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そこそこ

最近個人的に面白いなと思ったことに自分がどんどん現状維持であったり、
「安定」を大事にするようになってきたということがあります。
昔から「そこそこ」っていうのはあんまり好きな言葉ではなく、「そこそこの暮らし」とか「そこそこの人生」という言葉を自分の判断のもとで自分に当てはめたくはないなと思っていました。
人によってその基準は違うでしょうが、私は自分の基準の上でそこは目指さないでおこうと。

こういうことをずっと意識をすることは難しいのか、私がただできないのか、今日ふと自分が何かを選ぶ際に、「遠い将来の安定」であったり「不確定な未来の自分」を意識しているなと。
そんなものどれだけ自分で考えたってなんの保証もない。っことを自分ではわかっているつもりだったのに。
毎日同じことの繰り返しだと、明日起こることぐらいなら把握できるような気になる、自分でコントロールできるような気になる。
どれだけ優秀な人間であっても明日何が起こるかを知ることはできません。

そのようなことは、随時再確認し自分がどのように毎日を過ごしたいのか、その先にどのようなことをしたいのかを考慮し続ける必要がある気がしています。

私がそういう部分でかなり傲慢であるということかもしれませんが、少なくとも私はそうしないと忘れてしまうようで、勘違いしてしまうようなので。
ここに書き残しておくことでこれから何をするにしても、上記で書いたことを頭の中において考えていきたいと思います。


これを書いていてふと、私が学生だった頃にある講師の方が言っていたことを思い出しました。
「何をするにも情熱を持たないといけない。みんなが知っている言葉だけれど、その言葉を使わない分だけ多くの人は、それを忘れてしまう」
聴く人によっては熱苦しい話だと思うかもしれないですが、情熱云々は置いておいて、「人は意識していないとそれが起きたことすら気付かずに物事を忘れてしまうんだ。」という点ではまさにその通りではないかなと。

毎日何かしら新しい発見があり、古い考えが埋もれていきそうになることはあるんだけど、それでも大事なことはすぐ取り出せるようにしっかりとしまっておかないといけないなと。



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