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毎日大人になる

大人になるってのがどんな意味かってのをzっと考えていて、今日ふと思ったことがあるんだけれど、せっかくだからそれを残しておこうと思う。

歳をとるごとに人は知識や経験が増えてきて、それに伴いできることも思考のレパートリーも増える。
それだけなら良いことなんだけど、当然その過程で嫌な思いをしたり、知りたくなかったことを知り、自分の現在地に嘆いたりもする。
そんなことの連続で人は変わっていくわけなんだろうけれど、それでも自分の中で「ここだけは変えたくない。」だとか「この気持ちだけは忘れたくない。」みたいなものがあって、自分の中の変えても良い部分と変えたくない部分を取捨選択してくことが大人になるってことなのではないだろうか。


私は学生の頃スタイリストになりたかった。衣服の方の。
そのためにたくさんのことを学び、いろいろなものを見て、それをやるなら英語は必要だと勉強を始めた。ただその過程の中で知りたくない事実を知る時が来る。
世の中の動きや、流行を追う仕事に憧れていたのだから毎日いろいろな情報を取り、常にアンテナを立ててる状態でそれは必然だったとも言えると思う。
現在、私がその頃の思い描いていたものと大きく外れているあたり「知りたくない事実を知る」と言うその必然的な出来事は間違いなく私を大きく変えたのだと。

たった1つの、でも自分にとっては大きなそれが間違いなく私の思考を変えたのだと、今振り返ると切実に思う。そしてその出来事は私を少し大人にした。


私は以前まで大人になると言うことはどこかに点があって、それを超えると言うことだと思っていたんだけれど、それは違っていて、おそらく線が伸びている感じというのか、よく人が人生を語るときに使う道が続いているような感じなのかな。と今では思っている。

ずっと続いている道を歩いていく、その中でいろいろな経験をし、知識を蓄え、変化していく。この繰り返しが「大人になる」と言うことではないかと。
そう考えると、「大人になった」、要は終着点を自分で決められると言うことでもあるんだと思う。もちろん人が終着点を決めたとしても道はまだまだ続いていくわけなのだけど。
そう考えると今まで自分で考えていたことが結構ハマるので私にとっての「大人になる」と言うのはそれの連続だという考えである程度まとまっているのかもしれない。

そのように考えたときもう1つ思ったのは芯があるという言葉も今までに書いてきたことを考慮すると説明がつくように思う。

人は変わるという前提があり、それでも変えたくない部分がある。一生を通して捨てたくない思いがある。
そのようなものを自分の中に持っていて、それらの思いが外部からの影響で、実際の経験で、知識の増加で簡単に変わらないということ。そのような人を芯があり、強い人間だ。と人は言うのではないかと考えられるのではないかなと。

これは結構難しいことだと思う。変えたくないと思う部分があっても、いろいろな経験のをする中で多くの人はその部分を忘れてしまう。
自然と埋もれてしまう。
それを自分の中にあって当然のものとして置いておける人が揺るがない価値観みたいなものが人を強くするのではないかな。と今は思っている。

今もたくさんの経験を経て、取捨選択を繰り返して大人になり続けているわけだ。
そう考えるのは悪い気分でないような気がする。


※よく記事の内容とは全く関係のない写真を載せていますが、あれらは基本的に文章とは関係ありません。
写真はインスタグラムであげているのでよかったら覗いていてください。
https://www.instagram.com/_t0909_


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