Before Midnight
昨日「Before Midnight」邦題「ビフォア・ミッドナイトを見たのでその感想を。
リチャード・リンクレイター監督の「Before」三部作を見たわけですが、彼が時間の経過とそれによって起こる自身と役者たちの変化を大切にしている監督なのかなということは彼の作品である「Booyhood」を見ても理解できるような気がします。
実際この作品は主演のイーサン・ホークとジュリー・デルピーも脚本作成に加わり、彼らの実体験も絡めた物語のようです。
個人的に映画を見て印象を受けた「距離感」と、「制限」について残しておこうと思います。
距離感
ここでの距離感とは人と人との精神的な距離でもあり、物理的な距離でもあります。1作品目と2作品目は物理的な距離の遠さを精神的な距離の近さで埋めようとしているように感じたのですが、3作品目この物語は物理的な距離が近く精神的な距離は遠くなっているのかな感じました。
人間関係において距離感というのは本当に大事で、それは何も恋人や家族のような深い仲の人たちとだけでなく、その後一回でも会うかどうかという人に対しても距離を測る必要があり、それらを成立させる上で上手に距離を取る、詰めるということができない人が結構いるのではないかと。私もその中の一人です。
この作品ではもう主人公二人は夫婦になって、子供もいるようなので、浅い付き合いのままでとはいきません。そんな関係の中、シリーズを通して見ると以前の二人の関係を知っている状態であるので余計に「距離感」というキーワードは頭に入ってきました。
さらに精神的にも物理的にも距離が近くなればなるほどそれを取り巻く外的要因から受ける影響も大きくなっていきます。そこらへんも含めリアルな人間関係を描いているのかなと感じました。
この物語と前作品との一番の違いは、主人公以外の人間の考え方がシリーズ通して初めて語られていることだと思うのですが、まさにこのことが主人公二人の距離を表しているようにも感じます。
制限
どうしても二人だけの世界ではなくなってしまう。ここで語られている話の中では、主人公二人が過去に違った行動を取っていたらと想像させるものもあり、もし〜だったらとこれは個人的にはあまり良い考えではないと思っているのですが、どうしてもそれを考えてしまい起こるはずの期待をしてしまうのはある意味で仕方のないことなのかもしれません。
人は制限があるからこそ、何をするにしてもより良い結果を求めるために努めます。
前二作品では物理的な距離という制限があるったからこそ、より精神的な距離を詰めようとお互いの愛を確認しようと努めたわけですが、この作品にはそれとは違った彼らを取り巻く環境という制限があり、子供がいて、離婚した妻がいて、親がいて、友人がいる。
それらすべてを共に考慮する距離感で彼らが努めたことは、その二人の問題ではなく周囲の人達への配慮であり、子供たちのことでした。
制限はいたるところにあり、その中で工夫をしよい結果を求める。その繰り返しで深めていくのが愛情であり、友情であるのかもしれません。
物語の後半、主人公たちは激しい口論を繰り広げますが、それがきっかけでより良い関係が築けるよう努める。この物語の続きがそういうものであればなと思います。次回作が有るのか無いのかわからないけれど、あったら面白いですよねと。
話がまとまらなかったけど、人との繋がりは大事なのかもしれないなってことですね。
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