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ベトナム中北部ツーリング(2) 史跡めぐり編

(1日目のNOTEはこちら)

1日目に適当にAgodaで探して泊まった、ピカピカのホテルは一泊のお値段は素泊まり1200円ほど。

Agodaの表示はこんなでしたが、まあこれは盛りすぎ(笑

信じられないお得な設定でラッキー!でしたが弱点が。まだ本格稼働でないのか受付で水が買えず周辺も店がなく、飲料水不足で一夜を過ごすことに。

夜中に喉が渇いで1階ロビーへ行くとそこにはエイリアンが🥶


なんとか眠りにつき5時に起きて周辺のお店へ。
ちなみに、朝からやばいものをみまして意気消沈😔

犬猫食べるの、ほんとわからないです


近所で軽く腹ごしらえ&水を調達して荷物をまとめます。

目的地

2日目で折り返すので今回ツーリングの目的地となります

  1. ビクトリーモニュメント (戦没者慰霊公園)

  2. ホーチミンさんの生家

  3. ホーチミンルートの起点

を予定。ベトナムの歴史は暗いので自然公園で連泊も考えましたが暑すぎるので取りやめ。上の目的地は昨日より涼しいとよいですが。

さて出発〜!

バイクの朝ごはん

計算したら54km/L。タンクが小さいWinnerX君は3Lあたりで燃料警告がでます。燃費は後でまとめて計算したほうが良さそうですね。

さてさて、今日の最初の目的地,ビクトリーモニュメントを目指します。

いい感じの道が続いて気分良く走行♪

寄り道: 謎の寺

ビクトリーモニュメントへ向かう途中で、脇道に謎のゲートを発見。

やばいところなのか?!そもそも入って良いの?

ゲームなら必ずチェックして秘密の武器やアイテムをゲットしたり情報を仕入れないといけないやつ?!と分岐してみましたがダートになり早くも後悔。

参道?というには長すぎる道。。。歩いて行くところではない感じ。バイクでも厳しめなダートの道です。

そうとう広い敷地なようで、寺はまだ奥にあります。てか、入って大丈夫なのか。


奥深くへ進むと,普通に駐車場とか整備されてるちゃんとしたお寺です。むしろ華やかウェルカムな雰囲気です。

入り口から眺め回しますと道教のお寺っぽいです。
問題なさそうなのでお邪魔します。

主にゲアン省などで信仰を集める、ホアン・ムオイという偉人を祀る道教の親戚のようなお寺?

道教と同じく複数の神様?が祀られています。

こちらはベトナムの聖母道っぽいですね。ベトナムには何人が聖母がいるらしいです。台湾も女性の神様を祀る道教のお寺が多かった気がしますが元は同じ神様でしょうか。

ジロジロ見ていたら、若いイケメンの神主さんっぽい人が「この上にもありますよ」的な説明をされて追い出されました。中華風のアオザイ?着ててかっこよく、俳優さんみたいでした。


虎🐅の祠

建物の裏にはトラを祀る祠と更に上に行く階段が!

祀られていたのは本物らしきトラの剥製です。ベトナムは最近でも奥地で野生の虎が見つかっています。

ベトナム人は森の王者であるトラに敬意を払っているのでしょうか。

横には長い階段が。上ってこのことか!!
すでに暑いけど登ります。。。

長い階段のあとは斜面に沿って回廊が続きます。

すでにゼーハー

どうやら最後の階段?荒れ荒れで段差も大きいのでお年寄りには厳しい設定。。。高いところが苦手なので降りることを考えると嫌なのですが、もう引き下がれません。

登ってみると、上からの景色はなかなか。そして奥には、、、、

頭木が生えてる写真に🫣少しは構図考えろとパイセンに昔言われなかった?(言われました)


ジャーン!!!

いらっしゃいました。誰様なのでしょうか。

せっかく来たけど、他に何もないので降ります。。。階段は下りのほうがキツかったw


オーバースペックかと思われたサロモンのシューズ、履いてきてよカッパ。

下の境内周辺には一応売店とかもありましたが、まったく商売っ気もなく、なんとなく歓迎されていない雰囲気があり早々に立ち去ることにします。

嫌な顔をせずいったんは笑顔で迎える、ベトナムらしい優しい感じでしたが甘えてはいけません。ちょっと図々しすぎたかもと反省しつつ先を急ぎます。


ビクトリーモニュメント

この旅の第2目的地はハ・ティン省にあるビクトリーモニュメントで、先にこちらに向かいます。

タイトル画像の場所で穴だらけの空き地のある公園ですが、観光ポイントとしてはさほど有名ではないようです。 

しらべると、ホーチミン・ルートの重要な交差点(Dong Loc Junction) として米軍に認定され徹底的に爆撃されたくさんの犠牲者が出た場所で、現在は慰霊記念公園になっています。

入口。入ってい良いのかわからず悩みましたがこの写真を撮っていると現地のバイクがバンバン入っていくのでついて行ったら正解でした。

入口ではありますが、裏口だったようです。


こんな感じで巨大な公園です。

殉教者の慰霊碑エリア

ここには2つの殉教者の慰霊碑があり、1つは上の写真の国民青年義勇軍殉教者慰霊碑で、なんと4000人もの人の名前が刻まれています。さらに隣のエリアには特別に10人の女性の殉教者の墓地があります。

当日は団体の公式参拝客が来ていたので入りませんでしたが、お線香を上げにいくべきでした。

爆弾クレーター

どれだけの攻撃が加えられたか、爆弾の穴をアート的に公園の中心に配置しています。真ん中の空き地は爆弾のクレーターが無数にあり、不発弾のオブジェが真ん中に刺さっていました。

かなり大きな穴が複数。。

また、不発弾と思われる材料で作られたオブジェが横に飾られています。

不発弾で作った怖いオブジェ
上から見た爆撃の穴

この地の物語

この地域?はドンロックと言う地名だそうで、戦争中に大きな被害が出た有名な場所で、このような記念公園となっているようです。

アメリカ空軍は北ベトナム軍の輸送生命線を断つことを目的としてドンロックを継続的に爆撃しました。その結果、ドンロックは「死の座標」というニックネームが付けられました。1968年3月から10月までの間に、アメリカはこの場所にさまざまな種類の爆弾を48,600発投下しました。

wikipediaから翻訳

このルートに穴があると補給トラックが通れない!急行して穴を埋めるべし!と命じられた10名からなる女性の分隊が爆撃でできた穴を埋めに現地入りしたところ、米軍のジェット機が戻り更に爆撃、全員が犠牲になったという悲劇が特に有名で、前述のお墓がこちらに作られたようです。

北爆について

日本人の情弱なのでピンと来ませんでしたが、ベトナムの人に聞くと中北部のクアンチ〜ゲアン省は戦争中に猛爆撃や枯葉剤の攻撃を受けたくさんの人が亡くなられた場所として認識されているようです。日本の地形感覚だで北爆と聞くとハノイから北?みたいな印象になりやすいですが戦略的に爆撃対象となっていたのはベトナムだけでなくラオスも含まれDMZ(南北を分ける緩衝地帯)から北の緯度の仏領インドシナエリアだったようです。

学校の教科書でもこういう教え方をしていますが
実情と違うので良くないなと思いました。

こちらはアメリカの資料。中北部は真っ赤で特にクアンビン省の山岳地帯周辺ではラオス側も多かったのがわかります。ベトナム戦争と言われますが、実際には仏領インドシナ戦争だったがこの地図を見るとよくわかります。苦しみを共に闘い多くの国境が面するラオスとベトナムは現在も非常に仲が良いようです。

ハノイへの爆撃は中北部に比べれば極僅かなのです

10人の女性ボランティアの演劇

米軍の一方的な無差別爆撃は容赦ないもので地域がお墓だらけなのは上の地図を見れば納得なのですが、同時にベトナム人民軍が(ソビエト・中国の後押しで)人海戦術で無理押しをつづけ人々に大量出血を強いた経緯を考えれば、ベトナムという国がプロパガンダにこの女性たちの死を利用している側面もあると思われ、複雑な心境となりました。

この悲劇は演劇にもなり写真がその様子。写っている土嚢は実際にこの地から運ばれた土でつくったものだとか。演じる人たちはどんな気持ちだったでしょうか。

ちなみ中北部だけが悲惨なわけじゃなくて南ベトナムに属していた中部でも凄惨な事件が起きています。この方のNOTEは日本随一の詳しさかと思いますがいつも勉強させていただいています。


公園には当時の武器が陳列されています
米軍装備はヘリが飾られていることが多いですが、こちらは戦闘機でした

軽く公園内を見ただけでもう暑くてクラクラ。。。

「暑いでしょー?」

っていう感じでおばさんたちがお茶を売ろうと次々に声をかけてきます。 
「買います!売ってください!全部持ってきて頂戴!」っていうくらい汗だく。 子どもたちが木の実?を売りに来たり(まあまあしつこい)して気が紛れます。現地の人達には悲壮感はまるでなく、至って明るく「アホが来た、水を売りまくれ!」という感じが伝わってきます。(笑

ミグとグラマン?を見ながらココナツウォーターとお茶で休憩です。

山の上にはお寺

連休前なので中高年団体客が2組いるだけで、個人っぽい人たちは数組だけ。その人達ほ薄着&チャラい感じです。

お寺の横の塔から物見に来たカップルがキャーキャー言ってました。
わたしは高いところ苦手なので登らず(笑

公園は思ったより大きく、駐輪場含め無料。
この地は猛暑が普通なようで現地の記事では9月以降の訪問が推奨されていましたので悩みましたが、来てよかったです。 

ホーチミンさんの家へ

更に北へ北上してビンという街の西にあるホーチミンさんの生家を見に行くことにします。

平坦かと思ったら山あり谷あり

気持ちの良い道!しかし熱風が(笑

ビクトリーモニュメントからホーチミンさんの家公園までは1時間ちょいと出ていたのですが、ナビの問題で実際には2時間以上かかってしまいました。google mapのナビはバイクの設定がありこれがCarPlay と問題を起こしてました。(長くなるので別で改めて🙏)

巨大な川なのか、氾濫して田んぼと一体になっているのかわからないエリアにかかる橋。



お父さんの家に到着

これはお父さんの家。しかし、ゴールはここじゃないのです

ホーチミンさんのお父さんの家はすぐにわかりましたが、ホーチミンさんハウスの位置は、記念公園の裏側にマークされていて、道路からアクセスすると壁しかない状態で迷う迷う!

この近くの家の1階で涼んでいるおじいさんに居場所を聞いて何とか到着!

ちげーよ、ここじゃなくてこの道ずっと行ったところ!

おじさん、ありがとう!たすかりました。


ホーチミンさんの家は記念公園だった

お父さんの家のように、家がポンとあるのかと思ったらかなり立派な公園でした。

ホーチミンさんはベトナムのなかば伝説的な英雄。 公園の敷地は広く、この国のすべてのお札の絵にもなっているホーチミンさんの生家、さらには近所の人?の家が保存されている記念公園のような場所になってて、例によってお寺も併設。

ホーチミンさん家の入り口かと思ったら,こちらはお寺の入口。ホーチミンさんの家はこの左の公園的なところにあります

あとで地図をよく見たらかなり大きな公園でした。

普通の公園のように木が生えていてだだっ広いだけのところに、たまに家も生えている感じのところです。

外は灼熱でしたがこの中は木が多く助かります
あった!と思ったけど、ちょっと違う。これは別の人の家でした。

うろうろしてやっと発見。一周目で通り過ぎてました。(汗

同じ同じ!

見どころも少なく、暑さもあり早々に撤収します。
多分、ガイドさんと来ていろいろ説明を受けながら見るのが正しいのでしょう。

エキシビジョンで写真の展示

売店の謎のおもちゃ

バイクを停めたお茶屋さんでしばしの休憩

12時をまわり他にお客は1名、ベトナム人のおにいさんが英語で話しかけてきました。ダナンからバイクで来たと言うと「頭が変?ばかなの?」という雰囲気となり、そこからはあまり意思疎通はできませんでした。この暑さの中なぜここへ?ビーチリゾートに居ろよ!ってなりますよね(苦笑

水とサトウキビ生搾りをいただきます。(駐車料金込みで30k。安い!)

ベトナムの休憩所にはたいていハンモックがあります。

バイクもクールダウン

12時を回り時間が押してきたのでハンモック昼寝は我慢。先を目指します。

この公園へ繋がる道路・周辺はきれいに整備されていて、なかなかの景観でした。



ホーチミンルート・ゼロ


次はこの度の目標地点、ゲアン省の真ん中にあるホーチミンルート(Ho Chi Minh trail)の起点となる場所とされるゼロマイルストーンを目指します。

近いと思ったら、2時間近くかかりました💧

ゲアン省は地図を見ると高地っぽいので涼しいのかと思ったら、全然そうではなく日本で言うと熊谷っぽい暑い大地。風はあるのに暑い暑い暑い!💦

来る途中のクアンビン省と同じくかなり風が強く,季節的に西のラオスの山の方から吹き下ろしている感じです。

平均時速低めで景色を楽しんで進みます

途中にはきれいな教会が定期的に現れるので止まってパチリ。

この教会も奥の祭壇の上あたりがドームになっている立派な建物でした

それにしても田舎。たまに一軒家がポツポツあるだけです。


ホーチミン・ルート・マイルストーン

粛々と北上して到着しました。

こちらがホーチミンロード0地点の記念碑

ついてみると、「え。これだけ?」という感じの道路脇の小さな公園。

裏側に回ると英語表記がありました。ベトナムでよく見るスタイル。

博物館などもなかったので、現地ではよくわかりませんでしたが
調べたら当初よりはかなり立派になっているようです。

そのごのアップグレードはこんな

隣には公園っぽい空間もありましたが暑いので誰もいません💦

ホーチミンルート(英語: Ho Chi Minh trail) とは?

NHK特集とか歴史番組のベトナムの話で必ず出てくる言葉 ホーチミンルート。北から南のゲリラなどの補給網の事で1本道ではないのですね。

17,000キロに5本の水平横断道路と、チュオンソン山脈の東西を結ぶ21本の道路があるホーチミン・ルートはベトナム軍は南部に約4億5,500万トンの食糧、武器、弾薬、約5,800万トンの燃料を輸送し、1975年の春季攻勢の勝利に貢献しました。

vovworld.vn

ホーチミン・ルートの多くはラオスやカンボジア側で、独立前にはベトナムを含め「仏領インドシナ」と一括りにされていた地域。

ベトナム戦争の爆撃とか攻撃の映画を背景を知らずに見ていましたが、米軍の活動の多くは「補給路」を破壊することが目的だったようです。


記念碑の横で休憩

ぱっとしないゴールですが、これがなかったらここまで北上しなかったので良しとします。途中の道も

せっかくなので今回はホーチミン・ルートできるだけ南下して帰路につこうと思いますが…アチ〜💦、暑さでグダグダです(笑

そういえば今日のホテルも決めてない。。。そんな中、マイルストーン前にある屋台のお茶屋さんが、暑くて参ってる旅人にこれでもかと氷のお代わりをくれました。 奥のプラカップは割ったばかりのココナッツ🥥ウォーター(推定1Lほど)。コレめっちゃ美味かったです。

気がつくとはや3時。そろそろ宿を決めて移動しなくてはなりません。 ゼロ地点は多少賑やかなことを想像していましたが田舎すぎて何もない…ググるとホーチミンルートを数十キロ南下したところにバイクツーリストに高評価の宿を発見!!少し眠さもありノロノロと向かいます。

田んぼの稲が美しい。。。

宿の近くの街には殉教者慰霊碑(かなり大きめ)。その前の敷地で盛大にお米を天日干ししていました。稲の甘い香りがします。

ベトナムって本当にどこに行っても地域の出征慰霊墓地があるんですよね…。

今日最後の給油。旧式のカメラに映らないデジタル表示やめてほしー。ハイオクじゃない方だったのか安くて2.74L 60Kドンでした。

ゲアンのド田舎のホテル

ホテルにはギリギリ明るい時間に到着!
お昼も食べれてないので、荷物を部屋に運びホテルの外の通りで飯屋を探し徘徊していると、通りの向こうからホテルの奥さんが歩いてきまして「ご飯?何かつくってあげるからホテルに戻りましょう」とありがたいお言葉。周りにお店ないもんなぁ。。。まじで助かります。

若干、朝飯っぽい雰囲気ですが腹ペコ外国人のためにササっ調理。
ビールもおねだりしたら冷蔵庫に在庫あり(多分旦那さんのだ…2本ゲットw)。 水ボトルも2Lのを冷凍庫で冷やしてから渡してくださいました。

米が新米か感じ。

奥にある煮物?はナスかと思ったら、若いバナナの煮浸し?風。これめっちゃ美味かったです。
1人で食べるのは寂しいのでダメ!なベトナムなので奥さんが小鉢を持ってきて(すでに食べ終わったであろう)晩飯を付き合ってくれました。
差し向かいで不思議な状況〜、ワシはここの家の息子ですかw

カンニング竹山に似てる…

お母さんのおかげで外で時間を空費することもなく、さくっと整えて爆睡することができました。ありがとうお母さん!

今日の移動

この日の距離は、地図で見るとたった163km。実際に給油時のメーター換算でもちょっと多いくらい(ナビのせいで迷ったので)ですが、感覚的には300km走ったくらいの疲労感なのは暑さのせいでしょうか。


2日目の会計

- ガソリン 60k x2
- 朝ごはん 30k
- 水 20k
- 駐輪,飲み物 30k
- ホーチミン起点 飲み物30k
- ホテル 230k
- ホテルチャージ 晩御飯、ビール🍺🍺水 90

合計:550kドン (約3230円)


(続き)






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