右とか左とか
ほんの最近まで一般的に言われている右翼と左翼とというカテゴライズの意味をまったく理解していませんでした。
更に言えばこのたった2文字からなる言葉の意味を今もよく理解しているとは思っていないんですけども。
私自身、世間一般ではまだ若者と呼ばれるような年齢でしょうがその若者が日本の現状を考えた時に今の日本が世界に誇れるものであるとは思いません。そもそも自分の生まれた国を他国に誇る意味があるのかなということも日々考えているのですが。どうなんですかね実際はのところ。
自分が生まれた国に対する愛国心を持つ、的な考えはいつ発生したのでしょうか。
その考え自体が戦後、戦争を全く知らない世代、戦争の話を聞く機会が少ない世代にとってはそれを知る人達からのよく知らない人達に対する強制了解的なものであるような気がしてなりません。
戦争で自分の命を犠牲にして戦ってくれた人がいたから今の自分がいると、それを熱く語る人の考えは理解できるのですが、その考え方は私にとって理解はできるのだけどしっくりとくるものではありません。
当然それらはいけないことなんでしょうし、戦争はするべきではないとは思っていますが、それが実体験として身に沁みるものであると私には言い切れません。
だからこそ知らないことに対しての知的好奇心が湧くわけですが。どこまで学んでも「言っていることはわかる」から次にはいかないという意味です。
めんどくさい大人達が私が生まれる以前から右だ左だとカテゴライズをしている間に相関的に日本が素晴らしい国でなくなっているのではないかと私は思っています。
その考えを私が無知だからそう思っているだけだとまとめればそれほど簡単なことはないのですが。
例えそれが自惚れであったとしても私自身できるだけ自分より先に生まれ、たくさんの経験と知識を持った人達がそれぞれの立場、思考によってなされる発言には左右されないようにしようと、多くの情報に触れることができる時代だけにどれを信じようかしっかり考えようかと、その上でできるだけ多くの情報を取り入れたつもりです。
数字だけを見て日本は良くなったとか、悪くなったとか議論をする右、左のどちらかにカテゴライズされている人たちにかなりの不信感を持っているわけです。
失業率とか、実質賃金とかGDPとかそれらの数字で測れない人たちがどれだけいるのかと。彼らの議論にはその人たちの存在が消されている気がしてなりません。
そう考えると、私は政治という言葉が持つ意味をもまだ理解できていないようにも思います。その言葉の中には不正や既得権の保持というものが前提にあり、一部の人たちはそれを歴代の政治家も今を生きる政治家も行っており、当然のことだと語る節があるように思うのですが、それは私の思い違いに過ぎないのでしょうか。
他の人がやっているから自分もやっていいということに対する否定は義務教育のうちに嫌という程教えられることのような気がしますが政治の世界ではそれは当てはまらないのでしょうか。
不正上等、賄賂上等の政治というのがどれほどの信頼を得ることができるのかは私としては気がかりなことですが、それとは離れて私は日本で必ずしも生活する必要がない、収入を得る必要がないような人材になれるよう舵を切ることにします。
ある程度日本での生活が保証されている。と思っている人以外の人間が日本を良い国にすることよりも、他国で暮らせるよう土台を作ることの方が有益ではないのかと考えるのは当然の流れではないかなと思っています。
特に若い未来のある人達はどんどんそのように考える人の割合が増えるのではないでしょうか。
私は別に日本を否定するだとか、政治家がどうだとかそのような批評をするつもりはありません。ただ客観的に見たときにそのような国を素晴らしい国だと誇れる人はどれくらいいるのか、現状を考えている人がどれだけいるのか。個人的にそれらに疑問を持ったのだと。ネットの上で、机の上で右だ左だカテゴライズしている暇があるのかと考えただけです。
日本人の平均寿命で言えば70年以上生きる人は結構な数いるはずで、そんなに時間があるならほんの少しの時間でも一度真剣に考えてみる必要があるのではないかなと思っているだけです。
※よく記事の内容とは全く関係のない写真を載せていますが、あれらは基本的に文章とは関係ありません。
写真はインスタグラムであげているのでよかったら覗いていてください。
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