Instagramで知り合いの日常を覗くことによる喪失感
私はInstagramのアカウントを二つ持っています。一つはただひたすら自分の撮った写真を投稿するアカウント。
二つ目は知り合いをフォローしていて、たまにプライベートなことを投稿したりするアカウント。
二つ目のアカウントについて最近思ったのですが、なんとなくそれで知り合いの日常を覗く、どんなものに興味があるかを知る。といった行為で満足になっている自分がいると気づき、さらに言うと久々に会った人に対する「久々感」の喪失を感じている自分がいました。
なんとなくだけど悲しくなってとりあえず3ヶ月限定でそのアカウントを停止しているのですがこのような感覚を伝えてもあまり理解してくれないなと感じていてそれは多分私の交友の狭さが原因なのかどうかとか考えたりも。
はっきりといって私は社交的ではなく会社以外で知り合い会う機会は一月に一回あればいいぐらい。連絡も誰かとマメに取るタイプではなく一般的に言うと孤独な人間だとカテゴライズされるのではないかと思います。
そんな中で本当にたまに会う人に対し「久しぶり」というような感覚がないのはかなり寂しく感じ、それゆえに喪失感を覚えるのだと思います。
なんとなくだけど、子供の頃は夏休み1ヶ月会わないだけで感じていたあの感じを何年も会っていない人から感じられないことがむしろその期間会えなかったと言う事実よりも悲しくさせます。
久しぶりに会って話す内容をなんとなくSNSで見て知っているなと思うあの感じはなんと表現すれば良いのか。そう思えばこの気持ちを表す日本語は存在しないのではないかな。
久しぶりにあったのにSNSを通じてどういった日々を過ごしていたかを、とりわけ特別な日のことなんか細かい詳細まで知ってたり、その結果久しぶりにあっても「久しぶり感」は感じず、話を聞いていても上記のようになんかそれ知っているなとなり、聞いてて新鮮に感じない。考えたんだけど、良い名前が浮かばない。どこかにそんな言葉はないものかな。「lost ~」みたいな。「lost nostalgia」的な。
それはさておきやっぱりたまにしか人に会わない要はほとんどの人との再会が久しぶりな中でその「久しぶり感」の喪失は私にとってかなり大きなものでよく考えればみんなに披露するような素敵な生活をしているわけでもないしこれから先どうするかはまだ未定だけれどとりあえず二つ目のInstagramアカウントを3ヶ月ほど試しに使用停止してみてどのように思うかなと試していこうと停止している次第です。今の所何の影響もなく直近で誰かに会う予定もないのでどんな感じかなって言うのは楽しみなところです。
あの学生時代の久しぶり感を少しでも味わえたらいいなと懐かしさと少しの寂しさを抱えこれからの経過に期待します。
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