「ビフォア・サンライズ」を観て
『「ビフォア・サンライズ」恋人までの距離』を見たのでその感想を残しておこうと思います。
まず始めに私にとって恋愛映画はあまり好きなジャンルではない。おそらくそのような映画を見たときの共感する力みたいなものが著しく欠けているんだと思う。ただ私はこの映画を見て、単純に人を好きになり、それに求めるある種の共感性だけでなく、それらを通しての人の生き方の一部を感じ、その意味でこれを素晴らしい映画だと書いていこうと思う。
まず私が感じたのは、多くの映画がたったの2時間いくらで長い期間の幾らかの人物の人生や出来事を描こうとした結果、中身の薄いものになってしまっているのに対しこの映画はたった1日の二人の特別な1日に焦点を当てている部分に対し、それだけの限定をすれば約2時間の映画でこれだけの表現が可能なのか、という部分だと思う。
多くの映画は上記の通りで、要するにある人物たちの特別な出来事をいくつかピックアップし、それらの連続によってストリーを構成する。ある意味でこれは私が最近感じたことであるけれど、それらはSNS的なストーリーとも言える。
映画といえ個人の生活といえ、特別な日常はSNSでの繋がりを持ってほとんど面識のない場合でも他人のそれを確認することができる。それは特別性ゆえ個人が特別な日常を発信し共感なり羨望なりを浴びようとするからたろうけど、そういったものは総じて内容が薄くそれは映画であっても同じだと言える。
私は以前、実写版の「グラスホッパー」についてこれほど内容が薄い映画はもう見たくない。と言う内容の文を書いたが、それは映画を作成した人たちが悪いわけでもなく、企画した人が悪いわけでもなく、ほとんどの場合あるストーリーを2時間弱に収めるとなると内容の薄いものとなってしまう。
そのような作品は特別な出来事の連続で人の目を引くことはできても、一つ一つのもっと身近な時間を繊細に表現することはできないものなのだと思う。
だからこそこの映画は一つの特別な出来事から始まる普遍的な男女の1日を、そこに存在する二人の間の特別な感情を上手に取り上げながらも表現している点で私はかなり良質な物語だと感じた。
もちろんカメラワークや情景の美しさなどもあるのだけど、それ以上に特別な日常を普遍的にかつ、その二人の間にある空気感を上手に、繊細に切り取っている。そんな印象を受けたということだ。
その物語の中で一貫して思ったことは人が生きる上で必ずっといって存在する制約や期限をその偶然の出会いからのお互いの好意に絡め表現していることだと思う。
人は本来どんなことにでも期限があり、制約があり、だからこそ今あるべき姿で生きることができる。
ただその連続によってそれらを当然だと考えた瞬間にその「今」という概念さえも同時に忘れ去ってしまうのではないだろうか。
そういった意味で人間の一番大きな制約は「死」というものかもしれないのだけど、それに関しても劇中で二つの違った考えが目についた。
一つは「恐れ」でもう一つは「美しさ」、死に対して違う場面で同じ人物がそれぞれ考えを話すのだが、それを聞いていると人の考えがどれだけタイミングや、シチュエーションに左右されるものなのかを感じることができる。
この映画は物語を通して美しさを感じる。それは単純に目に見えるものだけでなく、例えば短い詩を読みその情景を想像し、それを読み終えた後でさえその先を考え感じる美しさを、決して可視化されるわけではないそれから目に見える美しさよりも、心惹かれ何らかを感じることは幾度となくあり、それを感じるたびに私が今まで本質的な美しさだと思っていたものよりもそれに近いものではないかと思うことがある。
最後に、この美しい映画から自身が感じたことを今の段階で完全には言葉にできないことが非常に腹立たしい。
それはある意味で、私が心から望んでいながらも今までに経験したことのないものだ。という意味をなしているからだと思う。
恋愛映画が好きな方にはもちろんそれが好きではない人にもぜひこの映画を見て欲しいと思う。
この映画続編があるみたいで、来週にでもそれを見るのが楽しみですね。。