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I Killed My Mother

昨夜、グザヴィエ・ドラン監督の「I Killed My Mother」邦題「マイ・マザー」を見たのでそれについて少し。


彼の作品を見るのはこの作品を含め2作品目なのですが、この作品もやはり焦点はマイノリティーと呼ばれる人たちに当てられていて、彼らが社会とどう折り合いをつけるのか、それに対し社会に適応しているマジョリティーはどのように接するのか、それらのことを見ている人間に問いかけるような作品だと思いました。
その2つについて個人的に感じたことを残しておこうと思います。


どのように折り合いをつけるのか。

生きていく中で誰もが大、小はあれどコミュニティーに属していると思います。小さいものでは家族、大きいものでは国家。それを意識しようがしまいが、知らない間にそこに入り込んでいる。それは嫌だと言って避けられるものではないし、逆に言えば入りたいと思って必ずしも入れるものでもありません。

そのような事実を子供はまず始めに家族関係から学びます。一番小さな、だからこそ一個人として重要なコミュニティーに自らが属することで、人との関わりだったり立ち居振る舞いを見て、聞いて、まだ右も左もわからぬうちに自分の中に入れていくのだとおもいます。
多くの場合それらを経てから学校に入ることでさらに多くの他者との関わりを持ち、さらに自分でコミュニティーを選び、作り出すというのを少しずつ経験し学んでいくのです。

この映画の中でも主人公が幼いころ、おそらく両親が離婚する以前の記憶は主人公にとって愛の溢れたものだった。というのが回想シーンを通して伺えますが、映画の中で「今」として語られる親子の間にそれほどの愛があるようには感じられません。母親は子供よりも自分のメンツを気にし、臭い物に蓋をするかのように自身の子を寄宿舎にいれ、子供が寮から脱走した際に先生に家庭内のことを指摘されると自分を否定されたことが気に食わないかのように癇癪を起こす。


一方で主人公はと言うと母親とは口論が絶えないんですが、それでも母親に対し物語の中で何度も「愛してる」と言う言葉を口に出します。
ただそれが本心から出ているのかと言えば、その言葉を口にすることでなんとかその気持ちを保とうとしている。ように感じるわけです。
「愛している」と言う言葉を口に出すことで、そうではない自分を作り出さないようにする。確認作業のように感じます。
ただ、彼自身母親からの「愛」を渇望している。というのも同時に感じるところであって、その大きな穴を学校にいるボーイフレンドと親しい先生が埋める。映画の前半部分はそれらを伝えるために使われているように見ていて感じました。
自身の居場所を自分の手で作り出す。それが彼が出した答えだったように思います。


どのように接するのか。

そんな中、なんとかその穴を埋めていたコミュニティーからも両親の決定で引き離されてしまいます。10半ばの子供が家族との良質な関係なく、せっかく自ら作りあげた良質な関係から引き離される。しかも自分の意見は全くもって無視される。これがどれほどのことか、本来それを考慮してあげるのが親の役目ではないかと私は思うのですが、その親によって引き離されてしまうわけです。
しかもその理由が主人公が「セクシュアルマイノリティー」であるということが母親にバレたというのが一番大きいのではないかと予想できる。

これが今現在の多数派の少数派に対する概ねの態度である。と言ってもいいのではないでしょうか。
私たちに合わせられるのであれば自由にやってもいい、でもそれができないのであればあなたは仲間に入れない。そのような思考の片鱗を私は頻繁にではないまでも感じることがあります。
例えばですが個人情報を記載する際、多くのフォーマットに性別チェック欄があり、その項目には「男」と「女」しかありません。最近はそれとは別の「答えたくない」のようなものも出てきましたが、いまだにそういうものが必要なのかと思うと大きな疑問を覚えます。それは必要なのだろうかと。当然必要な場合もあるでしょうが、取り合えず追加したそれを考えなしにそのままにしておく。という行為は考え直す必要があるように思います。

少なくとも「セクシュアルマイノリティー」と呼ばれる人達の気持ちを私は「理解する」ことはありません。ただ、「理解しよう」と努めることはできます。

その言葉の違いは明白で、自分の中にこれだという解は作らずに、あらゆる話に対して理解しようとする態度を持つ。ということ。それが私にできる唯一の行動だと思っています。

ドラン作品はその機会を与えてくれるものだと思います。
彼自身のバックグラウンドがもたらしたものか、構造的に少数派を取り巻く環境を描くのに長けている。多くの価値観を知るには良いツールではないかと。できるだけたくさんの人が見るべき映画ではないか、と見るたびに思うわけです。



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