ディエンビエンフーの戦い〜ベトナム戦争のご都合
3月13日はベトナムが植民地時代の宗主国フランスを打ち負かした、ディエンビエンフーの戦い(1953.11~1954.5.7)のベトミン軍の総攻撃が始まった日だそうです。ベトナム戦争が起きる原因となった、インドシナ戦争の終幕ですがベトナム戦争までのベトナムの歴史感の変さ、国体の微妙さについて書いておきたいと思いました。
日本の学校教育が世界史と日本史を分けていることや、遠い古代の歴史から始め実行不可能な量がカリキュラムになっているので近代史はなおざり。
また国際関係に配慮しすぎたり、historia(学術としての歴史)よりも、国民教育に主眼がおかれた「行政のための」教育になってるのでスカスカ。
日本人の一般的な知識として、明治から現在はかなりあやふやなのだなぁ、と感じることが多いです。
現在は労働者輸入先として(そして残念ながら訪日した人が起こす犯罪でも)身近になったベトナムについても、誤解が多くメディアなども見当違いな話や産業のムード・都合のための表現が多く、一般の関係ない人がますます誤解するのは無理もないところです。
要点はざっくり
ベトナムの戦争は西洋vsソ連の代理戦争
ソビエトの戦略
中国の存在
です。
赤い旗の国、ベトナム
21世紀も1/4を消化しようか、という現在になっても共産党の赤い旗やソビエトのハンマーと鍬のマークの旗が文字通り国中に大量にはためく国は地球上にベトナムだけになっていると思います。
中国や北朝鮮と同じ、共産党独裁の国なので当たり前ですが市場経済を取り入れたあとも、こんな。兄弟分だったけど半グレになった北朝鮮と違い人口1億を超え、食料生産や原油生産もあり平均年齢は31。今が旬のベトナムですので旗の量も違います(笑
インドシナ戦争〜ベトナム戦争は冷戦の1部
米ソ冷戦中、核戦争でいつ世界が終わるのか?という時代に育ったのでもちろんインドシナ・ベトナム戦争が西側諸国と共産国の代理戦争(Proxy War)であったことは「現在」の事として習いましたが、現在はあまり冷戦構造が意識されず、なんとなく…な印象だけになっている気がします。
これはベトナム人にも言えることで、ソビエトや中国について知識は驚くほど限定的です。
武器はどこから
西側諸国ではベトナム戦争に「アメリカが敗れた」という言い方をしますが、「ベトナムが(独自に)勝利した」という認識は、少なくとも知識人の間ではあまりないように思います。
それは前提となるベトナム(ベトミン)という国が、インドシナ戦争が始まる前は存在しておらず(フランスの傀儡政権のグエン朝が治めていた)、日本の敗戦に乗じてソビエトの後押しで旗揚げをした「共産勢力」であったことが1つ。
またテクノロジーは一次産業時代のままで、近代的な国家・軍隊を経験していない地域であったため、ナポレオン以降の時代の「戦争」ができる「主体」になり得ない前提があり、現実的には戦争実行の自主性・独立性がまるで無いことがあるでしょう。
しかし、ベトミンが「ソビエト」によって作られた冷戦の賜物だったことは現在のベトナムだけでなく資料をあたってもなかなか見つけることが出来ません。
インドシナ戦争が激化する1950年ごろは第二次世界大戦が終結と同時に始まりますが、戦争以前の時代には近代化しておらず主権のないフランス植民地で武器製造や軍の創設とか問題外なので、日本軍が敗れて撤収し、代わりに戻ってきたフランスと戦おうにも、ベトナム自体には軍や装備の製造、運用経験もなく、ソビエトがすべてお膳立て・支援し続ける以外に戦争要件を満たせません。日本軍が居なくなったあと、急にベトナムの農民が自力で組織されて戦争ができるのか。そんな事はありえないでしょう。(それが出来たら日本軍と戦っていたはず…)
そんな前提について「なかったことにしたい」のはベトナム政府としては当然のことなのでしょう。
建国宣言から20年くらいはソビエト頼みだったらしいベトナム
実際のところ、ベトナム戦争の1965年くらいまでは対空防衛など「技術・知識が必要なこと」はソビエトの専門家が担当しながらベトナム人を教育していたそうで、2000人を超えるソビエト軍事専門家がベトナムに常駐、最終的に50万人を動員するハメになる米軍へ「効果的」な反撃をしていたことが伺えます。武器を生産する能力も当初から無いのですべて戴き物ですから、運用方法も教えて貰う必要がありました。
モスクワ国立言語大学(MGLU)ベトナムクラブは12月6日、「空中ディエンビエンフー」勝利50周年を記念するイベントを開催した。
ゲリラ戦はロシアが先駆者
これもよく言われることですが、ベトナムと言えばゲリラ戦、ベトナム人がゲリラ戦の専門家みたいな印象がありますが、ロシアはナポレオン戦争で徹底したゲリラ戦を行いモスクワすら倉庫に火をつけて明け渡し、ナポレオンと正面から戦わずに勝利しています。
冬将軍が来て最後のダメ押になるように、徹底してゲリラ戦で時間・兵力・物資の消耗をさせる作戦です。 世界最強陸軍を擁するナポレオンを撃退したのは、そのずっと前にモンゴルに負けて支配下におかれ、エラい目にあったことも無関係ではないでしょう。ソビエトの領土の大半はユーラシアのアジア地域にあり、様々な地形と風土のある多民族国家です。
最近公開されたナポレオンでもロシアがナポレオンを避けゲリラ戦をした様子が描かれています。
西洋 vs ロシアは根深い
ナポレオンの時代までは「君主)同士の同盟で戦争したり仲間になったりと、ビジネスの契約のような形で変化できるので現代で考えられる「イデオロギー」ではなく、経済戦争と思いますが、ナポレオンが圧倒的な強さを誇る国民軍(と陸軍制度)でハプスブルク家を始めとする君主制の時代を終らせてしまったため、国民に参加してもらうためのイデオロギーが大切になります。
人間の幸福は「同じ価値観の人たちと過ごすこと」だそうで、裏を返すと違う考えの人がいると落ち着かず、憎んでしまう方向に持っていきやすい習性を利用して国民軍を編成するようになり、大戦争が起きる(起こせる)ようになりました。 そこで利用されるのが宗教。西洋のカソリック・プロテスタントは元は西ローマ・バチカンが総本山のキリスト教。一方ロシアは東ローマ・コンスタンチノープルが総本山の正教会。
極東の島国出身で宗教に縁がないので感覚的によくわからないのですが、カソリックと正教会は仲が非常に悪くお互いをバカにし合っているようで、ロシア人はカソリックが嫌い(正教会も割と嫌い)で、カソリック国のポーランド人も正教会は「キモイ」らしいです。(そしてもちろんユダヤ教も‥)
キリスト教自体がローマ帝国が国教にするために聖書を編纂したり、発祥の地から遠くにあるローマに総本山を置くなど国家宗教の整備された流れがあるのは日本では学校で教えてもらえませんが、カルト宗教から始まったキリスト教が「政治団体化」した時に政治利用は宿命付けられていて、現代になっても東西の統治者は国民の囲い込みのためにこの枠組みを利用しているようです。
わかりやす例ではロシアは今も正教会の古いカレンダーであるユリウス暦を使っていて、クリスマスなどが1週間くらいずれています。教祖は同じでも「一緒に祝わない」ことで共感より反感を呼ぶ枠組みになっているのでしょう。 西側の人がロシア人をバカにしたり、映画などでソビエト崩壊後も目の敵にするのは、こうした大衆に受け入れられやすいベースがあるからな気がしています。
本題:ソビエトの影が薄い理由
ベトナムには国中に巨大な慰霊碑や戦争や歴史の博物館が点在していますが、ソビエトのハンマー&鍬のマークとホーチミンさんの銅像はあってもソビエトや中国に関する写真や情報がまずありません。さんざん世話になり、そもそも教祖的なパイセンであり同じ共産国陣営なのに、です。
これこそがフランス、そして米国が敗れた理由だと思いますが
フランス:「原住民を支配して植民地!胡椒で金儲けだ!!」
アメリカ:「ミーは世界一だぜ?南ベトナム君、言う通りにやれよ?」
ソビエト:「ベトナム人を持ち上げて利用し、西側に嫌がらせして成績かせがないと粛清されそう」
という、現地人の使い方の違いだったでしょう。ホーおじさんという国民キャラを作り崇拝させつつ、風貌が旧支配者のフランス人と似通った自分たちは前に出ずに、あくまでベトナム人主体の体でプロパガンダを徹底することで、それまで国家・国民という概念すらなかったベトナムの農民を味方につけたのでしょう。
博物館や諸々の資料、ニュースなどで独立期のところでロシア人や中国人が全くと行ってよいほど姿を表さないのは、徹底したプロパガンダを行い「ベトナム人が頑張る」体を整えたことは間違いないと考えています。
それを支えている看板がホーチミン(おーおじさん)戦略。ほとんどの人は抽象的な話が苦手。一説には人間の有史以来の会話の殆どは「誰かの噂話」だったという研究があるそうです。
要するに、ヒトの会話や思考はキャラがないと始まらないのです。
この崇拝キャラ方針は悪名高いスターリンがレーニン、ひいては自分に対して徹底的に行い同様の方式を真似させた中国、北朝鮮、カンボジアで悲惨な結果を招いたのは皆さんご存知のとおりです。が、幸いにもベトナムでは他国のように悪い方向に行きませんでした。(こちらについては別記事を書こうと思いますが、初代首席のトン・ドゥック・タンに秘密があると思っています)
ホーチミンさんは独立の象徴、英雄としてハノイのホーチミン廟に現在も特殊処理され見学場所にされています。モスクワのレーニン廟には入って見たことがありますが、ここには入ったことがないのです。理由は混んでいるから。崩壊したソビエトと違いベトナム共産主義は現役で小学校から大学までホーチミン思想を哲学として学ぶこともあり、人気は絶大なようです。
当時の人達の大半は知識のない農民
戦後の日本は人口の6割強が小作農(江戸時代から続く農奴に近い人々)であったと米国の調査があるそうです。一方同じ時期のベトナムは17世紀くらいの文明度(もっと前かも)なのでほとんどが農民や漁村民でほとんど一次産業の世界です。(これが日本への労働輸出資源の源泉なわけですが)
これはインタビューなど記録でも残っていますが、戦争に参加した人たちは意味もわからず駆り出されているのは他の国と大差がないのですが、それまで「国家」とか「国民軍」とかに「帰属する」という事もよく知らず、参加しているうちにその気になって頑張った、というのです。それまで傀儡政権の劣悪な支配者と既得権しかいなかった世界の素朴な農民たちには共産主義の理想は受け入れやすかったに違いありません。
ソビエトはこの路線を貫いて、武器や専門家だけでなく巨大なダムの建設などインフラもソビエトが大量の物資・人的資源を投入してベトナムを共産主義陣営の中でも「裏切らない優等生」に育て上げています。
ベトナム戦争の影の主役、中国
中国人民解放軍はベトナム戦争で30万人を超える兵士を支援部隊として送っています。防空や鉄道工兵なども含まれ専門性のあることは、当たり前ですがセンパイにお願いするしかなかった事が伺えます。(まあ当たり前ですが。。)
しかし、ベトナム戦争後に中国が支援しているポルポトを撃滅した怒りを買い、中国がベトナムに侵攻しベトナム側に莫大な被害をもたらした中越戦争のあと中国は憎しみの対象になります。
もともと隣の国とは世界中どこでも不和がありますが、お古の兵器しかないベトナムは最新兵器で攻めこまれ、短い期間の戦争なのに3万人以上もが戦死、凄惨な戦場であり行方不明も多いといいます。そんなわけで現在でもベトナムの多くの方が中国を非常に嫌っています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%B6%8A%E6%88%A6%E4%BA%89
これが原因で建国〜ベトナム戦争の流れで中国や共産国の絆みたいなものは出にくい事情もあるようです。(が、北朝鮮やキューバとは盟友的なお付き合いをしています。そこはやはり共産姉妹国。。。)
中国とソ連が北ベトナムの勝利にどのように貢献したかを紹介するビデオ
ソビエトが消滅してから30年以上も経ち、中国が市場経済に移行して成功したのを後追いし、他国に頼りながら工業化・資本主義に邁進しているベトナムのなんとなくほんわかした印象の裏も、他の国以上にドブが横たわっているのでしょう。