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嘘の語彙を覚えさせられていた

この前、不安が強くて人に話しかけられないまま時間が経ってしまったとき「人前で不機嫌になる自分はだめな奴だ!」と自分を責めた。しかし気付いた。不安そうにしていることを普通は「不機嫌」な態度とは言わないのではないか?

どうやら自分の中で、感情や状態とそれを表現する単語とが適切に結びついていないかもしれない(でももしそうなら、子供の頃に国語のテストで引っ掛からなかったのが不思議だ、本を読んでいたから知識だけはあったのかもしれない)。

以下に、現時点で思いつく例を書いておく。


「不機嫌」を誤って覚えていた

冒頭の続きからいこう。不安でその場にいるのがつらいときや、不安で行動を起こせないとき、私は「そんな不機嫌な自分の態度はいかん、機嫌を直さなければ」と考える癖がある。

だが「不機嫌」とは一般に、怒っている状態を指すことが多く、不安で動けない状態には使わないのではないだろうか? 急に自信がなくなってきた。

辞書を引いてみる。

不機嫌
機嫌の悪いこと。また、そのさま。

機嫌
表情、言葉、態度にあらわれている、その人の気分のよしあし。

機嫌を直す
不機嫌な感情をおさめる。他人に対する悪感情を表わしていたのを、考え直して、それを表わさなくする。

日本国語大辞典

彼は不機嫌だった
He was in a bad mood [humor].

不機嫌な顔をして向こうを向いてしまった
Looking displeased, he turned away.

プログレッシブ和英中辞典

総合するとやはり、「不機嫌」は不快感を露わにしている様子を指すらしい。だから少なくとも現代では、不安そうな様子には使わないのが一般的だろう。

ではなぜ私は、自分の状態とそれを表現する単語が適切に結びついていなかったのか。答えは簡単。幼少期に元養育者(女性・一名のみ)にそうやって叱られてきたからだ。

具体的には、幼少期、養育者とともに知らない場所に行くとき、不安そうにしていると「なぜ機嫌が悪いのか」「また不機嫌か」「機嫌を直せ」と責められることが多かった。

何かおかしいと段々気付き始めたのは成人後だ。不安でも何でもないときに一緒にいた元養育者から「機嫌を直せ」と叱られたことや、自分が大きなイベントを控えて不安になっていたときに側にいた養育者から「いい加減にしろ」と頭を叩かれ無理やり笑顔を作らされたことがあった。それでやっと、おかしいのは自分ではなく相手なのではないかと徐々に思い始めた。

子供の不安そうな態度は、養育者に「不安なのかい、どうしたんだい」と寄り添うことを求めるものである。一定の年齢以上の人間がそれをやりすぎれば、機嫌を悪くすることで相手に忖度させるハラスメントになるだろうが、子供が自らの不安の解消方法がわからず何度も同じ状況に陥っているのを、ハラスメントと同一視することはできまい、さすがに。しかも私の場合は「知らない場所にお出かけするの不安だよ〜」などと言葉では訴えていない(そもそも自分が不安だと認識できてないので)。しかし前述の通り、私の元養育者は私を責めてきた。

それどころか、元養育者は逆に子供からケアされることを求める人間であり、私が "上手に" ケアしないとよく「ひどい」と責めてきた。反対に、私が本当に必要としているときには応答せず、むしろ「要求をしてきたお前が悪い」と責めてきた。機能不全ってやつなんだろう。

機能不全は仕方ない。元養育者だけのせいではないし、彼女がそうなっちゃった背景を辿ると、現代社会の問題や、前世紀のあれこれが関係してきてキリがない。もしかしたら遺伝子も関係あるかも。だから因果関係を掘り下げるのは程々にしておく。それに、自分が「不機嫌」の意味を勘違いしていたことに最終的には気づけたじゃないか。だからここまではよしとする。問題はこれからだ。

不安であるときに「自分はいま不機嫌だ、それは周囲に対して感じが悪いことだからやめなければならない」と考えてしまうのをやめたい。

まずは「自分はいま不安なんだな」と認識しよう。そして「そんな自分が周囲を不快にしているんじゃないか」とさらに不安になっていることを自覚しよう。それから…? 例えば何か行動を起こして「実はそういう考えは勘違いで、周囲の人間は私が話しかけるのを嫌がったりしていない」と確認できるといいのかもしれない(既に結構やってるけどな)。

「ケンカ」の欺瞞

元養育者は、上記のような「不安」を「不機嫌」にすり換えて私を責めてきた。本当に不機嫌になっていたのは元養育者の方かもしれない。そういう状況が発展して、養育者と私が円満に過ごせない時間が続いたとき、その状況を元養育者は「ケンカ」と呼んだ。

「ケンカ」では言い争いがあったように思う。あとお互いに泣いたりもした。でもこちらが泣くと「泣き落としか!」と責められ、私はそれがあまりにムカついたので、学校からの帰り道やシャワー中や布団でバレないように泣く癖を身につけた。

そして「ケンカ」では、いつかどちらかが謝らなければならなかった。どちらがよく謝っていたのだろうか。私が謝っても「何について謝っているのか」と問われ、答えても「違うそれについてじゃない」と否定されたことが何回かあった。そもそも元養育者は答えなんて用意していなかった。

それは本当にケンカだったのだろうか。パワハラ(家庭内なので「DV」でいいのだろうが)とそれへの抵抗みたいなものだったのではないか。そして「ケンカ」という言葉によってその権力構造が隠されていたのではないだろうか。

せめて自分は人にハラスメントしないようにすること、してたら認めてすぐ謝ること、自分の言動が原因で人と険悪になってもそれを「ケンカ」とは呼ばないこと、を徹底したい…。

「好き」の意味を知らない

すき 【好・数奇・数寄】
物事を愛好する心持。すきこのむこと。また、そのさま。

日本国語大辞典

私の好きなものは断片的にしか見つからない。エレキバイオリンの弦の振動(触覚)、デコトラの輝き(視覚)など、感覚的で単純な喜びが多い気がする。でも読書や思考が面白いときもある。それはさておき、じゃあ例えば「音楽が好きか?」と訊かれると、答えはYESではない。トラックのこともよく知らない。読書や思考なんてストレスにさえなりうる(でもやる)。

例の如く、「好き」が明確に見つからない原因は元養育者の所業にある。奴は私に対して、大して好きじゃないものを「好きだね」と言い聞かせてきた。奴は私との自他境界が曖昧だったから、自らの好きなものを私の好きなものにすり替えた。「〇〇ちゃんは絵を描くのが好きだね」「ピンク色が好きだね」「この動物が好きだね」「誰々くんのことが好きだね」など、「お前はこれが好きなはず」というメッセージを特に幼稚園の頃に浴びていたと思う。高校卒業後の進路選択時にも明確にそういうことがあった。成人してからは逆に、私が好んでいるものを元養育者も好きになる、という「好き」の横取りも発生した。

おかげで私は「好き」の意味を明確にはわかっていないまま現在に至る。五感や感受性がやや鈍いかも。「好き」が全くないとは言わないが、スムーズに認識することが不得手だ。

例えば音楽。楽器には人生の2/3くらい親しんできたから、音楽が好きかどうかは置いておいても、楽しみ方は知っている。でも「音楽を聴くのが好きなのか?」と問われるとわからない。少なくとも、聴くだけよりは弾く方が楽しみは大きい。でも「じゃあ演奏がお前の好きなものなのか?」と問われると、口ごもってしまう。演奏は手慰みなだけかもしれない。それに、鑑賞や演奏だけでなく楽曲分析にも面白さはあるし…etc.

しかし、上記のような「楽しみ」「面白さ」を感じているということは、もしかしたらそれは世間一般のいう「好き」なのかもしれない。

それでも、自分の内なる声は「好き」を認めようとしない。そもそも自分の根本には「何でもできるなら何もしたくない」という思いがあるので、好んでやりたいことなど本当はないんだ、と屁理屈をこね始める。

なぜこうなるのか、頭ではわかっているつもりだ。

私には「好き」を正しく認識する機会が不足していた。それは「お前はこれが好きなはず」というメッセージを、元養育者という逆らえない相手から浴びてきたからだろう。だから元養育者から解放されてからも、「自分が好きになる "はず" のもの」を「好き」だと思い込む癖が抜けない。加えて「本当に好きなものに飛びついたりしたら大変なことになる」と、頭のどこかで思い込んでいて、ブレーキがかかっているのかもしれない。

だが不幸中の幸いにして、そのような誤魔化しを貫徹できない正直さが私にはあった。だから今こうして「好き」を自覚しようと努力している。

自分が「好き」と思ってなくても、現実には愛好しているものがいくつかある。実はそれこそが世間一般のいう「好き」なのかもしれない。そう思って一つひとつの対象に向き合ってみよう。ポジティブな感情を認識しそびれないように注意深くなろう。

要約

自分の感情・状態とそれを表現する言葉が、たまに一致していないことに気付いた。その原因の一つとして環境的要因が挙げられる。今後は自分の感情と、それを受けて出てくる思考を冷静に見つめることを心がける。

今日はここまで。


以前、心療内科でアレキシサイミア傾向があると言われたが、それは上記と関係あるのだろう。まあ、そりゃ感情の言語化に手間取るわけだよ。

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