自己保身のために他者の足を引っ張る人の罪。
こんにちは、みやざわです。
先日久しぶりにお会いした若手経営者さんとお話をしていて、とても興味深い話を聞いたので、そのことについて考察していきたいと思います。
飲み会での出来事
その経営者を仮に Aさんとしましょう。
Aさんはとある飲み会に参加し、そこに偶然にも超有名ビジネス系インフルエンサーBさんが来ていたそうです。Bさんは有名企業の役員を務めた経験や、SNS での発言力もあり、いまではオンラインサロンの運営など幅広い分野で成功している方です。そんな方と直接お話できて、自分の顔と名前を憶えてもらえるまたとないチャンス。Aさんは、早速お酒を片手にBさんの隣に座りました。
Bさんは SNS 上では時に過激な発言を繰り返し、少し怖い印象を持っていたものの、話してみるととても優しく、対等にお話してくださった方とのこと、どんどんAさんは好印象を抱いていきました。
せっかくならば、とSNSにアップするための動画にも一緒に写っていただき、あの手この手で、お会いしている時間の価値を最大限活用しようとアクションしていきました。
Aさん、あれはだめだよ
夜も更けてきた頃...
Aさんの周りにBさんの運営するオンラインサロンメンバーがやってきて話しかけられたそうです。
「Aさん、あれはだめだよ〜。オンラインサロンに入って金払ってる僕たちですら、Bさんの隣で飲んだことないのに。」
「さっき動画撮ってたでしょ?あれもよくないよ〜」
何がだめなのか
Aさんからこの話を聞いたときに、私はふつふつと怒りが込み上げてきました。なぜならば、私も過去に同じような経験があったからです。
何に対する怒りか?
それは、Bさんのオンラインサロンメンバーがただ単に、他者の足を引っ張っているとしか思えないからです。
私ですらあの人に近づけないのに、あなたに近づく権利はない。
長年、私たちはこうしてきたのだから、抜け駆けは許さない。
あなただけ近づくことができるなんて、おかしい。
これらの思考の裏にあるのは、自信がないことと、それ故の自分が望む結果を手に入れられる人への嫉妬ではないでしょうか。思考回路としてはこんな感じが想像できます。
私なんて、Bさんの隣で飲んでもつまらない奴...と思われるだろうから、隣に座るのはやめよう(勇気がない)。でも隣に座りたい気持ちは変わらない。隣に座れる人が羨ましいから、それはよくないよと言わないと!
私は、自己保身のために他者の足を引っ張る人が苦手です。
特に "トライする前からできないと考えている人" それでいて "他者のトライも邪魔する人" は、自分だけでなく、周りにも悪い影響を与えます。
隣で酒を飲みたいならば「隣いいですか?」とトライしてみればいい。
一緒に動画に写ってほしいならば「動画撮影したいです」でいい。
ダメで断られても、何でダメだったのかを考えて再度チャレンジすればいい。
トライする前から「できない」と思うならば、人生で訪れるチャンスの99%をドブに捨てているようなものだと思います。
未来は制約から解放されたその先にある
自分自身に課してしまっている、もったいない制約は何か?
※それを他人にも当てはめて、足を引っ張るなんて持ってのほか!
それを取り払ったら、どんな未来を手に入れられるのか?
チャレンジの先に、過去の延長線上にない未来が待っています。
制約から解き放たれて、無心に挑戦し続けて、より良い未来を手に入れたい。
そんなことを思ったのでした。