母に今日渡した手紙
「嫌」という事について
誰かが自分に嫌な事をした時、心の中で「嫌だな」と思います。次は、表情や行動や態度が「嫌だな」と出ます。(意識的にせよ無意識的にせよ)それでも相手がそれを止めない場合は相手に「嫌だ」と言います。
あなたはよく「真実」と言いますが、「真実問答」をしている時間は、世界で一番無駄な時間です。時間のある無しに関わらず、あなたと楽しくもない「真実問答」をしたい人などこの世には居ないでしょう。今これを書いている時間も無駄な時間です。何故なら、だいたいのまともな人間は、(子供でさえも)経験的、道徳的に「人が嫌だと思う事はしない」というように相手の為、自分の為に「注意」して生きているからです。
例えば、Kさん(母も知っている人)の娘さんは、一人暮らししている部屋にゴキブリが出た時に、お母さんであるさんに「退治しに来て」と電話しました。そしてKさんはスプレーを持って電車に乗って部屋まで行った時には、ゴキブリはどこかに居なくなっていました。それら一連の事に、「真実」は存在しますか?
「真実」というのは、自分の中で一生をかけて模索するものであり、安易に他人に言えるようなものではありません。
「嫌だ」→「どうして?」
「嫌だ」→「嫌じゃないはずだ」
「嫌だ」→「嫌なのがおかしい」
嫌にはそれぞれ、理由(言い分)がありますがそれは一つではない事が多いし、それを他人に一つ一つ説明するのは苦痛をも伴います。
そのような意味では、他人との間に「真実」というものは存在しないのです。
私の言っている意味が分かりますか?
↓
先ほどこれを渡したのですが、例で出した部分の意図は何なのかを執拗に聞いてきた事と、「真実などとは言ってない」という、的のずれた意見と、言っている言ってないの言い合いとなっただけでした。
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