事などの選択の自由がある現代では、人間は知らず知らず自分と同じような人と集い生活するようにシフトしていきますが、プロジェクトの開始時などでは普段とは違う様々な人が一同に会するので「異様な」ムードになるのでしょう。
謙虚さは損か? 自己紹介のドレスコードでわかる知性
前々から感じていましたが、技術者は日本では特に自己紹介で「OOOは使っていまっすが、まだまだですのでよろしくおねがいします。」などとOOOの知見はあるもののすべてを知るわけではない(当たり前)、などと言うのが多いでしょう。「おらぁ損悟空!AWSの天才だからよろしくな!!」みたいな人はまずいません。(笑
もっとも、25年より前のインターネット普及前夜、日本がまだ製造で中国に負けていない頃は、本当にその人しか知らないような、新開発のデバイス試作品や、機密案件のように閉じた系であることもありましたが、それでも「まかせんしゃーい!」などと自分から言うバカはいません。
ところが営業担当さんだと「当社はOOOの専門でどこよりも詳しいです!」とかOOOについて触ったことがなくても言ってのけます。逆に「要件となっているこの範囲だけは出来ますがほかは保証できません!!(力み)」みたいなスコープ魔神もいますが、意味がわかってないとこちらも信頼からは程遠い態度と見られてしまい、どちらもお客様には「営業トークだな、やばい会社かもしれないな」と思れそうです。
技術者は「たいへんだなー」「あほっぽくてやだなー」「わたしにはできないな」「誰が責任を取るのだろう」など様々な表情で見守ります。
自己紹介のドレスコードが異なる種族が出会う不幸。(笑
見方を変えれば、「技術者は保身で安全なところにいて良い身分だね!」となったり、「嘘を言いたくないから技術の仕事してるんで」だったり、その人の価値観や生き方、あり方で意見も変わるでしょうが、技術者が善人でセールスが悪人ということではないように思います。ほとんどの人は善悪併せ持つ単なる「個人」と思いますが専門職の人は一般に謙虚、というのは多くの人が賛同するのでは無いでしょうか。
「お客様が不安がるだろう!」
以前にブラックIT風味な会社のPM仕事で、費用の関係で外されるA社との引き継ぎ案件が有り、A社の担当さんに謙虚に自己紹介し円滑な引き継ぎをお願いしたところ、会議後に「お客様が不安になる」と営業社長に小言を言われたことがあります。
はっきりしたマイナスが無いのに指摘する封建的な指示は、海外ではありえない不思議な現象ですが、海外でも普通にやるのが日系企業(笑
円滑な引き継ぎが顧客にとって最大の価値となるので適当にやり過ごしましたが、その後の展開は営業関係者とA社の連携は打ち合わせをしても進まず、逆に開発者同士は(競合しているのに)終始良いムードで進みお客様からも良いご評価をいただきました。
作ったものを引き継ぐ、プロジェクトを外されたA社にとっては楽しい仕事であるはずもなく、また若い担当者さんであれば他社の技術者との仕事ではなにか問題指摘をされないか、など心理安全性は脅かされやすく、引き継ぎに加えて大きなストレスとなります。
技術者同士の仁義(死語)として気遣うのは当たり前ですが営業の人には「お客様の手前」の自信満々な言動が大切だったりするようでした。
考えてみれば同じ人間ですしお客様は技術に疎い場合が多く同じく「こちらはITのことはわかりませんのでよろしく」と謙虚モードであることが多いのですが、セールスの人は想像もできないようでした。
考えるとお医者さんも病名や原因について聞くと「病気の原因はこれね!私は専門だから!」とかあまり聞かないですし、弁護士の先生も「100%勝てるね!」という言い方はめったなことではせず、概ね専門職の人は同じ気がします。むしろ自信満々のほうが怖いです😆
それにしても、なぜ長期間の勉強や訓練を積む専門職の人のほうが謙虚なのでしょう。
ダニング=クルーガー効果
最近ではとても有名でネットの記事などでも度々登場し知っている方も多いと思います。
という人間の認知バイアスですね。
コーネル大学のダニングさんとクルーガーさんが研究・発表し「ダニング=クルーガー効果」として有名になりました。
事実認定や想定の違い
バカなんだからしょーがないじゃん、放っていおいてくれない?って気もしますが、以下のように説明されています。
馬鹿な人:
-> (バカなので)自らの能力の低さを認識することの困難さが過剰な自己評価につながる
自身の能力が不足していることを認識できない
自身の能力の不十分さの程度を認識できない
他者の能力の高さを正確に推定できない
その能力について実際に訓練を積んだ後であれば、自身の能力の欠如を認識できる
賢い人:
学ぶほど知らないことが増えたり、寄り賢い人達のグループに所属するなど、様々な理由により自分の過小評価につながる
(周りの評価より)自己評価がひくい
相手をより賢く見積もる(相手の知能を過大評価すr)
と馬鹿な人と真逆な設定になります。(インポスター効果)
ダニング=クルーガー効果の理論ががメタ認知スキル不足に起因しているとなると、賢い人が相手を過大評価するのは説明できない、と批判のポイントとなっています。
しかしこれは、自分の落ち度は性格に認識(メタ認知が高い)が、相手のマイナスは仮定似すぎないのだから小さめに見積もる方が妥当、といった論理性の高さからくる認知・判断と説明できそうです。
むかしから「無知の知」と言いますし、知らないことがわからないバカ、知らないことがあるだろうと予想できる知性の差が理由でしょう。
「その人」の見抜き方
日本と比べる知識識が乏しく教育システムが未熟かつ特殊(共産主義独裁なので)なベトナム人など仕事をする時に、その人がどんな人か、特に知的生産の仕事では非常に重要な要素となります。厳密なことを言えば、日本と比べるとこの点では絶望しか無いですが、天才は人口の3%程いることは報奨されいるようなので、その人達を他の「バカ」と同じに見みず発見することが、最も重要な課題と言えます。ベトナムへ来る日本人にしても同じで、東京で仕事をしているとと比べると、かなり異質な現実があります。
ベトナムのような極端な環境でなくても、ライフハックとして周りにいる人の性質を見抜いたり、自分の不条理を認知したりするのは、仕事が複雑化しているためますます重要な時代になっているように思います。
調べると仕事で必要な認知問題の知識については、行動心理学が助けになるということです。
行動心理学はダンアリエリーの本などは以前にも読んだことはありましたが、多くの人がおすすめするこちらの有名な本は名前すらしりませんでした。 少し古いですが未だに人気でちょうど割引セール中なのでポチリ。「人の心理は本人も自覚がない不条理があり購買なども不合理がある」という古い経済学の「人は合理的に行動する前提で経済を説明」と真っ向勝負の新しい学問で、この本は傑作と言われているとか。
目次を見ると
人にやってほしいことをやらせるには?
人にやってほしいことをやらせるには?
なにか選ぶときにはご用心。選んだものがあだになるかも
ぼくたちをぼくたち自身から守るには?
など、自分や相手を支配する、される事柄が多くちょっと怖い感じもあります。バカだったり賢者だったり極端なケースではなく、ありふれた「不条理な人間」の行動をどう予想するのか。人間関係や世の中の課題はほとんど個々人の中にあるでしょう。
ちょっと古い動画ですが、これについて紹介していて面白かったです。岡田さんがまだそんなに太ってないw
動画では3分くらいからわかり易く説明しています。アドリブで話しているようなのにすごくわかりやすく、天才か!って思います。
こうした表面的な相関は様々な条件の確認と実験で検証すると嘘であることが多い、しかし多くの人が因果関係(原因とそれによって生じる結果との関係)と相関関係(関連性がありそうな関係)で 事実性は ”因果関係 > 相関関係 " で場合によっては事実と思い込み、くらい異質なものです。
多くの人が相関関係を信じてしまい、因果関係と区別ができない話など面白い話が続きます。
ありふれた馬鹿な人の見抜き方
最新の研究を短い時間で紹介するのがウリの メンタル研究labo の動画ではたったの8分で以下のことを説明してくれています。
自分で調べない、受動情報の人 (無知からの頑固、強弁)
考え方が主観的(メタ認知が低い)
知らないことを「悪いこと」と思っていない
開き直って全否定
言い訳ばかり(幼児性)
仕事で遭遇するベトナム技術者(名ばかり)を思い出して憂鬱になってきますが…それはそれとして(笑
漫画やドラマと違い実社会では、一見賢そうに見えても隠れバカが潜んでいます。僕の場合、仕事では上記とは別に以下の
自己欺瞞(自分に嘘をつけてしまう、虚偽がある)
極端に帰納的思考 ( A->B B->Cなのだから正しい、という強弁など)
相関関係と因果関係の区別がつかない
を重視しています。賢い人は嘘やごまかしのコストを理解しリアルタイムに計算し即座に棄却するので無駄な嘘は付きませんし、正確さそもそも信条。
日本では人気が低い演繹的思考は最近見直されるようになり、知能が高い人は演繹的思考が高くバランスよく帰納的思考を使っている気がします。
帰納的な思考に常に演繹法でセルフデバッグするくらい、脳に余裕ガアあるのでしょう。
発達障害というけれど
ちなみに、見抜き方の要素になっている事柄は子供を育てたことがある人はその過程で子どもの反応で何度も見たことがあるかと思います。ほとんどの人はご自身でも経験もあるでしょう。そして親や先生、先輩などにこっぴどく叱られて矯正されて大人になリ、「子どものような反応」をしない「大人」になった人が大多数ではないかと思います。
これまで仕事をして知り合った同僚・上司・部下や、会社で雇った経験などから、「発達障害」と言われるような態度の大半は、厳しい環境がなく若いうちに幼児的な反応が修正されなかったのだな、と思うようになりました。
それは、自分の子供にしても、そう簡単に子どものような「反応」は改善されないからです。 医学や社会福祉の進歩で淘汰がされず、調子の悪い人でも育つことができる現代で、高度成長期移行の核家族や勤め人の親の忙しさなどから、十分に大人たちに教育を受けずに体だけ大きくなれる環境によるところは少なからずある妥当と考えています。
演繹法 vs 帰納法
脱線しましたが、知のあり方やトレーニング方法の根っこに演繹法か、帰納法か、というのがかなり関係しているように思います。これは後天的なもので家の教育や教育システムが原因ですが、認知があやふやなのは帰納法「的」な考え方が主流なことが関係していそうです。
帰納的推論はボトムアップのアプローチですが、演繹的推論はトップダウンのアプローチです。演繹推論では正しいと証明されている理論や法則がある前提で検証、推論します。 帰納法はボトムアップで実際にある事柄の因果関係を積み上げて推論します。これが問題なのは現実世界の問題では多くの場合、因果関係ではなく相関関係になることでしょう。
日本で演繹的推論が嫌われる理由に理論から出発する事がありそうです。日本ではアカデミックは嫌われます。 例えば歴史について考える時に誰がどう考えた、という事が重視されますが、その背景の生産量や人口など、定量的な検証など「科学的」検証はまずありません。これは日本がまだ権威主義の人治国家を引津っていることが要因で、教育もそれに沿ったものになっていると見ています。
日本の場合は封建的な歴史・体質からその場の「正しさ」のための理屈が大切で局地戦では勝率が高い帰納法が重要されます。減点主義やパワハラもこの流れの終端にあるでしょう。
シリコンバレーでは各分野で最高の人材を集め年功序列も無いため理論実践がしやすく、演繹的な思考が選択されるのかもしれません。
ちなみに、IQの高い人の特徴は以下だそうです。この逆の人はバカである可能性も高そうです。
高い記憶力
説明が論理的でわかりやすい
集中力が抜群に高い
本質を理解するのが早い
好奇心が高い
思考する習慣がある
感情をコントロールできる(前頭葉が強い)
加えてわたしが感じるのは、賢い人達は3弾論法的な帰納法にたよらず、演繹法を基本にしていることです。逆に役所や企業の人の対応などでよくある目先の理屈な局所的な帰納法の考え方が土台とおもいます。
上記を考えた時に、この逆のことを仕事中にされるのは困ります。
言われたことを忘れる
集中力が低い
表面的な理解
内容に関心がない
考えるの苦手
感情をコントロールできない
となると目も当てられませんが、残念ながらフィリピンやベトナムでは日本の数百倍の率で仕事中に遭遇します。(教育・IT業界比)
フィリピンでは質問されて不機嫌になったオフィサーがオフィスから出ていき帰宅してしまうのを見たことがありますが、割と普通らしいです。
多くの研究で、人間は徹底的に社会的な動物なので嘘で自分を隠すと説明されています。バカな人は嘘をつきやすく賢い人はあまり嘘をさほどつかないため、騙されやすい側面もあり見抜きずらいこともあるそうです。 でまかせの嘘を付くのは子供によくあることですが、まさか大人がそれをするとは、というのはベトナムではよく経験することでもあります。
関わっていけない人の見抜き方
IQが30違うと会話が成立しない、という表現がありますが「違う」人とは余りかかわらないのが平和な人生を送る1つのコツではないかと思います。
刑務所に入って知人を作るより、コンピューター言語の研究会とか、街の清掃ボランティアに参加するほうが良いことが起きる確率は遥かに高いでしょう。(だから、受験や就職活動に巨大な時間と労力を書ける人が主流なわけで)
しかし、社会に出たりましてや外国人では見分けるといっても簡単ではありません。どーすればいよのか?
この記事ではざっくり「好きな人を否定する人」となっていますが、そんな極端な話は仕事などではそうそう登場し無いでしょう。
思うに、特に関わっていけない人は何かしら「自分の欲求のため、一方的な搾取」をしようとする人、と言えるのではないでしょうか。。要するに「奪いに来る人、利用するために関わってくる人」で、ライフハックで一般的に言われているのは以下のリストだそうです。
好きなことを否定する人 、悪口を言う人 (支配欲、自尊心の満足)
頼み事のときだけ連絡してくる人 (物的・金銭的・労力目的)
自分の話だけして、人の話は聞かない人 (ストレスのはけ口など)
単にバカな人 (メタ認知の低さ-> 自己中心的)
嘘をつく人、怒る人 (性悪、人格問題、精神疾患系)
加えて「相手の話すこと(知識)で役に立つことがまるで無い」、というのも1つの指標になりそうです。こちらも役に立つことがない場合はオアイコですが(笑
個人的には海外生活では生活に弱みがあるため、以下のタイプが特に注意が必要と思っています。ダナンだと韓国人が多く親切でリッチ風な勧告・日本人でたまに出くわすタイプ。
人脈を自慢する人 (特に怖い人や権力者。支配的で危険)
無意味に気前が良い人。大盤振る舞いする人。(将来的な支配)
あの手この手で関わってくるので見抜きにくいし、その道のプロみたいな人もいます。多くの場合はカジノや不動産斡旋、違法な労働(奴隷労働系含む)なので本当に注意が必要です。 韓国系の「すごい」人に一時期関わってしまい、防衛に苦労したことがあります。 やはり目的は金のようでしたがたまたまメディア関係の知人がいて、それが知れると姿を消しました(笑
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ダン・アリエリーの有名な一冊。超読みやすいです。行動経済学研究の第一人者。デューク大学教授で、若い時に重症の火傷を負い「感じ方や行動」について深く考えるようになったと言います。
話題の一冊(笑
正義のウラに潜む快感、善意の名を借りた他人へのマウンティング、差別、偏見、記憶など悲しいまでに「社会的な人間」、3割以上の人が長文を読解できなかったり抽象的な事柄を正しく認知できない「動物」としてのヒトがインターネット社会などで生きる危険性などについて論じています。