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今年にかけて

「私たちの分も頑張ってね」

そう言い残して引退した______2019

その時はそれが正だと思っていたのだ

その時は。

あの夏から早いもので3年が経過したらしい。
あの夏というのは高校3年生の夏。

何もかもに《最後》を付けられてしまう年である

最後の体育祭。最後の文化祭。最後の大会。

私にとって部活動とは青春の全てを投下したと行っても過言ではないぐらいに一生懸命になったものだった


「今年こそ東北大会に行ける」と私が入学する前から言われている

「今年こそ」  「今年にかける」

かけられていた。私たちも。今年に。

《おうち時間》と形容される期間にも私たちは楽器を持ち帰り、毎日3時間練習しては録音して提出をした。

壁  譜面  楽器  私    3ヶ月、まいにちまいにち。

「今年にかけている」

その言葉だけを信じて

面白いもので継続をするだけで成長というものはついてきた



最後の大会



結果は    

なし。

ないのだ。わたしたちには結果が。


未来にあった「最後」が必然的に過去に繰り下げられた

誰のせいでもない。しょうがないじゃない。

泣きじゃくる私に対していつも暖かいはずの母は冷静だった

知ってるよそんなこと

私たちがいちばん知ってる

というか
私たちしか知らない

分かってくれるおとなたちもいるが

それは「わかっているふりだ」と思っている

もしくは「誤っている」


それは言い過ぎじゃない?


それも誤っている

言い過ぎがあるものか、私が言い過ぎならこの結果はやり過ぎだ。散々すぎる。


翌年、顧問は同じ曲を選曲した

日の目を浴びていないが後輩たちは練習済なので「今年にかける」為にえらんだのか、

私たちの「想いを背負った」のか

分からないし、知りたくもない

引退時に口を揃えて「私たちの分も」と残したが
勝手ながら取り消させて頂く

背負われてたまるか。

結果、「今年にかける」は実らなかった

しかしきっと彼ら彼女らは美談にできるだろう

先輩たちの想いを乗せた曲を一生懸命練習したけど結果は残念だったね    と。


なぜ今更この件をうだうだと書き綴っているのかと言うと

母校が今年東北大会へ進んだから。
しかも金賞という結果を残して

曲は「富士山〜北斎の版画に触発されて〜」
私たちが高校2年の時に演奏した曲である

そう

私たちの最後の大会の曲



_____2023

引きづっていた青春の後味は


きっと

正しく消えた.


PRAY./マカロニえんぴつ

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